「アルケミスト」の作家パウロ・コエーリョ(Paulo Coelho)による2016年に出版された「スパイ(THE SPY)」。物語の主役は、オランダ人女性マタハリ(Mata Hari)、第一次世界大戦中にスパイ容疑で、処刑されてた人物の生涯を作者の始点で描いたノンフィクションです。
フリースランドはオランダの一部ですが、ゲルマン人の一部族フリース人が住んでいた地域で、固有の言語、フリジア語を用いており、他のオランダの地域とは異なるユニークな地域でもあります。フリジア語は、学校では第二国語として教えられ、行政機関でも用いられている言語です。
マタハリの本当の名前は、マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ(Margaretha Geertruida Zelle)。4人兄弟の長女、裕福な家庭に生まれ、何不自由無く生活していたものの、父親の企業の倒産で、一家は離散します。
長女であるマタ・ハリは人生の早い時期に、自らの生き方を選択することを迫られます。経済的自立のため、幼稚園の先生になるものの、学長が彼女とのスキャンダルのため、施設から追われました。彼女は叔父の家があるデン・ハーグに逃れ、しばらくそこで滞在します。しかし、このスキャンダルにより、彼女は自分自身の魅力を自覚したとも言われています。
しかし、夫婦の溝は、性格と価値観の不一致、夫の不貞などから悪化。更に、さらに息子がその当時雇っていた家政婦によって毒を盛られ、それが原因で亡くなり、帰国後に2人は離婚、7年の結婚生活に終止符を打ちました。
職を求めフランスのパリへ。パーティーの余興で見よう見まねのジャワ舞踊を披露するとそれが受け、ダンサーの話が持ちかけられ、ダンサーへ転身。エキゾチックな容姿を活かし、舞踊を披露、しかも胸の装飾部分を除いては完全にヌード。斬新なスタイルと踊りで好評を博し、興行的にも成功を収めました。
昔のパリは、文化の中心地で、当時の文化人が集まった場所だったため、評判はまたたく間に広がり、最初は小さなサロンで踊りを披露している程度でしたが、やがて活動の場は欧州中に広がり、イタリア、ドイツ、オーストリア等でも公演し、一躍人気ダンサーとなりました。そのころから、名前もマタ・ハリ(日の目※マレー語でマタは目、ハリは日の意味)と名乗るようになりました。
このような中で、マタハリは、国際的な諜報の道具になっていきます。多くの高級士官あるいは政治家を相手とする高級娼婦でもあったマタハリに近づいたのがドイツ、フランスからの諜報活動を行うように2万フランで依頼。また、一方でフランスも同様にマタハリに、二重スパイとして諜報活動を依頼しました。
1917年2月、彼女はフランスにおいて二重スパイとして第一次世界大戦で多くのドイツ人、およびフランス人兵士を死に至らしめたとの容疑で起訴されました。その逮捕は、ドイツの在スペイン駐在武官がマタ・ハリを暗号名「H-21」なるドイツのスパイとした通信がフランスによって解読されたことからなされました。
マタハリによって、輸送船がドイツのUボートにより沈められた、戦況が不利になったとの理由でしたが、実際のところマタハリはスパイらしい活動は全くしていませんでした。証拠もないまま裁判は進み、フランスの不利な戦況の責任を全て負わされるように、銃殺刑で亡くなりました。
悲惨なインドネシアの結婚生活から得た教訓は、夫という庇護者に頼らず、結婚という形式、世の中の規範にとらわれず、自らの足で立ち、生きていくこと。踊りの披露、娼婦として金銭や高価なアクセサリーを得た行為も、一人で生き、自己実現をしていくための方法。
マタハリからすると、周りの男どもは、見栄や虚勢を張りたがる、大変つまらない男に見えたのでしょう。交流のあった大家ピカソでさえ、下品でくだらない男として描かれています。このように描くと、マタハリは男を見下している女性にも見えますが、実際はそうでもなく、愛されることを欲した女性であったと作中から読むこともできます。
進歩的な女性は、今の時代にあっては珍しくないかもしれませんが、大きな戦争があり、社会が大きくゆれ動き、女性がまだまだ男性の付属物のような時代にあって(今もそういう部分はあるが)、圧倒的な少数者でした。そして、望むように生きたいが故に払った代償が大きな人生でした。
主人公の語りや手紙などを中心に語られる生涯は、とても主観的でかつ感情的だけど、そういう始点から見て、マタハリが今までとは違うふうに見えてくるのが不思議だ。やはりプロの作家の故であろうか。
色々書きましたが、それほど深く考えず、手にとって読んでみるのも良いのではないかと思いました。ページ数も少なく、薄いので、英語で読んでみるのも良いかもしれません。
オランダのレーワーデンにはマタハリの生家が、またハーグには、処刑される1917年の前、1915年から1916年に居住した場所がエッシャーハウス近く(Nieuwe Uitleg 16, Den Haag)に残されていますので、オランダ訪問時に立ち寄ってみるのもよいのではないかと思います。(ヨーロッパの家屋は築100年以上という家が少なくないため、このような場所も残されており、オランダのハーグには、哲学者スピノザが生活したという家屋も残されています。)
女スパイの代名詞である彼女ですが、その生涯については、あまり知られておらず、この小説はそんな彼女を掘り下げ、「一人の女性」として生きようとした主人公の人生が書かれている点で、好感が持てた書籍です。
物語はノンフィクション、そのため、諸々のエピソードはコエーリョ流ですが、マタハリとはどのような人物だったのか、どうしてスパイとなったのか、この物語を通じて、史実が気になり、マタハリという人物の生涯、当時の社会状況を調べたくなりました。
物語はノンフィクション、そのため、諸々のエピソードはコエーリョ流ですが、マタハリとはどのような人物だったのか、どうしてスパイとなったのか、この物語を通じて、史実が気になり、マタハリという人物の生涯、当時の社会状況を調べたくなりました。
オランダ人、マルガレータ
エキゾチックで妖艶な容姿と衣装で、第一次世界大戦中国籍が異なる多くの男性を魅了したマタハリですが、実はオランダ北部のフリースランド、レーワルデン(フリースランド州の州都)で生まれたオランダ人。マタハリを写した有名な写真、その容姿から、どこの出身だろうか?と思っていたので、オランダ人ということを知って、なーんだと思ったのですが、フリースランド出身と聞いて、へぇと思いました。フリースランドはオランダの一部ですが、ゲルマン人の一部族フリース人が住んでいた地域で、固有の言語、フリジア語を用いており、他のオランダの地域とは異なるユニークな地域でもあります。フリジア語は、学校では第二国語として教えられ、行政機関でも用いられている言語です。
オランダ北部のフリースランド州の旗、州都はレーワルデン 州の旗、ハートマークでなんだかとっても可愛い |
マタハリの本当の名前は、マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ(Margaretha Geertruida Zelle)。4人兄弟の長女、裕福な家庭に生まれ、何不自由無く生活していたものの、父親の企業の倒産で、一家は離散します。
長女であるマタ・ハリは人生の早い時期に、自らの生き方を選択することを迫られます。経済的自立のため、幼稚園の先生になるものの、学長が彼女とのスキャンダルのため、施設から追われました。彼女は叔父の家があるデン・ハーグに逃れ、しばらくそこで滞在します。しかし、このスキャンダルにより、彼女は自分自身の魅力を自覚したとも言われています。
結婚、そして離婚、パリの社交界へ
マルガレータ19歳の時、新聞に掲載された結婚相手募集の広告に応募し(!)、21歳年上のオランダ軍将校ルドルフ・ジョン・マクリード大尉と結婚。結婚後、夫に伴い駐留先のインドネシアへ帯同し、その間に男子女子の2児を儲けました。しかし、夫婦の溝は、性格と価値観の不一致、夫の不貞などから悪化。更に、さらに息子がその当時雇っていた家政婦によって毒を盛られ、それが原因で亡くなり、帰国後に2人は離婚、7年の結婚生活に終止符を打ちました。
職を求めフランスのパリへ。パーティーの余興で見よう見まねのジャワ舞踊を披露するとそれが受け、ダンサーの話が持ちかけられ、ダンサーへ転身。エキゾチックな容姿を活かし、舞踊を披露、しかも胸の装飾部分を除いては完全にヌード。斬新なスタイルと踊りで好評を博し、興行的にも成功を収めました。
昔のパリは、文化の中心地で、当時の文化人が集まった場所だったため、評判はまたたく間に広がり、最初は小さなサロンで踊りを披露している程度でしたが、やがて活動の場は欧州中に広がり、イタリア、ドイツ、オーストリア等でも公演し、一躍人気ダンサーとなりました。そのころから、名前もマタ・ハリ(日の目※マレー語でマタは目、ハリは日の意味)と名乗るようになりました。
スパイ活動
人生上り坂というときもあれば下り坂ということも。一世風靡したマタハリの踊りもスタイルも模倣が繰り返され、観客には飽きられ、以前のような公演は以前のような成功が見られなくなりました。また、時は世界大戦と重なり、華やかな公演は控えられるようになり、彼女の活躍の場は益々狭くなっていきました。このような中で、マタハリは、国際的な諜報の道具になっていきます。多くの高級士官あるいは政治家を相手とする高級娼婦でもあったマタハリに近づいたのがドイツ、フランスからの諜報活動を行うように2万フランで依頼。また、一方でフランスも同様にマタハリに、二重スパイとして諜報活動を依頼しました。
1917年2月、彼女はフランスにおいて二重スパイとして第一次世界大戦で多くのドイツ人、およびフランス人兵士を死に至らしめたとの容疑で起訴されました。その逮捕は、ドイツの在スペイン駐在武官がマタ・ハリを暗号名「H-21」なるドイツのスパイとした通信がフランスによって解読されたことからなされました。
マタハリによって、輸送船がドイツのUボートにより沈められた、戦況が不利になったとの理由でしたが、実際のところマタハリはスパイらしい活動は全くしていませんでした。証拠もないまま裁判は進み、フランスの不利な戦況の責任を全て負わされるように、銃殺刑で亡くなりました。
パウロ・コエーリョの描くマタハリ
上記が、人々の知るマタハリで、愛欲にまみれた女性として理解されますが、コエーリョの描くマタハリは、自立した人生を生きようとする一人の女性のように見えます。悲惨なインドネシアの結婚生活から得た教訓は、夫という庇護者に頼らず、結婚という形式、世の中の規範にとらわれず、自らの足で立ち、生きていくこと。踊りの披露、娼婦として金銭や高価なアクセサリーを得た行為も、一人で生き、自己実現をしていくための方法。
マタハリからすると、周りの男どもは、見栄や虚勢を張りたがる、大変つまらない男に見えたのでしょう。交流のあった大家ピカソでさえ、下品でくだらない男として描かれています。このように描くと、マタハリは男を見下している女性にも見えますが、実際はそうでもなく、愛されることを欲した女性であったと作中から読むこともできます。
進歩的な女性は、今の時代にあっては珍しくないかもしれませんが、大きな戦争があり、社会が大きくゆれ動き、女性がまだまだ男性の付属物のような時代にあって(今もそういう部分はあるが)、圧倒的な少数者でした。そして、望むように生きたいが故に払った代償が大きな人生でした。
好き嫌いはあるかもしれませんが・・・
パウロ・コエーリョの本は出版される度、機会があれば読んでいます。ものすごく良かった、共感したという本もあれば、まずまずという本もあります。作者の本は読者の置かれている状況や、年齢、性別等により、受け止められ方が異なるのではないかと思います。主人公の語りや手紙などを中心に語られる生涯は、とても主観的でかつ感情的だけど、そういう始点から見て、マタハリが今までとは違うふうに見えてくるのが不思議だ。やはりプロの作家の故であろうか。
色々書きましたが、それほど深く考えず、手にとって読んでみるのも良いのではないかと思いました。ページ数も少なく、薄いので、英語で読んでみるのも良いかもしれません。
オランダの家ーマタハリ縁の場所
オランダのレーワーデンにはマタハリの生家が、またハーグには、処刑される1917年の前、1915年から1916年に居住した場所がエッシャーハウス近く(Nieuwe Uitleg 16, Den Haag)に残されていますので、オランダ訪問時に立ち寄ってみるのもよいのではないかと思います。(ヨーロッパの家屋は築100年以上という家が少なくないため、このような場所も残されており、オランダのハーグには、哲学者スピノザが生活したという家屋も残されています。)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
0 件のコメント :
コメントを投稿