降伏が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時ーこれは実話を元につくられた映画「Into The Wild」中、主人公の青年クリストファーが自らの日記に書き残した言葉。幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時(Happiness is only real when shared.)映画:Into The Wild
消費社会の洗礼を受け、経済の発展目覚ましいフィリピンですが、この「分かち合う」という行動が一般化しており、この映画のセリフも当たり前のように受け取れるのではないかと思います。
こんなフィリピン人たちを後押しするかのようにスイスのチューリッヒの研究チームが、”与えること”が脳の中で幸せを感じる領域の活動を刺激しているという研究結果を発表しました。
与えることで幸せを感じる脳
チューリッヒの研究者の実験の概要
これまで、様々な学問で人間とは利己的に振舞うものと考えられ、自らの資源を他の人たちに分け与え、自らを”犠牲”にするということは非論理的であると考えられてきました。
この謎を解くために、専門家はいくつかの仮説を発表しました。その一つに異なる民族間の協力と共存のため。与えることそのものが哺乳類の生存のため。しかし、理由はよりシンプルで「与えることで幸せになる(幸せを感じる)」こと。
チューリッヒで、被験者50人を対象に、「”寛大さ”を示す行為(与える)」の後の幸せ度のレベルを測定しました。実験の結果、一貫して被験者たちは与えることが「心地のよい体験」であったことを示しました。
同時に磁気共鳴画像装置(MRI)の検査を見ると、”寛大さ”につながる脳の領域が幸福に関連する別の部分で反応を引き起こしたことが明らかになりました。この研究によって、寛大さと幸福の間のつながりを裏付ける行動的および神経的証拠が示されました。
被験者には、1週間に25スイスフラン(23ユーロまたは26ドル)を4週間提供すると約束されました。被験者の半数には、他の人にお金を使うよう指示し、もう一方のグループの被験者には自分のために使うよう指示されました。 どちらのグループも実際に金を受け取ったり、使ったりしていませんでした。
お金を使った後、被験者たちは質問に答え、また彼らの脳もMRIでスキャンされました。それらから研究者は、脳の3つの領域、すなわち利他主義と社会的行動、幸福に次ぐ、そして意思決定に関与する3つの領域における活動を調べました。
他人のためにお金を払うことを約束したグループは、自らのためにお金を使う人よりも幸せだと報告されました(実際に被験者が約束した金額を実際に費やさない場合であっても)。彼らが報告した幸福度は彼らが費やした金額とは無関係でした。
この実験結果から、寛大さと幸せは、個人の福祉を拡大させ、社会的成功を促進すると考えられます。しかし、日々人々は生活の中でややもすると寛大さと幸せの関係を過小評価する傾向があるのではないか?そのため、”他の人のために費やすこと”の利点が見落とされるのではないかと、研究者たちはコメントします。
しかし、それらの脳領域の活動の活性化はトレーニングされ、また強化されうるものなのか?また、効果は意図的に使用されたとき、つまり、幸せに感じるために寛大な行動しか取らない場合に効果が持続するか?ドイツのLuebeck大学のSoyoung Park氏は今後答えられるであろう疑問を提示しました。
フィリピンの与える習慣
フィリピンはとにかく分け与える行為が根付いています。例えば、一つの小さいクッキーがあれば、一人で食べず、それを砕いて分け合い、多く稼いでいる家族がいればその人の稼ぎは”食事をおごる”、”学費のサポートをしてあげる”等々を通じて、より恵まれない家庭に再分配されます。この行為の説明は「宗教」、特にカトリックではそうした予想外の”収入”は「神様からの恵み」で、一生懸命祈ったその祈りが通じた、正しく生きていたことを神様は見ていた、云々と考えられます。先日もフィリピン人神父のミサの説教がそれらを意味しています。
神父の説教ー山岳部の少年の話
フィリピン山岳部の小学校6年生の少年は学校のあと石炭を運び、それを売り、そのお金を全て、親・兄弟に与えていました。石炭を運ぶ仕事は重労働で、その少年は小学校が終わったあと、隣の山まで2時間歩き、その後袋いっぱいの石炭を背負って、市場を目指しまた1時間ほどの道のりを歩き、そこで石炭を売って、帰宅するというもの。計5時間ほどの重労働のため、疲労が蓄積し、学校でも居眠りしてしまっているその少年は小学校6年生と言えども既に14歳。
その話を聞いたその神父が、流石に心配になってその青年に稼いだお金の全てを親・兄弟に与えるのではなく、給与の一部を自分の将来のためにとっておきなさいと諭したところ「神様は全てをご存じで、私の必要なものは彼によって用意される」(だからそんなことはしなくてもよい)という回答が返ってきて神父を驚かしたと言います。
「明日のことまでは思い悩むな。明日のことは明日自ら思い悩む。」という聖書の一節を思い出すフィリピン人が多いのではないかと思います。全ては神の恵みであると。
14歳の信仰心に驚かされた神父様。
しかし、それゆえに人々は貧困から抜け出せない、だからその日暮らしの生活をしている、OFWの仕送りに頼る生活となるのだ!、そもそも児童労働だ(汗)という批判も聞こえてきそうですが、それらの批判はさておき、上記の実験結果を踏まえるならば、その少年は与えることの意味を宗教的にとらえつつも、行為に幸せを感じているということになります。
研究結果は、「人間は利他的に作られている」とは言い切ってはいないものの、生理的に”快”の反応を与え得るというのはとても興味深い結果なのではと思います。
参照:http://technology.inquirer.net/65053/warm-glow-giving-starts-brain-study#ixzz4mc5CPMou
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