トビリシ・プライド(Tbilisi Pride)は中止!ージョージアは保守的?!

7月5日にトビリシで初めて開催される予定だったプライドは、市内中心部でホモフォビア(同性愛嫌悪)の激しい抗議活動が発生したため、2度目の中止となりました。このニュースは、世界的にも報じられましたが、私が現在生活するオランダの地方のテレビ局でも報じられました。


トビリシで反LGBTデモ隊がジャーナリストを襲撃、主催者はプライドイベントの中止を余儀なくされました。
(c)Radio Free Europe/Radio Liberty

オランダは、世界に先んじて、同性婚を合法化しているほか、一週間前ほどに、オランダのルッテ首相が、反LGBT法成立のハンガリーにたいして、「EUに居場所ない」と非難したばかりであったこともあり、より注目されたのではないかと思います。

そもそもプライドって何?

プライドの言葉の意味は、自尊心、誇り、自負心。このニュースで報じられたプライド、または、ゲイ・プライド(gay pride)またはLGBTプライド(LGBT pride)とも呼ばれ、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシャル (Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)のLGBTの人々が自己の性的指向や性自認に誇りを持つべきとする概念を表す言葉です。
プライド・マーチ、イベントは、そうした人々の社会運動の場として機能しております。発祥の地はアメリカですが、全世界の主要都市にて行われており、東京もその一つです。オランダのアムステルダムのプライド・パレードは有名です。

関連ブログ「プライド・アムステルダム(Pride Amsterdam)、ゲイパレードは国民が楽しむ一大イベント、見どころ

トビリシで何があったのか?

7月5日月曜日の午後、反プライドの抗議者たちは、トビリシ・プライドとリベラルな活動家グループであるシェーム・ムーブメントのオフィスを襲撃しました。また、デモ隊は当日のイベントを取材しようとしていたジャーナリストをも標的とし、50人以上のメディア関係者や現地にいたゲイと思われたポーランド人観光客なども暴力の被害者となり、負傷者が出る騒ぎとなりました。

ジョージア正教会も、反プライドデモの主要な主催者であり、正教会の司祭たちは一日中デモに参加し、少なくとも一人の司祭(Spiridon Tskipurishvili助祭)は、国会前に集まっの群衆に対して、「祖国のために暴力を振るう義務がある」と語ったと報じられています。また、その場に居た警官も暴力行為に対しては、傍観していた、また、首相は暴力を助長するような発言をしたとして非難されています。総主教座シオ・ムジリ司祭(Shio Mujiri司祭)は、今後の暴力事件を避けるために、ジョージアは「宗教的・国民的感情を侮辱する行為」を禁止すべきだと提言しました。

LGBTQ march canceled in Georgia after office attack
(c)Reuters

トビリシ・プライド・ウィークは7月2日、2019年に予定されていたトビリシ・プライド・マーチについてのドキュメンタリー映画「March for Dignity」の上映会で幕を開ける予定でしたが、警察がイベントの保護を拒否し、このイベントも中止となりました。

March for Dignity - Official Trailer
(c) Tbilisi Pride


ここ数年のジョージアでのLGBTの闘争

ニュースでその暴力的な様子に驚くものの、実は、ジョージアにおけるLGBTの闘争は今に始まったことではないことから、このようなことは予想されていました。

近年、安全性への懸念から、ジョージアのクィア(性的少数者)活動家たちが、2019年5月17日に予定していたトビリシでの「ホモフォビア、バイフォビア、トランスフォビアに反対する国際デー(International Day Against Homophobia, Transphobia and Biphobia)」を記念した行進を中止しいます。また同年6月、予定されていたプライド・マーチも同様の理由から、中止を余儀なくされました。活動家のイベントを保護しなかったことから、ジョージア政府は非難されています。

ジョージア政府は、2014年に性的指向や性自認に基づく差別からの保護を盛り込んだ反差別法案を採択したものの、2017年には、ジョージアン・ドリームは、結婚を男女間の結合と定義する憲法改正案も提出しております。

LGBTに関連する事件

これまで、計画されてきたイベントは、中止されてきましたが、上記以外にもLGBTに関連する事件は度々起こっています。

2016年5月には、ソーセージを首に巻いた右派グループにより、トビリシ中心部にあるビーガンのカフェ(kiwi)が襲撃されています。店のフェイスブック投稿では、犯行グループは事件の1カ月程前に近所の商店を訪れ、カフェに外国人やLGBTのコミュニティの客が集まっていないか尋ねていたといわれています。また、同年10月には、トランスジェンダーの女性が襲撃され、その負傷がもとで亡くなる事件なども起きています。

また、2019年11月、映画「ダンサー そして私たちは踊った(And Then We Danced)」この映画のプレミア上映を行った際には、数百人の極右の抗議者が会場前に集まり、観客が劇場に入るのを阻止しようとしました。またジョージア正教会は、「ジョージアとキリスト教の価値を貶める」と上映中止を求める声明を発表しました。


ダンサー そして私たちは踊った(And Then We Danced)
(c) Peccadillo Pictures

キリスト教と同性愛

なぜこれほどまでにLGBTがジョージアの社会の中で、嫌悪されるあるいは禁忌とされるのか、大きな理由の一つが、宗教的な理由です。

多くの宗教において、一般的にLGBTを罪とされています。プロテスタント、カトリック等のキリスト教においても、新約聖書のパウロ書簡とコリント6章9-10節に「偶像崇拝や婚前性交渉、魔術や占いをする者と共に男色する者は神の国を相続しない」とし、基本的に、罪深い行いとされています。しかしながら、実際は、教派、聖職者個人によってもその見解は異なります。

ジョージアでは大多数の人が、ジョージア正教会に属しております。正教会一般では、同性愛は罪であり、結婚制度や家族を攻撃するものであるとし、トランスジェンダーについては、性別の変更は、個人に対する神のデザインを冒涜するものと理解され、共有されています。宗教的理由によるLGBT嫌悪はかなり大きいと思われます。

今後どうなるのか

世界的傾向として、オランダのように・・・とまではいかずとも、LGBTへの理解はゆっくりと進んでいくのではないかと思います。その流れはおそらく、ジョージアでも見られることかと思います。
しかし、それらがすすむのは、現在LGBTを理解する世代が意思決定者になることや、ジョージア正教会が、真っ向対立する立場から、その立場を変えた時に訪れる変化であると思います。例えば、カトリックでは、結婚は、サクラメント(sacrament)の一つであり、とても神聖であり、教会でそれを祝福します。そのため、同性婚については、教会が祝福することは不可能とする一方で、教皇フランシスコ1世は、同性カップルにも婚姻関係に準じた権利を認める「シビル・ユニオン」を認めるべきだとの考えを明らかにしています。この発言は決して小さいことではないかと思います。
ジョージアにおいて、こうしたことを考えると、まだまだ時間がかかることのように思います。
しかし、先日ニュースとなった、反LGBT法を掲げた、ハンガリーに対して、EU首脳会議でオルバン首相に新法撤回かEU離脱を選択するよう迫ったこと等から、LGBTへの寛容性が国内で認められない限り、ジョージアが目指すEU加入は遠くなること等から、政治的な決断を迫られ続けているとみてよいと思います。

当面は、せめて今回のように暴力沙汰とならないよう、表現の自由が保障されるよう、政府側の対応がなんとかならないものかと思うのはきっと私だけではないと思います。

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