[ジョージア] ジョージアの古城ーラバティ城(Rabati Castle)in アハルツィヘ(Akhaltsikhe)

アハルツィヘ(Akhaltsikhe)は、ジョージア南部の歴史ある都市。サムツヘ=ジャヴァヘティ州の州都で、人口20,000人ほどを有しています。アルメニアの国境からも近く、古くから文明の要所として栄えました。中世に建造された教会や修道院などが今も残っております。BTCパイプラインと南コーカサス・ガスパイプラインはこのエリアを通っています。

オスマン帝国、ロシア領をへて、現在に至っており、同都市内にはそれらの時代の歴史的な建造物なども残されています。アハルツィヘの見どころの一つ、ラバティ城(Rabati Castle)を紹介します。
ラバティ城(Rabati Castle)
アハルツィヘ(Akhaltsikhe)、ラバティ城(Rabati Castle)の城内

アハルツィヘ、ラバティ城(Rabati Castle)

アハルツィヘは、ポツホヴィ川の両岸に位置し、北岸が旧市街、南岸が新市街に分かれています。ラバティ城(Akhaltsikhe Castle)は、ポツホヴィ川の北部に位置しています。
サーカシヴィリ政権時代に修復され、現在はお城のような複合施設となっています。都市が発行した「AKHALTSIKHE MUNICIPALITY」では、アハルツィヘ城(Akhaltsikhe Castle)として紹介されています。

有料と無料のエリアに分かれており、無料の領域にホテル、レストラン、ワインショップがあります。有料エリアへのチケットは5ラリで入場できます。
アハルツィヘ城(Akhaltsikhe Castle)無料エリア、ホテル
アハルツィヘ城(Akhaltsikhe Castle)無料エリア、ホテル
有料エリアである城内には、イスラム寺院(モスク)、イスラムの教育施設マドラサ、チャペル、織物・カーペットの展示(別料金)もあります。モスクには、キリスト教の寺院として使われた痕跡も残されています。
ラバティの中のモスク
ラバティの中のモスク
オスマン帝国統治時代に建設されたモスクの内部は、メッカの方向(キブラ)を示す壁の窪み・ミフラーブが見られると同時に、後にオスマン帝国が去った後キリスト教の聖堂として利用されたため祭壇の跡が見られます。


モスクの中のミフラーブ
モスクの中のミフラーブ

キリスト教の聖壇の跡
キリスト教の聖壇の跡



ラバティの中のマドラサ
ラバティの中のマドラサ

ラバティ城(Rabati Castle)展示
ラバティ城(Rabati Castle)展示
また、奴隷たちが閉じ込められ、売られるまでの期間すごした牢屋が残されています。入り口に一歩入ると、じめっとした風を感じ、牢屋施設内は一歩入るとぐっと涼しくなります。
ラバティ城の牢屋入り口
ラバティ城の牢屋入り口
牢屋内部は、内部はわずかな光が届くだけの小窓があるだけです。床は土です。 
ラバティ城、牢屋内部
ラバティ城、牢屋内部
またお城は小高い丘の上に位置しているため、街を見渡すことができます。城からは、ジョージアカトリック教会、ユダヤ教のシナゴーク、ジョージア正教の教会などが見えます。

この地の略史

9世紀にグアラム・マンパル(Guaram Mampal)、タオの王の息子によって都市が作られました。 13世紀から14世紀末にかけて、ジョージア王朝の皇族ジャケリ家によって統治されました。

1393年、街はモンゴル系のティムール(Tamerlane)の軍隊によって攻撃されました。 ティムールやオスマン帝国の幾たびもの侵攻にもかかわらず、街は繁栄し続けました。この要塞はオスマン帝国によって征服されるまでロミサ城と呼ばれていました。

1590年にコンスタンティノープル条約が締結された後、サムツェケ・サタバゴの全領土はオスマン帝国の統治下に置かれました。1752年に最初のモスクがラバティに建設されました。モスクの隣にマドラサも建設されました。

オスマン帝国は、1828年から1829年にかけての露土戦争の講和条約(アドリアノープル条約)により、ロシアの領有を承認しました。
アハルツィヘの戦い
アハルツィヘの戦いを描いた絵画
要塞、城は一部を残して、廃墟となっていました。要塞の修繕はサーカシヴィリ政権の時に決定され、2011年5月に工事が始まり、修繕工事は7ヘクタールをカバーしました。

建築家やエンジニアは、この歴史的建造物を、アーカイブの素材や画像を使って復元しし、 2012年8月にオープンしました。
ラバティ城(Rabati Castle)
ラバティ城(Rabati Castle)
ラバティ城(Rabati Castle)
ラバティ城(Rabati Castle)内部


アハルツィヘ(Akhaltsikhe)観光


その地理的な要所として栄えたアハルツィヘでは、その行政地域内で文化・歴史的な遺跡155か所が発見されています(AKHALTSIKHE MUNICIPALITY)。

ラバティ城(Rabati Castle)と合わせてジャケリスの古城、聖マリネ教会、サパラ修道院(中心から10キロ)などが見られます。また、毎年6月30日には、「聖シャルバ(Shalva Akhaltsikhe)の日」が祝われます。シャルバは、中世の軍人・貴族、のちにジョージア正教会で聖人です。祭りでは、民族舞踏や剣術の実演などのプログラムが用意されており、街の一大イベントです。

ボルジョミの国立公園で自然を愉しみ、アハルツィへで、ラバティ城、サパラ修道院などの観光を楽しんだ後、ヴァルジアの観光を愉しむというコースも。ジョージア観光の際は、アハルティヘまで足を延ばしてみてはどうでしょうか。

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