フィリピン人にとって大切な週間ーホーリーウィーク(Holy Week)/聖週間 どのように過ごすのか(聖金曜日)

フィリピンの聖週間で強く意識されるのは、このイエス・キリストが十字架に罹ったとされる、聖金曜日(Good Friday)です。福音書の記述をもとにイエスの受難を思い起こす特別な典礼・祈りが行われます。

聖金曜日(主の受難)


「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(日本聖書教会 新共同訳 ルカによる福音書23:33〜34)
三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(日本聖書教会 新共同訳 マルコの福音書15:34)
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(日本聖書教会 新共同訳 ルカの福音書23:46)
イエス・キリストが民衆を神を冒涜した罪でローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督ピラトの前に引き出されました。ピラト総督はユダヤの律法によって裁くことを勧めるものの、ユダヤ人たちはイエスが死刑に相当する罪を犯していることを訴えてひきませんでした。

全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」 (日本聖書教会 新共同訳 ルカによる福音書23:02〜03)

ピラト総督はユダヤ教の過ぎ越しの祭りの恩赦としてイエス・キリストを開放しようとしていましたが、群衆は悪人バラバを釈放の釈放を要求し、イエスを十字架につけろと叫び、暴動になるような有様でした。

この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。 ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。(日本聖書教会 新共同訳:ルカによる福音書23:15〜23)

総督はイエスを外に引き出し、皆の見ているところで自らの手を洗って、「この人の血については私には責任がない。」と宣言し、バラバを釈放し、イエスを十字架につけるように兵士に引き渡しました。正午に張り付けになり、午後3時に昇天したといわれます。

ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa)/苦難の道

多くの(カトリックの)教会内の壁には、キリストの様々な受難が描かれた14 枚の絵、レリーフがかけられています。それらには、イエスが死刑の宣告を受ける場面から、十字架を背負い見世物になりながら処刑地のゴルゴダの丘まで行くその途上の場面、出来事、十字架上での死、復活までが描かれています。
宗教的には、各絵の前でキリストの受難の道を黙想し、ひとつひとつの場面でのキリストの苦しみをキリストとともに心の中で追体験し、祈りながら移動して行く信心業です。特に四旬節(復活祭の46日前)中の金曜日に全世界でさかんに行われます。
宗教的には上記のように行われていますが、キリスト教徒でない場合は、とっつきづらいと思われるので聖書を開き(オンラインでも聖書は読めます)物語として、それらの十字架までの道のりとその後の復活を読むことをおすすめします。

聖金曜日のミサ
フィリピンの地方都市の聖金曜日のミサ

フィリピンでの聖金曜日

水曜日と同じくミサが執り行われましたが、教会はいつも以上の人数で教会に収まりきれず教会の建物の外で、スピーカーから神父さんからのメッセージを聞きます。

ミサの最中に十字架に触れる場が持たれましたが、大人数でかつ一人ひとりが十字架に触れる時間が非常に長く、教会の後ろまで続く列は一向に動く気配はありません。それでも根気強く列に並び、十字架に触れて祈るその瞬間を待ちます。

ミサの後はプロセッション(祈祷行進)が行われましたが、聖人のカローサ(神輿や山車のようなもの)の他、今回はキリストの棺を担いでの行進となります。そして列も水曜日のプロセッションの2倍はあるであろう長さです。人々はろうそくを灯しながらいくつかのバランガイ(フィリピンの行政の最小単位)を1時間ほどかけて巡り、人々の救済のために十字架にかかったキリストを想い、祈ります。

聖週間の祈祷行進
聖週間の祈祷行進
金曜日は夜の9時過ぎからプロセッションが再度行われましたが、今回は来た行程を逆側から巡ります。またカローサの聖人像も数が限られております。

聖金曜日は、マニラでもここビコールでも多くの商店がお休みとなります。人々はイエスキリストが十字架にかけられこの地上にはいないと考えられ、「守り」がない状態と信じられています。そのため、この日の移動は避けられています。実際、近所の国道を行くマニラ行きのバスは空席が・・・マニラの商業地区は人の数がグンと減ります。

聖金曜日の小話

数年前、この聖金曜日に帰国した時のこと。タクシーを拾い空港に向かったのですが、途中タクシーの運転手が窓を開けて隣の車線を走るタクシーの運転手に何かを話しかけました。ほどなくして、両タクシーは道端に停車。そして著者を乗せていたタクシーの運転手に隣のタクシーに移るように指示されました。

勿論理由を問います。理由は、タクシーのブレーキの調子が悪くて空港まで行くのが不安だから・・・とのこと。思わず、著者を乗せた時からブレーキの調子悪かったんじゃないの?何故そんな状況で客を乗せるのか?と問うと、運転手もダンマリ。

らちが明かないので、早々に別のタクシーに移動し無事に空港に到着しました。著者の予想では、これが聖金曜日でなかったら空港まで走り抜いた気がします。けど、日にちが日にちだから少々心配になったのでしょう、きっと。

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