「生きることはなんのことか、生きるとは、死にかけているようなものを、絶えず自分から突き放していくことである」 フリードリヒ・ニーチェフィリピンとは、一部の日本人男性(ときに女性)にとって死にかけているものを再び活かす場ではないかと思う。
ただ、生きるのではなく、死をかけて生きるような生を欲する人にはうってつけの場所ではないかと近頃思う。
フィリピンを行き来する関係で、フィリピン関係で目にした本はとにかく読みます。「マニラ行き片道切符―天国という名の地獄 」(徳間文庫)をマニラ滞在時に偶然入手。フィリピン人女性、フィリピン自体にはまった男性たちの話の話を読みました。
「日本を捨てた男たち」のようにインタビューした男性の半生を追っているわけでも、話の裏をとっているわけではないものの、フィリピンの深みにはまっていく人たちに焦点があたっているのはやはり興味深い。男性たちの話は決してシアワセとは感じ得ないけど、精一杯生きる中に身をおいて、自らも生き(活き)延びようとしている。
話を読みながら、一種の気だるさと救いがたい状況への絶望感と同時に「フィリピン的」なものをを文章の中から再度発見する楽しみを覚えます。
以下気の向くままにフィリピン的なものを列挙。
ハイジャックの話。2000年5月25日、ダバオからマニラに飛ぶ飛行機が男にハイジャックされた。男は銃で乗客を脅して、金品を乗客から巻き上げた。のちパラシュートで脱出。動機は家族の問題、男曰く家族が彼の元を離れ、奥さんは警察官と浮気・・・気持ちは察するが、ハイジャックをしなくてもいいんじゃないか。
家族の問題。旦那の浮気を許せず、拳銃で殺しを計ろうとする妻。ショッピングセンターにて殺害を企てるが、制止に入った警備員を撃ってしまうことに。女性の嫉妬は恐ろしい・・・、そもそもショッピングモールの入り口の荷物検査は何のため?という疑問が残った。
カージャック、持ち主の金品を奪うが、持ち主の交通費分は残してあげるという事件。
だったら、はじめから人のものを取るな!と言いたいが、そこはフィリピン、強盗にも養わなければならない家族が、しかし人情もある。両方をとって交通費のみを残すことに。
フィリピンで自殺!そんな馬鹿な!!理由、女性に振られた。仕事が原因では死なない彼ら。色恋沙汰で撃ち合いで死傷者が出たりもします。
分け合う精神。ビスケットがあったら細かく分解。とにかく、分ける。しまいには小指の先ほどのサイズに。。。そこまでして著者はビスケットを食べようとは・・・
首から上を多様に使って、挨拶。挨拶も眉毛をちょっと上げて、「やぁ」「こんにちわ」「元気?」
首を下から上に、ちょうど頷く際の逆の動作で、挨拶。
ものを指すとき、口を使う彼ら。「トイレはどこ?」という質問に「あっち」(唇で方向を指している)
滞在当初は大爆笑していたが、近頃は自分も口でものを指している。
関連ブログ「フィリピン人的ジェスチャー」
9月。クリスマスのお祝いの準備が始まる月。既に街にはクリスマスの飾りが売られ、クリスマスソングが流れている。早すぎません?けどこれがフィリピン。(フィリピンのクリスマスは日本のように商業色強くないですよ)
関連ブログ「フィリピンのクリスマスの祝い方とは?バーマンス〜シンバンガビ〜クリスマス当日まで」
ジプ二ー乗車率100%以上というのもしばしば。乗りすぎじゃない?そして、どこにのるのか?入り口周辺にぶら下がり、地方においては屋根に座る。
フィリピンの至る所で見かけるショッピングモールSMの社長Henry Syの資産は91億ドル。しかし、街を見ればスクウォッター、スラムが広がる。人々の平均賃金は10,000ペソほど。不当なぐらいに安い。(普通に家族が住むのに十分な住まいを借りるには安い物件で3,000ペソ~、電気代も高い)けど、常に笑顔。「家族共にいられたらシワせ。」というのがよく彼らから聞く言葉。
貧しさ、宗教的精神、寛容さ、嫉妬が渦巻くカオス的な社会。ここに惹かれて、また今日も空港に降り立った日本人がいるのだろうなと思いを馳せる。
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