「山下財宝を探しにきたの?」
フィリピンに生活しているときに、フィリピン人の知人、友人にときどき、言われた冗談のひとつです。これは、いつもボケに困るツッコミで、今でも気の利いたボケを言えずになんとも気まずい思いをすることがしばしばです。
山下財宝とは、その山下奉文大将率いる日本軍が終戦時にフィリピンに埋められたとされる莫大な埋蔵金伝説のことです。はじめは都市伝説と理解しており、話の広がり方、パターンなどを考えると、それが妥当と思われます。多くのフィリピン人の話では、日本語で描かれた地図を元にして、大きな石を動かしたら、金塊が出てきた、穴を掘ったら金塊が、などと実しやかに言われます。
一方で、金塊による兵站維持の計画があり、太平洋戦争当時大本営の情報参謀を務めた堀栄三がその著に記しています。金塊を鋳造が可能なコインにしてフィリピンに持ち込み、日本軍が撤退するときにも、山中に移送しました。しかし真実は、移送に関わった兵士が亡くなっており、やぶの中。
山下財宝を含め、フィリピンに眠るお宝を巡ってトレジャーハンターが、各地を探索しています。トレジャーハントとは、なんとも壮大でロマンがある話。採掘作業は、かなりの人手も必要、財が必要です。
山下財宝探索を巡るトラブルも報告され、その事情をふまえ2007年から認可制となりました。採掘作業が結果的に森林を破壊し、その周辺に生活する住民の洪水などの災害リスクを引き上げ、また採掘現場で作業員が窒息死するという事件も起こっています。
許可の対象となるのはフィリピン国民もしくは資金保証のある団体(外国人も可)で、発掘にあたっては地主等の事前の許可と土地保全のための保証金の供託義務も生じます。実は、日本人のトレジャーハンターもおります。
フィリピン環境天然資源省(The Department of Environment and Natural Resources: DENR)へ10,000ペソを支払い許可を得て、採掘にあたっています。採掘に関する法は2004年に整備されました。有効期限は1年、申請すれば1年の延長も可能。
トレジャーハンターが見つけたお宝については、以下のように権利の配分が取り決められました。
a. 文化遺産と判断された場合→国により全て没収
b. 公有地で発見された場合→政府が75%、発掘者が25%
c. 私有地で発見された場合→政府が30%、発掘者と地主で70%
(Section 7)
「もっとも重要な財産は自然環境。ありもしない宝探しで、破壊しないでほしい」と同省は述べています。
山下財宝は、トレジャーハンターのお宝探しの一つのオプションのみならず、フィリピン政治にも関わってきます。
アメリカの新聞The Bulletin、1992年2月3日付けの新聞で、マルコス一族の莫大な財産が山下財宝の発掘によるものだと釈明しています。故マルコス大統領がその事実を知らせなかったのは、発見した財があまりにも膨大で、公に発表できるものではないと考えたためとし、20年間の独裁政権で不正蓄財で財をなしたマルコス一族への批判に対する反応です。イメルダ夫人曰く、その莫大な財宝(金塊)は、金の交換比率がよいときに換金を行い、国の経済の立て直しに使われたと証言しています。
1987年アキノ大統領時代にKas Vegas Firmに権限を与え、マニラに隠してあると言われる金塊の探索を命じました。金塊が見つかる可能性が限りなく低く、一か月後に調査は打ち切られました。しかし同企業は、アキノ政権に協力し金塊を見つける手助けしたものの、マルコス一族への裏切り行為となるために止めたと発表しています。企業の記者発表の内容がなんだかすっきりしません。
換金で残った額は、ルソン島北部のマルコスの家に隠されたといわれます。真相はわかっていません。
しかし数日後、強盗によって略奪されてしまいました。強盗は当時のマルコス政権によって差し向けられた者たち。黄金の像を彼から奪うための行為でした。警察に被害届を出すと、政府が「偽物」の像を作ってロジェリオに引き取るにように言いますが、もちろん彼は納得しません。最終的に彼は誘拐、拷問され、残りの金塊の場所も無理やり供述させられました。後日、彼は開放されますが、すさまじい拷問で彼には麻痺が残りました。
最終的に宝は彼の元には戻りませんでした、マルコスが政権を追われハワイに亡命中に裁判を起こし、マルコスとその妻イメルダに賠償金の支払いを命じています。
怪奇現象は、採掘に使用する機会が突然使えなくなったり、誰もいないはずの作業現場で人の気配を感じたり、そして作業員は何者かに足をつかまれたり、そんなこともあり、作業員の数は激減したとのことでした。
日本から来た霊能者が霊視をすると青年兵が終戦後の今も強い使命感のもと、場所を守っているとのこと。怪奇現象の謎を解き明かし、供養して、番組は終了するのですが、ここでもやはり日本軍の隠した埋蔵金がことの発端になってます。
フィリピン人は基本的に幽霊を信じます。(ここヨーロッパでそんなことを言うと、大概は笑われます)なので、やっぱり日本兵の霊がいまもフィリピンにさまよっているんだ!と信じられます。ちなみに、フィリピンの怪談話のひとつのバージョンが日本兵の幽霊です。
こう理解すると、フィリピン人の放つ冗談が時に、強烈な皮肉があることが理解できると思います。もちろん皆が皆、皮肉っているというわけではありませんが、こうした背景を知っていることで、フィリピンが国として通過した受難(スペイン、アメリカ、イギリス、日本の占領)の歴史と、国民の精神を少しながらも知ることができると思います。
さて、著者は冗談に対しては、そんなの都市伝説だよとあしらうこともあり、「日本語で描かれている地図があったら“破格”で翻訳してあげるよ」と返したりしています。しかし、実際の地図は暗号で書かれており、日本人でも容易には理解できないようです。
宝探しのロマンをフィリピンで体験してみるのもどうでしょうか?
参考
http://www.mgb.gov.ph/images/stories/dao2004-33.pdf
フィリピンに生活しているときに、フィリピン人の知人、友人にときどき、言われた冗談のひとつです。これは、いつもボケに困るツッコミで、今でも気の利いたボケを言えずになんとも気まずい思いをすることがしばしばです。
宝イメージ エンディング前の宝箱 ウェブサイトぱくたそより(c)カズキヒロ |
山下財宝ってそもそも何?
フィリピン人が日本人に出会ったときにいうお決まりの冗談の一つが、山下財宝(Yamashita Treasure)。しかし、日本人にはあまりなじみがありません。そもそも、日本がお隣の朝鮮半島や中国だけではなく、東南アジアにも侵攻し、占領していたことは、学校の現代史ではあまり習いませんので、人によっては山下財宝の山下さんって、どなた?となるかもしれません。(日本の侵略行為云々に関しては、大学院の職員が言っていたことです。)山下奉文大将とは
山下奉文大将は第二次世界大戦の陸軍将校。日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦、「マレーの虎」の司令官。のちに満州、そして敗戦色色濃い1944年にフィリピンに在留する日本軍を指揮します。1945年(昭和20年)9月3日フィリピンのバギオにて降伏、シンガポール華僑虐殺事件、マニラ大虐殺等の責任を問われ、死刑判決を受けます。山下財宝とは、その山下奉文大将率いる日本軍が終戦時にフィリピンに埋められたとされる莫大な埋蔵金伝説のことです。はじめは都市伝説と理解しており、話の広がり方、パターンなどを考えると、それが妥当と思われます。多くのフィリピン人の話では、日本語で描かれた地図を元にして、大きな石を動かしたら、金塊が出てきた、穴を掘ったら金塊が、などと実しやかに言われます。
一方で、金塊による兵站維持の計画があり、太平洋戦争当時大本営の情報参謀を務めた堀栄三がその著に記しています。金塊を鋳造が可能なコインにしてフィリピンに持ち込み、日本軍が撤退するときにも、山中に移送しました。しかし真実は、移送に関わった兵士が亡くなっており、やぶの中。
トレジャーハンター(宝探し、冒険家)?
トレジャーハンターのイメージ 財宝だぜヒャッハーするあひるちゃん (c) すしぱく |
山下財宝を含め、フィリピンに眠るお宝を巡ってトレジャーハンターが、各地を探索しています。トレジャーハントとは、なんとも壮大でロマンがある話。採掘作業は、かなりの人手も必要、財が必要です。
山下財宝探索を巡るトラブルも報告され、その事情をふまえ2007年から認可制となりました。採掘作業が結果的に森林を破壊し、その周辺に生活する住民の洪水などの災害リスクを引き上げ、また採掘現場で作業員が窒息死するという事件も起こっています。
許可の対象となるのはフィリピン国民もしくは資金保証のある団体(外国人も可)で、発掘にあたっては地主等の事前の許可と土地保全のための保証金の供託義務も生じます。実は、日本人のトレジャーハンターもおります。
フィリピン環境天然資源省(The Department of Environment and Natural Resources: DENR)へ10,000ペソを支払い許可を得て、採掘にあたっています。採掘に関する法は2004年に整備されました。有効期限は1年、申請すれば1年の延長も可能。
トレジャーハンターが見つけたお宝については、以下のように権利の配分が取り決められました。
a. 文化遺産と判断された場合→国により全て没収
b. 公有地で発見された場合→政府が75%、発掘者が25%
c. 私有地で発見された場合→政府が30%、発掘者と地主で70%
(Section 7)
「もっとも重要な財産は自然環境。ありもしない宝探しで、破壊しないでほしい」と同省は述べています。
山下財宝とマルコス一族
アメリカの新聞The Bulletin、1992年2月3日付けの新聞で、マルコス一族の莫大な財産が山下財宝の発掘によるものだと釈明しています。故マルコス大統領がその事実を知らせなかったのは、発見した財があまりにも膨大で、公に発表できるものではないと考えたためとし、20年間の独裁政権で不正蓄財で財をなしたマルコス一族への批判に対する反応です。イメルダ夫人曰く、その莫大な財宝(金塊)は、金の交換比率がよいときに換金を行い、国の経済の立て直しに使われたと証言しています。
1987年アキノ大統領時代にKas Vegas Firmに権限を与え、マニラに隠してあると言われる金塊の探索を命じました。金塊が見つかる可能性が限りなく低く、一か月後に調査は打ち切られました。しかし同企業は、アキノ政権に協力し金塊を見つける手助けしたものの、マルコス一族への裏切り行為となるために止めたと発表しています。企業の記者発表の内容がなんだかすっきりしません。
換金で残った額は、ルソン島北部のマルコスの家に隠されたといわれます。真相はわかっていません。
ロジェリオ・ロハス(Rogelio Roxas)と黄金の仏像
山下財宝の噂を聞きながら育ったのがロジェリオ・ロハス。1943年に生まれた彼は、時価何億円もする財宝が故郷のフィリピン、ルソン島北部のバギオに眠っていると確信し、自ら調査をはじめ、数十年の後全ての財を費やして財宝を探索、そしてついに「黄金の仏像」を発見しました。しかし数日後、強盗によって略奪されてしまいました。強盗は当時のマルコス政権によって差し向けられた者たち。黄金の像を彼から奪うための行為でした。警察に被害届を出すと、政府が「偽物」の像を作ってロジェリオに引き取るにように言いますが、もちろん彼は納得しません。最終的に彼は誘拐、拷問され、残りの金塊の場所も無理やり供述させられました。後日、彼は開放されますが、すさまじい拷問で彼には麻痺が残りました。
最終的に宝は彼の元には戻りませんでした、マルコスが政権を追われハワイに亡命中に裁判を起こし、マルコスとその妻イメルダに賠償金の支払いを命じています。
日本兵の亡霊と山下財宝
テレビ朝日の 「特捜!“魔界潜入!!怪奇心霊(秘)ファイル」、所謂オカルト系の番組で、これまでいろいろな心霊現象を検証し、解決(供養等)を試みてきました。その番組で、呪われた埋蔵金伝説と題して、フィリピンで財宝の発掘現場に起こる怪奇現象が取り上げられたことがあります。怪奇現象は、採掘に使用する機会が突然使えなくなったり、誰もいないはずの作業現場で人の気配を感じたり、そして作業員は何者かに足をつかまれたり、そんなこともあり、作業員の数は激減したとのことでした。
日本から来た霊能者が霊視をすると青年兵が終戦後の今も強い使命感のもと、場所を守っているとのこと。怪奇現象の謎を解き明かし、供養して、番組は終了するのですが、ここでもやはり日本軍の隠した埋蔵金がことの発端になってます。
フィリピン人は基本的に幽霊を信じます。(ここヨーロッパでそんなことを言うと、大概は笑われます)なので、やっぱり日本兵の霊がいまもフィリピンにさまよっているんだ!と信じられます。ちなみに、フィリピンの怪談話のひとつのバージョンが日本兵の幽霊です。
冗談の裏にあるもの?
山下財宝が、都市伝説として、またトレジャーハントが狙う実際のお宝として、フィリピン社会では語られています。話の潤滑油として、そして時に大人が子どもに語る昔話のように感じられますが、もともとは日本のフィリピン占領の置き土産、そして、それらの宝は日本軍がどこからか収奪したものであるという理解がフィリピン人にはあります。財宝は、当時日本が占領していたアジアの国から収奪したものだと言われています。こう理解すると、フィリピン人の放つ冗談が時に、強烈な皮肉があることが理解できると思います。もちろん皆が皆、皮肉っているというわけではありませんが、こうした背景を知っていることで、フィリピンが国として通過した受難(スペイン、アメリカ、イギリス、日本の占領)の歴史と、国民の精神を少しながらも知ることができると思います。
さて、著者は冗談に対しては、そんなの都市伝説だよとあしらうこともあり、「日本語で描かれている地図があったら“破格”で翻訳してあげるよ」と返したりしています。しかし、実際の地図は暗号で書かれており、日本人でも容易には理解できないようです。
宝探しのロマンをフィリピンで体験してみるのもどうでしょうか?
参考
http://www.mgb.gov.ph/images/stories/dao2004-33.pdf
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