イスラエルを旅行した際、おすすめしたいのがエルサレムのヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa)を歩くことです。ヴィア・ドロローサとは新約聖書の四つの福音書の記述やキリスト教の伝承などから想定されるイエス・キリストが十字架にかかるまでの道のりです。総督ピラトの官邸(プラエトリウム)から刑場のゴルゴダの丘までの約1キロの道のりを歩いたと言われています。キリスト教徒ではなくても、「史的」イエス・キリストに迫ることができるこの道のりは、興味深いものではないかと思います。
鞭打ちの教会は、イエスが鞭打たれたとされる場所に建てられた教会。この場所は、一時期は馬小屋等として使用されていたといいます。馬小屋の持ち主がその馬小屋に馬を入れたものの、翌日全てが死んでいました。再度馬を入れ直したものの同様のことがおこったので賢人に相談したところ、イエスが鞭打たれた場所であり、同地をキリスト教徒が敬っており、その神聖な場所に馬を入れたので罰せられたことを知ったという伝承があります。
教皇ヨハネ7世(8世紀はじめ)の時に聖ペトロ大聖堂にベロニカのベールは飾られたといわれています。以降機会ある度に一般公開されていましたが、1600年ごろに、 新しい聖ペトロ大聖堂に移された際に行方不明になったと言われています。見てみたかったので、残念です。
キリスト教徒ではない人でも、興味深いものではないかと思います。ただ、聖書の話に馴染みがない場合は、映画 『復活』(キリスト教徒としての目線ではなくて、異教徒から見たイエスという点が興味深い映画です)等を鑑賞して、世界観やその雰囲気などを知ってから訪問するのがよいのではないかと思います。
今回はクリスマスシーズンにヴィア・ドロローサを訪れましたが、聖週間/受難週といわれるイエスのエルサレム入城から十字架刑、復活までの期間は、巡礼者の数もぐっと増えて、全くことなった雰囲気なのではないかと思います。
ヴィア・ドロローサ、途中「留」の印がないため、どこが次の場所であるのかわからない!ということもあります。ガイドを雇うというのも一つの手ではないかと思います。あるいは、このブログを参照頂き、巡っていただければ幸いです。
巡礼者はイエスが十字架刑に処せられ、鞭打たれ、時に倒れながらゴルゴダの丘に向かい、そこで十字架に磔にされ、墓に葬られるまでの道のりを辿ります。毎年巡礼者が、世界各地から訪れ、14の場所をめぐります。
第1留 -ピラトに裁かれる
ポンティオ・ピラトは、西暦26年から36年もしくは37年初めまで、ローマ帝国のユダヤ属州で総督を務めた人物です。ピラト提督により裁判を受け、十字架の死刑が確定しました。このピラト提督、カトリックの祈祷文に必ず含められる名前です。
第1留は現在公立の学校内にあります。そのため、通常は入ることは出来ませんが、訪れたときはちょうど冬休みであり、か午後3時以降ということもあり、校内に学生はおらず内部に入ることができました。
第1留は現在公立の学校内にあります。そのため、通常は入ることは出来ませんが、訪れたときはちょうど冬休みであり、か午後3時以降ということもあり、校内に学生はおらず内部に入ることができました。
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)1 st station 第1留 公立学校の敷地内にある1つ目の留 |
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)1 st station 第1留は学校の中にあります。その学校の入口。 学校は鞭打ちの教会の通りを挟んで反対側に位置します。 |
第2留 -有罪とされ、鞭で打たれる
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)2nd station, 第2留、鞭打たれるイエス 「鞭打ちの教会」の壁に記された第2留の印 |
イエスが鞭打たれたという場所に建てられた教会「鞭打ちの教会」 |
第3留 -最初に倒れた場所
イエスが十字架の重さ故に最初に倒れたと言われる場所です。十字架の重さは、横棒が40キロほどと言われているため、縦棒も含めて90キロほどと推測されています。第4留 -母マリアと出会う
福音書には述べられていないものの、この場所でイエスは母マリアと遭遇したといわれています。
第5留 -キレネ人シモンがイエスを助ける
聖書には「シモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」とあります。シモンは過越祭のためにエルサレムに上って来た巡礼者と言われています。シモンは、ローマ兵により命令され、イエスの十字架を共に背負いました。ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)5th station 第5留 |
第6留 -ベロニカがイエスの顔を拭く
ベロニカの住居があったと言われる場所にあるこの第6留で、ベロニカは家から布を持ってきてイエスの顔を拭ったのですが、のちにこの布にイエスの顔が浮かび上がり、「ベロニカのベール」として知られるようになりました。教皇ヨハネ7世(8世紀はじめ)の時に聖ペトロ大聖堂にベロニカのベールは飾られたといわれています。以降機会ある度に一般公開されていましたが、1600年ごろに、 新しい聖ペトロ大聖堂に移された際に行方不明になったと言われています。見てみたかったので、残念です。
第7留 -二度目に倒れた場所
イエスはこの場所で再び倒れました。第8留 -イエスがエルサレムの婦人たちに語りかける
イエスの苦難を見て嘆き悲しむ婦人たちに対して、イエスは以下のように語ったと言われます。「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来る。これが何を意味するかは、神学者や聖職者の方説明に任せますが、一般には、神の裁きを受けるであろう人々に対して、子どもはいない方がいいと思う日がくることを示唆しているといいます。第9留 -三度目に倒れた場所
第10留 -ローマ兵に衣服を剥ぎ取られる
ローマ兵が、イエスの衣服を剥ぎ取りました。剥ぎ取ったのちに、くじ引きなどで衣類を分け合いました。第11留 -十字架が立てられる
ローマ兵たちにより、ゴルゴダの丘に十字架が立てられます。
其の場所は、現在の聖墳墓教会の入口より右手、階段を上がった場所で、モザイク画があります。
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)11th station 第11留 |
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)11th station 第11留と第12留との間にある、マリア像 |
第12留 -イエスの死
イエスが十字架上で息を引き取ったとされる場所。第11留の一部ですが、 祭壇の下には、十字架が建てられた場所が丸く囲われている。キリスト教徒の人たちはその場所に触れるべく手をいれたり、キスしたりします。
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)12th station 第12留 |
第13留 -十字架の下の母マリア
イエスが十字架上で息を引き取った後に十字架上からおろした場所。埋葬前、ここでイエスの体に香油が塗られたといわれているため、このランプの下にある石を「塗油の石」と呼んでいます。
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)13th station 第13留 「塗油の石(Anointing Stone)」 |
第14留 -イエスの墓
イエスが葬られた場所に後に建てられた建物。聖墳墓教会内のイエスの墓は入場制限があります。そのため、混んでいる時には写真の用に並び、入場します。内部は狭く、墓の中心部は2,3人の人しか入れないほか、写真撮影は禁じられています。フランシスコ会によるプロセッションへの参加
毎週金曜日午後3時(夏は4時とのことですが、要確認)にカトリックのフランシスコ修道会が、このヴィア・ドロローサを祈り、めぐること(プロセッション)が行われています。これは、実際に起こったと言われる日時に合わせたものです。
フランシスコ会のプロセッションを知っていたため、慌てて集合場所に行くものの、旅行した時期がクリスマス・シーズンで、修道会の神父も忙しいため、神父同伴のプロセッションは行われていませんでした。
仕方がないので、自分たちで回ろうとした矢先に、スペイン人一行がグループで14留を巡っていたため、お邪魔することにしました。祈祷文等は全てスペイン語でしたが、彼らのおかげで、14か所を逃さず、じっくりとめぐることが出来ました。
フランシスコ会のプロセッションを知っていたため、慌てて集合場所に行くものの、旅行した時期がクリスマス・シーズンで、修道会の神父も忙しいため、神父同伴のプロセッションは行われていませんでした。
仕方がないので、自分たちで回ろうとした矢先に、スペイン人一行がグループで14留を巡っていたため、お邪魔することにしました。祈祷文等は全てスペイン語でしたが、彼らのおかげで、14か所を逃さず、じっくりとめぐることが出来ました。
ヴィア・ドロローサを巡ってみて
短いわずか1キロほどの道のりが、聖書に記され、何世紀に渡り、世界の多くの人に知られてきたというのは大変驚くべきことだと思います。実際、聖週間/受難週には、カトリックの各教会に掲げられた14の絵(各「留」を象徴したもの)の前で祈ることがされますが、それがここに展開されていることとは驚きです。この道のりを行くことで宗教的な情熱を思い起こす人も多いのではないかと思いました。キリスト教徒ではない人でも、興味深いものではないかと思います。ただ、聖書の話に馴染みがない場合は、映画 『復活』(キリスト教徒としての目線ではなくて、異教徒から見たイエスという点が興味深い映画です)等を鑑賞して、世界観やその雰囲気などを知ってから訪問するのがよいのではないかと思います。
今回はクリスマスシーズンにヴィア・ドロローサを訪れましたが、聖週間/受難週といわれるイエスのエルサレム入城から十字架刑、復活までの期間は、巡礼者の数もぐっと増えて、全くことなった雰囲気なのではないかと思います。
ヴィア・ドロローサ、途中「留」の印がないため、どこが次の場所であるのかわからない!ということもあります。ガイドを雇うというのも一つの手ではないかと思います。あるいは、このブログを参照頂き、巡っていただければ幸いです。
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