グラム・カシア(Guram Kashia)選手は今年8月、UEFA #EqualGame Awardを受賞しました。同氏は、オランダ・ヘルダーラント州・アーネムを本拠地とするサッカークラブチーム、フィテッセで主将をつとめ、またジョージア代表チームでも主将をつとめていたため、「キャプテン」と呼ばれています。のちアメリカカリフォルニアのサンノゼ・アースクエイクスに移籍、今週末トビリシで行われる試合にも出場します。
グラム選手はLGBTQ*を支援を表明することで、ヨーロッパのサッカーにおける多様性、包含性を促進し、そのように行動する選手に贈られるUEFA#EqualGame Awardの最初の受賞者となりました。
サッカー選手として様々な地域に赴き、時にはそれらの国で長期にわたり生活する中で、多様な人々と出会い、LGBTQへの積極的な支援に変わったようである。グラム自身は、ゲイではないのですが、いわゆるAlly (同盟者)とのことです。
虹の腕章をつけて行ったプレーに対して、祖国ジョージア国内で抗議デモ、暴動が起こる他、ジョージアサッカー連盟の本部の外で虹の旗(rainbow flag)は燃やされ、グラム選手は脅迫され、国代表から外されたことなど一連の出来事は、ジョージア社会全体を揺るがしました。
同性愛について言及するなら、宗教においては一般的(といってよいのかわかりませんが)異なる者が結合するという性の補完性という性格、次の命を生み出す営みは神の意思であるとしています。そのため、同性間の性行為はこの枠組みから外れると考えられています。
しかし、「聖書」に根拠を置いて、同性愛に反対する立場を表明する人もいますが、実際は膨大な書物であり、当時の文化や風習に依存して書かれている部分も多いため、字義をとらえて、同性愛反対の根拠とすることも難しいようです。
また一方において、近年の欧米諸国において、それらは生まれつきの指向であり、不当な扱いをされるべきではないとの認識が広まりつつありますが、そうした考えの広がりは社会の文化的に文脈に依存しており、慣れ親しんだ社会のあり方(文化・行動パターン)から距離を置き、批判的にとらえるリベラルな人たちに許容される傾向があります。
ジョージア正教の影響が強いジョージアにおいて、LGBTQはリベラルに許容される傾向にあり、この傾向は他の国と同じです。しかしその中で、そのサポートを大っぴらにアピールしている人は多くはないようです。
それは、ジョージアにおける人間集団のあり方の特殊性によると思われます。ジョージアには、エリートとノン・エリートがおり、そのエリートの中にも保守とリベラルがいるものの、エリートの多くは親欧米というバブルの中にあるため、欧米のリベラルな考え方に依拠する傾向があるとみてよいと思います。そのため、親欧米=リベラル=LGBTQサポートとなります。
その「価値を共有」する集団の支持はある種、暗黙の了解のような部分があります。特に、高学歴エリートは社会問題に対しては頻繁にSNS上でクローズドのコミュニケーションをとり、団結する傾向にあります。
一方で、建て横斜めに張り巡らされた、親族と友人のネットワークがあり、それらの中では一定の関係を維持しつつも、「価値の表明」には慎重です。ジョージアでは、友人の友人の友人は遠縁であったり、友人のボスは元ボスであったりと、とにかく「知り合い」を見つけることは難しくありません。そんな中で、円滑な人間関係を築き、社交性を保つためには、自らの意見を表明せず、注意深く行動する心理が働くと考えられます。
そういう意味で、グラム・カシア(Guram Kashia)選手が虹の腕章をつけて試合に出場するという行為が与えたインパクトは大きなものです。同選手は、経済移民としてヨーロッパ(特にイタリアやギリシャに多い)に赴き、送金をしているジョージア人の誇りとして、その存在のシンボル性は極めて大きなものであることが予想されます。つまり、彼の元々の支持はノン・エリートにも及んでいる点、その彼がリベラルな価値表現を世界の舞台で行ったことへの意味は大きいと想像に難くありません。
(フィリピン的に言えば、ボクシングのパッキャオが世界タイトルマッチで、虹のマントをはおってリングに向かうようなものでしょうか。)
「虹の腕章」がジョージア社会「LGBTQ」という視点を投げ入れたと思われます。この分かりやすいシンボル、そしてある種のファッション性が浅く社会に浸透しながら、この社会に根付いていくのにどれほど時間がかかるのかは分かりませんが、選手のプレーが一石を投じたことは間違いありません。
Guram Kashia: Georgia captain becomes first recipient of Uefa #EqualGame award
https://www.bbc.com/sport/football/45274881
It was not my initiative to wear the armband - Guram Kashia
http://www.ipn.ge/en/society/90975-it-was-not-my-initiative-to-wear-the-armband-guram-kashia.html?ar=A&rund=1536357495
グラム選手はLGBTQ*を支援を表明することで、ヨーロッパのサッカーにおける多様性、包含性を促進し、そのように行動する選手に贈られるUEFA#EqualGame Awardの最初の受賞者となりました。
虹の腕章
昨年10月、オランダのプロサッカー最上位リーグ、エールディヴィジでグラム・カシア(Guram Kashia)がLGBTQのコミュニティのシンボルである虹の腕章を身に着けプレーしました。虹の腕章にCaptainの文字が。 |
虹の腕章をつけて行ったプレーに対して、祖国ジョージア国内で抗議デモ、暴動が起こる他、ジョージアサッカー連盟の本部の外で虹の旗(rainbow flag)は燃やされ、グラム選手は脅迫され、国代表から外されたことなど一連の出来事は、ジョージア社会全体を揺るがしました。
宗教とLGBTQ
この背景には、ジョージア社会に強く根付いているキリスト教文化が理由となっています。キリスト教に限りませんが宗教的には、LGBTQ、とりわけ同性愛に対して、逸脱であるとし、宗教上の罪とされてきました。同性愛について言及するなら、宗教においては一般的(といってよいのかわかりませんが)異なる者が結合するという性の補完性という性格、次の命を生み出す営みは神の意思であるとしています。そのため、同性間の性行為はこの枠組みから外れると考えられています。
しかし、「聖書」に根拠を置いて、同性愛に反対する立場を表明する人もいますが、実際は膨大な書物であり、当時の文化や風習に依存して書かれている部分も多いため、字義をとらえて、同性愛反対の根拠とすることも難しいようです。
また一方において、近年の欧米諸国において、それらは生まれつきの指向であり、不当な扱いをされるべきではないとの認識が広まりつつありますが、そうした考えの広がりは社会の文化的に文脈に依存しており、慣れ親しんだ社会のあり方(文化・行動パターン)から距離を置き、批判的にとらえるリベラルな人たちに許容される傾向があります。
グラム・カシア(Guram Kashia)選手が与えた影響
ここジョージアにおいてもコミュニティがあり、リベラルな人たちの社交の場となっているようです。しかし、同国においてLGBTQに対する風当たりは強く、今週末にグラム・カシア(Guram Kashia)選手が参戦するトビリシで行われるサッカーの試合では、LGBTQのコミュニティの人たちと「保守」と名乗る人たちが同じスタジアムに集うと言われており、サッカーコートの試合と同様、あるいはそれ以上に白熱する可能性があります。ジョージア正教の影響が強いジョージアにおいて、LGBTQはリベラルに許容される傾向にあり、この傾向は他の国と同じです。しかしその中で、そのサポートを大っぴらにアピールしている人は多くはないようです。
それは、ジョージアにおける人間集団のあり方の特殊性によると思われます。ジョージアには、エリートとノン・エリートがおり、そのエリートの中にも保守とリベラルがいるものの、エリートの多くは親欧米というバブルの中にあるため、欧米のリベラルな考え方に依拠する傾向があるとみてよいと思います。そのため、親欧米=リベラル=LGBTQサポートとなります。
その「価値を共有」する集団の支持はある種、暗黙の了解のような部分があります。特に、高学歴エリートは社会問題に対しては頻繁にSNS上でクローズドのコミュニケーションをとり、団結する傾向にあります。
一方で、建て横斜めに張り巡らされた、親族と友人のネットワークがあり、それらの中では一定の関係を維持しつつも、「価値の表明」には慎重です。ジョージアでは、友人の友人の友人は遠縁であったり、友人のボスは元ボスであったりと、とにかく「知り合い」を見つけることは難しくありません。そんな中で、円滑な人間関係を築き、社交性を保つためには、自らの意見を表明せず、注意深く行動する心理が働くと考えられます。
そういう意味で、グラム・カシア(Guram Kashia)選手が虹の腕章をつけて試合に出場するという行為が与えたインパクトは大きなものです。同選手は、経済移民としてヨーロッパ(特にイタリアやギリシャに多い)に赴き、送金をしているジョージア人の誇りとして、その存在のシンボル性は極めて大きなものであることが予想されます。つまり、彼の元々の支持はノン・エリートにも及んでいる点、その彼がリベラルな価値表現を世界の舞台で行ったことへの意味は大きいと想像に難くありません。
(フィリピン的に言えば、ボクシングのパッキャオが世界タイトルマッチで、虹のマントをはおってリングに向かうようなものでしょうか。)
「虹の腕章」がジョージア社会「LGBTQ」という視点を投げ入れたと思われます。この分かりやすいシンボル、そしてある種のファッション性が浅く社会に浸透しながら、この社会に根付いていくのにどれほど時間がかかるのかは分かりませんが、選手のプレーが一石を投じたことは間違いありません。
*LGBTQ? - LGBTじゃないの?
人々はしばしばLGBTQを使って、 "LGBTTTQQIAA"に含まれるすべてのコミュニティを意味するとのこと。LGBTQとはLesbian (レズビアン)、Gay(ゲイ)Bisexual (バイセクシュアル)、Transgender(トランスジェンダー)、Transsexual (トランスセクシュアル)、Two-Spirit (2スピリット /2つの魂を持つ人:北アメリカの先住民で様々な性役割を生きる人)、Queer (クイア)、Questioning (クエスチョニング:自身の性自認や性的指向が定まっていない人)、Intersex (インターセックス)、Asexual (アセクシャル:特に恋愛感情や性的欲求を持たない人)、Ally (同盟者:自らがLGBTQでは無いけれど彼らの活動を支持し、支援している人)の頭文字。Guram Kashia: Georgia captain becomes first recipient of Uefa #EqualGame award
https://www.bbc.com/sport/football/45274881
It was not my initiative to wear the armband - Guram Kashia
http://www.ipn.ge/en/society/90975-it-was-not-my-initiative-to-wear-the-armband-guram-kashia.html?ar=A&rund=1536357495
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