第二のドバイ?新旧が同居するアゼルバイジャンの首都バクーを歩く

高層ビル、オイルマネーで潤ったこの都市を第二のドバイという人もいるけど、各国異なる文化と歴史を尊重するならば、「第二の」って言い方、あまり好きではないなぁなんて思ってしまいます。でも、カスピ海で採掘される石油で発展しているこの都市は石油景気から、開発著しい町であることは明らか。高台から見える景色には、クレーン車が動き、高層ビルの建設が進んでいる様子がみえます。
近年のバクーを象徴する、フレイム・タワーズ
近年のバクーを象徴する、フレイム・タワーズ
かつてシルクロードの中継地として小隊が行き交ったという古い町の面影を感じられぬ、高層ビルに圧倒されつつも、旧市街地には小隊が通った門がいまでも残る新しくて、古いバクー。バクーとはどんな町かを俯瞰するため、アゼルバイジャンの新しさと古さを感じられる観光客がよくいくはずれのないスポットを2日間にかけて(半日×2日)回ってみることにしました。
旧市街地を囲む城壁
旧市街地を囲む城壁

バクー(Baku)とはどんな所?

人口200万人を超えるこの土地は、カスピ海西岸に突き出したアブシェロン半島南岸に位置します。カスピ海から吹き付けられる強い風は、この町の名前、バクー(風が吹き付けた)の由来となりました。この名前の通り、バクー滞在中は常に風を感じました。

資源と共に発展した都市

隊商の町として5世紀頃からこの知られています。イスラム王朝のシルバン・シャー朝の首都となり、港町として栄たのち、イラン諸王朝から攻撃をうけ、イランによる支配があった後、1806年にロシアに併合され、その後石油産業の発展と共に町も発展していきます。近隣諸国からの投資家、実業家、労働者が訪れ、大変国際色豊かな町となりました。また1930年代には、バクーの港が近代化され、カスピ海のハブ港となりました。

石油で潤った都市でしたが、内陸部の石油は第二次世界大戦後に枯渇します。その後、しばらくして欧米によって油田が開発されることで、またこの町は再び発展していきます。
バクー南西方のサンガチャル・オイルターミナルはACG油田の原油を海底パイプラインで受け入れており、その日量は120万バレル、欧州に向かって伸びる石油パイプラインの始点であり、地域の欧米の資源戦略において大変重要な場所です。また、シャフ・デニス・ガス田の天然ガスが近年の経済成長を牽引しました。

石油や天然ガス資源、火と長く関わりあったその歴史がアゼルバイジャンが「火の国」あるいは「炎の保護者」と言われる所以です。

バクーの海岸公園
バクーの海岸公園
バクーの石油の話をしたら、少々触れないといけないのが、カスピ海。カスピ海は、約37万平方キロと、日本とほぼ同じ面積、大小約130本の川が流入しているものの、流れ出す川はないため、カスピ海ではなく、湖という理解も出来ます(試したことはありませんが塩気があるそうです。)。

しかし、資源の豊富なカスピ海、沿岸国のロシア、アゼルバイジャン、イラン、トルクメニスタン、カザフスタンにより20年渡り、その領有権が争われ、2018年ようやく「カスピ海の法的地位に関する協定」に署名し、収束しました。各国の沿岸15カイリ(約28キロ)を領海とし、25 カイリを排他的な漁業水域と定めました。

日本ではあまり注目されていないものの、欧米の関心が高いカスピ海とその沿岸地域の事情を知る定点観測にうってつけの、バクーだったりします。

Bakuという都市の新しさが感じられる場所

ヘイダル・アリエフ・センター

流線型の建物、ヘイダル・アリエフ・センターはモダンな建物で印象的です。この国が第三代、ヘイダル・アリエフ元アゼルバイジャン大統領の強力なリーダーシップに牽引されてきたことも物語っています。他にも、コンサートホールである、クリスタルホールや、ブルバーの映画館施設、絨毯博物館の建物等も近代的かつユニークで、近代の建築物に興味がある場合は、いくつか併せて回ってみるのもよいのかと思います。私はアリエフセンターと遠目に絨毯博物館の建物を見て満足しました。
ヘイダル・アリエフ・センター
バクーで近代的建造物を代表するヘイダル・アリエフ・センター
デザインがユニークであることに驚きますが、実は大きさもかなりのものです。

ミザニ通り

カスピ海と並行する新市街の真ん中を突き抜け、噴水公園まで続くミザニ通り。ここには、高級ブティック、雰囲気のよいカフェ、露店があり、今のモダンで発展したバクーを映し出しています。

フレイム・タワーズからShahidlar記念碑と展望スペース

モダンな建物としてひときわ目を引くのが、地上から180メートルの高さのフレイム・タワーズ。夜間のライトアップでまさに炎が揺らめいているように見え、アゼルバイジャンを象徴するような建物です。
バクーのフレーム・タワー
バクーのフレーム・タワー
夜間はビルの建物表面に様々な模様が写し出され、バクーの夜景に彩りを与えます。
フレイム・タワーズの反対側には、Shahidlar記念碑、ソ連時代末期の騒乱、アルメニアとの紛争の犠牲者を祀る場所、展望スペースがあり、バクーの町を一望することができます。
Shahidlar Monument
Shahidlar 記念碑
展望スペースからの眺めはよく、おそらく夜訪れたら夜景が美しいのだと思います。日中は南アジア系の観光客でにぎわっていましたが、夜はそうした観光客のほかカップルが多いのでしょう。

展望スペースは、フレイム・タワーも近くで見れることや、バクーのパノラマを楽しめることから、バクー滞在中は一度は訪れたい場所です。
 展望スペースからの眺め
展望スペースからの眺め
展望スペースからバクーの町を見渡すと、建設中の様子がよく見えます。おそらく一年後にまたこの地を訪れた時には大きく様変わりしていることでしょう。

Bakuの歴史を感じられる場所

旧市街地ーシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿~乙女の望楼

旧市街地(イチェリ・シャハル)は、かつてのバクーの城壁都市としての面影を残す場所。見どころは多く、16世紀ごろに栄えた、シルヴァン朝の宮殿等が残っており、シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿では、かつての王宮で王族の霊廟やモニュメントがあります。
Shirvanshah's palace in Baku
シルヴァン・シャー宮殿内部
入館料15Manat(2019年9月現在)

乙女の望楼

有名な乙女の望楼/乙女の塔も見られます。この塔には様々な逸話がありますが、よく知られているものでは、王が娘に結婚を迫り、悲しみのあまり娘はカスピ海に身投げをしたという話。塔が絡むとどうも、ろくな話にはならないなぁと、塔の内部にある狭い階段を上がりながら、グリム童話のオリジナルのラプンツェルの話を思い出してしまいました。

防衛の砦としての運を担ぐためか、「乙女(誰によっても侵されたことがない)」の塔と呼ばれ、防御の砦として作られ、8階の層に分かれている。中に入ってみてわかったことだが、層の一番下と二番目には階段がないため、昔は何らかの方法で2番目の層に上がっている。ちなみに、現在は観光用に鉄製の階段が設けられているので、よじ登らないといけないというわけではありません。

バクーの乙女の望楼/乙女の塔
バクーの乙女の望楼/乙女の塔
バクーのシンボルとして使われ、絵画、演劇等のアートのテーマとして用いられている。
入館料15Manat(2019年9月現在)
旧市街地はその中が入り組んでおり、表示を見ながら歩いていたので、迷うことはありませんでしたが、迷路のようでもあり、歩いているだけでもちょっとしたアトラクションでした。ここを時間をかけて散策するのもオモシロイかもしれません。

海岸公園

カスピ海に弧を描くようにある海岸公園は、カスピ海からの風が心地よく、夏場の夕方には、涼を得るためにそぞろ歩きをする、カップル、若い男性のグループ!?、親子連れ等で賑わいます。ただ、今の時期少々涼しく感じられます。
カスピ海とバクーの夜景
カスピ海とバクーの夜景
若い男性のグループは民族楽器の奏でに合わせて歌を歌っており、夕涼みの際のよいBGMとなりました。ぶらりとするにはいい場所です。治安的にアブナイと感じたことはありませんでしたが、気をつけて、観光を楽しんでください。

第二の云々って言ってしまう気持ち、バクーに来てからちょっとわかったような気もします。実際、ドバイを意識してか、ブルジュ・ハリファを凌ぐ高さのビル、アゼルバイジャン・タワーを建設中(2025年ごろの完成)なのだとか。これからさらなる進化が続くアゼルバイジャン、注目です。

行った場所の地図

バクーの観光案内所でマップをもらう
観光案内所で頂いたマップに訪問した場所をマークしました
上記の他、バクーの中心地の観光ではゾルゲ公園にも行きましたが、こちらは、一般的な観光コースではなく、個人の趣向です。その様子はブログ「スパイ・ゾルゲの生まれたバクー、ゾルゲ記念碑訪問」でご報告しておりますので、合わせてお読みください

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