オランダ語の教室は、オランダ北部のドレンテ州に位置しています。ドレンテの人口は約46万人、人口密度は180人平方キロとその田舎度が分かるのではないでしょうか。
こんな場所で合宿なんて、退屈してしまうと思われますが、田舎には田舎の良さがあります。ドレンテは絶好のキャンプ地で、カヌー、サイクリングを楽しむ家族やカップルを頻繁に見かけます。ヨーロッパはワーカーに長期の休みを保証してますが、こういうところでのんびり、何をするでもなくゆったりとした時間を過ごしたりします。
のんびり1日を何をするのでもなく過ごすのも贅沢ですが、オランダ/ヨーロッパの歴史を学びたい!という人にはヴェステルボルク通過収容所跡地を訪問することをおススメします。
ヴェステルボルク通過収容所とは
ヴェステルボルク通過収容所は、第二次世界大戦中、オランダのユダヤ人やジプシー(ロマ民族)、レジスタンスなどがオランダの外、とりわけドイツ、ポーランドにある絶滅収容所や強制収容所へと移送されていく通過点になった場所です。
もともとは、迫害を逃れたユダヤ人たちの難民キャンプとされた場所でしたが、ドイツがオランダを占領して以降、通過収容所に変容しました。アンネの日記のアンネ一家も1944年8月4日何者かの密告によって秘密警察に見つかり、後にこの通過収容所に移送、のちにアウシュビッツに送られます。
いまもヨーロッパはこの問題については非常に繊細です。
オランダ語の授業中も、先生がSummer Schoolの略でS.Sとホワイトボードに書きましたが、ナチスドイツの精鋭隊の略となるため、すぐに消しました。
私を含めて何人かのクラスメートが気がつきましたが。。。
オランダもそうした歴史の一部です。
それらを学ぶこともオランダ学習、オランダと言う国自体を学ぶことに繋がると感じます。
ヴェステルボルク通過収容所までの道は、アムステルダムや私の生活するハーグなどからは電車とバス、徒歩の時間を入れると3時間ほどかかります。アムステルダムからズヴォレ(Zwolle)まで行き、電車を乗り換えドレンテ州アッセンで下車、1時間に1度のバスを待ち、その後はバス停から約1.6kmほどの道のりを歩き、博物館に到着します。収容所跡地は、博物館から更に約3km先となります。
長旅で溜め気が出そうですが、ドレンテ州にいることで、自転車があれば合宿施設のHet Timmerholtから約10キロと気軽に行ける距離です。
訪問で感じたこと>>
情報
場所:Herinneringscentrum Kamp Westerbork Oosthalen 8 9414 TG Hooghalen
電話: (0031)593 - 592600
ファックス: (0031)593 - 592546
公式ウェブサイト:http://www.kampwesterbork.nl/en/museum/index.html#/index
(日本語のページはありません)
博物館開館時間
月曜から金曜日 10.00 - 17.00
土曜・日曜日 13.00 - 17.00
(4月~9月の週末 11.00 - 17.00)
12月25日、31日、1月1日、3日~27日は閉館
アクセス
電車での行き方
アッセンもしくはベイレン駅下車。
※アッセンはintercity(大きな街を結ぶ電車)が停車する駅
アッセンからはベイレン行きのバス23番に乗車。※平日朝6時、7時を除いて一時間に一本。毎時間31分。土日は小型のバス。
※2016年7月20日時点での情報です。公式ウェブサイトでご確認を!
電車から見えた風景 |
こんな場所で合宿なんて、退屈してしまうと思われますが、田舎には田舎の良さがあります。ドレンテは絶好のキャンプ地で、カヌー、サイクリングを楽しむ家族やカップルを頻繁に見かけます。ヨーロッパはワーカーに長期の休みを保証してますが、こういうところでのんびり、何をするでもなくゆったりとした時間を過ごしたりします。
のんびり1日を何をするのでもなく過ごすのも贅沢ですが、オランダ/ヨーロッパの歴史を学びたい!という人にはヴェステルボルク通過収容所跡地を訪問することをおススメします。
ヴェステルボルク通過収容所とは
ヴェステルボルク通過収容所は、第二次世界大戦中、オランダのユダヤ人やジプシー(ロマ民族)、レジスタンスなどがオランダの外、とりわけドイツ、ポーランドにある絶滅収容所や強制収容所へと移送されていく通過点になった場所です。
もともとは、迫害を逃れたユダヤ人たちの難民キャンプとされた場所でしたが、ドイツがオランダを占領して以降、通過収容所に変容しました。アンネの日記のアンネ一家も1944年8月4日何者かの密告によって秘密警察に見つかり、後にこの通過収容所に移送、のちにアウシュビッツに送られます。
博物館
博物館では、通過収容所の成り立ちから、収容所の生活を見ることが出来ます。学校・病院などもあり、家族が異なる棟に別々に収容されて、週に一度ほどしか会えないことを除いては極めて普通に近い生活を再現しようとしたようです。これは人々がこの先に何が起こるか、巷に流れる噂に抗するためにとられた措置で、暴動が起こるのを防ぐためのものでした。博物館に残される映像には、あまり悲壮感が見られず、スポーツを楽しむ様子なども見られ驚きます。
通過収容所跡地へ
博物館から、歩道にそって歩くこと約40分(約3km)、跡地を訪れることが出来ます。建物の老朽化、そしてアスベストを原料として用いていたため、人々が生活をした建物自体は既に撤去されています。しかし、その跡地には、記念碑、そして人々を乗せた列車が通った路線の一部が残されています。
毎週火曜日に列車は1000ほどの人を乗せて、ドイツ奥地、あるいはポーランドの強制収容所に行ったその回数は、93回。35,000人がソビボルに送られ19人62,000人がアウシュビッツに送られ1,000弱が戦中を生き延びたと言います。それらの強制収容施設に送られてすぐにガス室に送られた人々、そしてその他の人たちは、極めて過酷な強制労働に従事させられました。
博物館では、通過収容所の成り立ちから、収容所の生活を見ることが出来ます。学校・病院などもあり、家族が異なる棟に別々に収容されて、週に一度ほどしか会えないことを除いては極めて普通に近い生活を再現しようとしたようです。これは人々がこの先に何が起こるか、巷に流れる噂に抗するためにとられた措置で、暴動が起こるのを防ぐためのものでした。博物館に残される映像には、あまり悲壮感が見られず、スポーツを楽しむ様子なども見られ驚きます。
通過収容所跡地へ
博物館から、歩道にそって歩くこと約40分(約3km)、跡地を訪れることが出来ます。建物の老朽化、そしてアスベストを原料として用いていたため、人々が生活をした建物自体は既に撤去されています。しかし、その跡地には、記念碑、そして人々を乗せた列車が通った路線の一部が残されています。
毎週火曜日に列車は1000ほどの人を乗せて、ドイツ奥地、あるいはポーランドの強制収容所に行ったその回数は、93回。35,000人がソビボルに送られ19人62,000人がアウシュビッツに送られ1,000弱が戦中を生き延びたと言います。それらの強制収容施設に送られてすぐにガス室に送られた人々、そしてその他の人たちは、極めて過酷な強制労働に従事させられました。
いまもヨーロッパはこの問題については非常に繊細です。
オランダ語の授業中も、先生がSummer Schoolの略でS.Sとホワイトボードに書きましたが、ナチスドイツの精鋭隊の略となるため、すぐに消しました。
私を含めて何人かのクラスメートが気がつきましたが。。。
オランダもそうした歴史の一部です。
それらを学ぶこともオランダ学習、オランダと言う国自体を学ぶことに繋がると感じます。
行き方
ヴェステルボルク通過収容所までの道は、アムステルダムや私の生活するハーグなどからは電車とバス、徒歩の時間を入れると3時間ほどかかります。アムステルダムからズヴォレ(Zwolle)まで行き、電車を乗り換えドレンテ州アッセンで下車、1時間に1度のバスを待ち、その後はバス停から約1.6kmほどの道のりを歩き、博物館に到着します。収容所跡地は、博物館から更に約3km先となります。
長旅で溜め気が出そうですが、ドレンテ州にいることで、自転車があれば合宿施設のHet Timmerholtから約10キロと気軽に行ける距離です。
訪問で感じたこと>>
情報
場所:Herinneringscentrum Kamp Westerbork Oosthalen 8 9414 TG Hooghalen
電話: (0031)593 - 592600
ファックス: (0031)593 - 592546
公式ウェブサイト:http://www.kampwesterbork.nl/en/museum/index.html#/index
(日本語のページはありません)
博物館開館時間
月曜から金曜日 10.00 - 17.00
土曜・日曜日 13.00 - 17.00
(4月~9月の週末 11.00 - 17.00)
12月25日、31日、1月1日、3日~27日は閉館
アクセス
電車での行き方
アッセンもしくはベイレン駅下車。
※アッセンはintercity(大きな街を結ぶ電車)が停車する駅
アッセンからはベイレン行きのバス23番に乗車。※平日朝6時、7時を除いて一時間に一本。毎時間31分。土日は小型のバス。
※2016年7月20日時点での情報です。公式ウェブサイトでご確認を!
スポンサーリンク
スポンサーリンク
0 件のコメント :
コメントを投稿