人口の約80%をクリスチャンが占めるフィリピンでは、クリスマスに並ぶ重大行事である、聖週間が今日からはじまりました。聖週間の初日は、英語では、Palm Sunday(枝の主日あるいは受難の主日)、フィリピン語では、Palaspasと呼ばれる日で、イエス・キリストがエルサレム入城したとされる日です。枝の主日に始まる一週間はキリスト教徒にとって大切な行事が集中しています。この一週間を聖週間と呼びます。
枝の主日/受難の主日に何があった
エルサレム入城の日は、イエスキリストが十字架にかかり、その後復活するとされる一連の出来事が起こる一週間の始まりです。エルサレムに入城される前は、イエスは、ペレヤと呼ばれるヨルダン川の東側におられ、エリコというエルサレムから30キロ東の街を通り、エルサレムへと向かいました。エリコからエルサレムに至る手前ベタニヤ村で休憩され、近隣の村に二人の弟子を送り、ロバを調達するように言います。
後々十字架にかけられるイエス・キリストですが、群衆はイエス・キリストがダビデ王のように、イスラエルを復興させる王として来らたと考えて、自分の服やシュロの木の枝を道に敷き、「ダビデの子にホザナ※」と叫んで、イエス・キリストを歓迎しました。
※ホザナとは、神を讃える言葉。
ロバに乗ったイエスを迎える群衆
弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。イエスがエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。(マタイによる福音書21章6-11)
ここまで読んでも、なかなかピンと来ません。なんで馬じゃなくて、ロバなんだろうか?また、なぜ、群衆は自分たちの上着を道に敷いたり、木の枝を切って道に敷いてイエスを迎えたのか、わかりません。
聖書を読んだだけでは理解できず、キリスト教徒の友人に質問したことがありますが、馬は戦争に使われるが、ロバは歩みも遅く、馬とは異なり小さいことから、災い・暴力ではなく、平和をもたらすシンボルであるとされると説明を受けました。
また、群衆の歓迎の理由は、ロバに乗って主が現れるということは、イエスが健在する500年も前に予言されていたためです。
シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。(ゼカリヤ書9章9節)
フィリピンではどのように枝の主日が祝われるか?
フィリピンに限らず、全世界的にですが、ミサが行われます。枝の主日の日曜日には、フィリピンの教会の周辺では、ヤシ(Palm)の木の葉、あるいは、ヤシの葉を編んだ飾りが販売されます。飾りを販売する露天商が教会の周辺に集まることで、周辺が大変にぎやかになり、ちょっとしたお祭りのような雰囲気です。
教会に訪れた信者は、ヤシ購入し、ミサの最中に神父により清められたヤシを家に持ち帰ります。それを一年間保管し、それを灰の水曜日と呼ばれる、次回の聖週間の40日前の礼典の際に(可能であれば)持っていきます。不要になった木製の十字架などと共に、燃やし、その灰は「塗布式」という礼典で使われます。
パンデミック時の枝の主日
新型コロナの感染防止のため、オンラインでミサが行われた様子ですが、それでも信者は、購入したヤシを手に、神父から祝福を求めて教会の建物に赴く姿も報道されていました。これから、聖週間が始まり、宗教的な行事も増え、普段は教会から足が遠のいている人たちも自分の宗教(キリスト教)に意識するほどになるのは、パンデミック時もそうでない時も同じようです。一方、パンデミックにより、宗教や精神世界を意識する人、神様により頼むも増えたのではと思います。
フィリピン滞在と聖週間が重なると、お店が閉まっていたり、様々な場所が通常とは異なるスケジュールで運営されていたりと少々面倒なことが多いのですが、聖週間は、フィリピン人にとっては、幼少のころから慣れ親しんだ宗教行事であり、彼らの風習の一つであるため、個人的には、聖週間とフィリピン滞在が重なった時には、友人などにお願いして、教会などに連れて行ってもらうのもいいのではないかと思います。
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