500年!!を迎えた、フィリピンのカトリック:キリスト教を布教したマゼラン来航

 2021年4月14日は、フィリピンで初めてカトリックの洗礼を受けてから500年目となる、フィリピンのカトリック教徒にとっては記念すべき日でした。マゼランは1521年4月7日にセブ島に到着、4月14日に約500人のセブ島民をキリスト教に改宗させ、その後1565年からのスペインによるフィリピンの植民地化と同時にカトリックがミンダナオ島を除く、フィリピン各島に伝播していきます。スペインによる300年の植民地の歴史を苦く思う人は多くおりますが、この与えられた「宗教」を感謝する人は少なくありません。フィリピン、カトリックの伝播、実態そして今に至るまで、しいてはフィリピン人にとってカトリックという宗教とはどういうものなのか!をまとめました。


Is the Magellan's Cross a fake?
(c) My Cebu TV


スペインによるフィリピンの植民地化とキリスト教の布教

1521年4月7日にセブ島に到着したマゼランは、4月14日には約500人のセブ島民をキリスト教に改宗させます。この成功体験から、マゼランはセブ島周辺の王たちもキリスト教への改宗させ、先に洗礼を受けたセブ王への服従を要求するようになりました。また、マゼランは、改宗と服従を要求するため、暴力的な手段をとることもあり、一部の島民は反感を募らせていきました。
4月27日、マゼランはマクタン島の王ラプ・ラプが従わないことから、3隻の小艇に60名の兵を乗せてマクタン島に乗り込みました。ラプ・ラプ王はマゼランの行動を察知しており、1500人の軍勢を配置し迎え撃ち、マゼランの配下たちを撃墜、そしてマゼランも戦死し、マゼランの配下たちは退却しましたが、スペインは1529年にフィリピンの領有をサラゴサ条約をもってポルトガルに認めさせており、フィリピン島民が測り知らない遠方で、土地の領有が決まりました。
それから、暫くして1565年、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ遠征隊がメキシコからセブ島に到着し占領、植民基地を作り、本格的にスペインによるフィリピンの植民地化が始まりました。

二重体制の統治

スペインはフィリピン諸島の一定地域の軍事的な征服を完了後に、宣教師を送りこみ住民の改宗事業を行い、世俗の支配体制と教会の統治体制とを相補的に用いて、相補い合う形で統治を展開していきました。そして、その統治の体制に合わせるように町の作りもそのようにデザインされました。統治組織としてのパロキア(バランガイ/バリオをいくつか統合した)とカトリックの教区は空間的にはほぼ重複していました。バランガイの中心となるバランガイをポブラションといい、その中心には、役場、広場、教会を設置しました。ちなみに、スペインが植民地化した、南米の町々も町の中心地に広場があり、行政府がありそして協会があるという組み合わせです。

住民への布教

順調に思われた住民への布教ですが、様々なこんなんがありました。まず、人々が離れた地域で生活していたことです。山を越えて、一つの集落があり、またその隣の村に行くまでに時間も労力の必要でした。初期の伝道活動は、限られた数のスペイン人修道士たちにより行われていたため、なおさらです。そして、それらの理由に合わせ、異なる言語もスペイン人の修道士たちにとって、挑戦です。フィリピンは、山を一つ隔てると全く異なる言語を話していることもあります。
そして、スペイン体制期には現地語で聖書(聖書はラテン語)はなかったため、聖書がないままで布教活動が行われており、これも布教を困難なものにしました。また、聖職者であったものラテン語の聖書を理解していたわけではなかったため、その代わりに「キリストの受難詩(パッション)」が書かれました。

フィリピンのカトリックの特色

土着の進行に根差したカトリックをフォーク・カトリシズムと呼びます。これは、特にフィリピンに限ったことではありません。遠藤周作の小説「沈黙」の修道士が布教した際に、神の概念が根付かなかったこと、またマリアが、観音菩薩にかすめ取られてしまうようなことが当然フィリピンでも起こっていました。
精霊信仰が盛んであることの類似性から、諸聖人への崇拝が盛んであることが挙げられます。成人に祈りを捧げ、祈願します。特定の神社に行き、安全祈願、受験、交通安全とお願いする感覚に似ているかもしれません。また、先祖の霊を慰める儀式なども盛んです。
カトリシズムとは、普遍的であるという意味ですが、こうした状況はもちろんカトリックの公式的な儀式の一部とされているわけではないものの、フィリピンにおいては日常生活に根付いております。

押しつけられた宗教から国民宗教へ

冒頭で申し上げた通り、「スペイン支配の唯一の利点は、フィリピンにキリスト教を布教したこと」という話は、フィリピン人の友人の何人からも聞いており、彼らの精神的な支柱となっていることを感じます。植民地政府により言わば、押しつけられた、あるいは、わからないままに広がった宗教ですが、現地の精霊信仰と融合し、また、彼らなりのキリスト教観、イエス・キリスト観を形成させてきました。特に、貧しきもの、労働者・・・苦しみの中にいるイエス、あるいは、植民地の圧政に立ち向かう、正義の中にいるイエスと、そのフィリピンの歴史の中で変容を遂げながら、フィリピン人に受容されてきたと思われます。そして、今では国民の約8割がカトリックです。

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