イド・アル=フィトルにおじゃましました

イド・アル=フィトルとは、, イスラム教の祝日で、ラマダーン(ヒジュラ暦第9の月で、イスラム教徒は日の出から日没まで断食をする)の終了を祝うもの。イドはアラビア語で祝宴、フィトルは断食の終わりを意味するといいます。そのため、この行事は断食の終わりの象徴として行われており、ヒジュラ暦の第10月であるシャウワールの初めに行われます。

ランダのインドネシア、イスラムコミュニティのイド・アル=フィトル
オランダのインドネシア、イスラムコミュニティのイド・アル=フィトル

今日はその日。オランダでも、インドネシア人ムスリムの人たちによって祝宴が行われるとのこと、インドネシアの友人の招きで参席させて頂きました。朝10:00に会場となっているインドネシア人の民家に赴くとすでにお祈りが始まっておりました。邪魔になってはいけないと、少々待って会場に入るとちょうどイマームからの説教があり拝聴することができました。イマームとは、宗教共同体の指導者をさす言葉です。

説教ではラマダンの意味を説明、そしてムスリムとしての義務について話がありました。断食は勿論、コーランに書かれているために行うのでしょうが、「神を畏れかしこむ気持ちを起こし」、自分自身を「浄化」させると意義づけているといいます。そのため、メッセージが終わったあとに「昨年起こした過ちを許してください」と挨拶する姿が見られました。これは中東のムスリムには見られないようです。

説教はインドネシア語で行われたため、全てを通訳してもらい聞きとることは出来なかったのですが、聞いて理解したことをまとめると次のようなことを言っていました。

イスラム教徒は2つの関係性の中で自らの信仰を保つべきであると言います。一つは、神様との関係、そしてもう一つは人々との関係。神様と自分の関係は縦、社会、国家、世界は横の関係。人間は双方に対してコミットメントを持っており、慈善もその行いのひとつ。ちなみにムスリムは断食が終わると、義務としての喜捨があります。給与から2.5%の寄付で、そのお金は夫を亡くした寡婦、貧しい巡礼者、など支援を必要とする人にわたると言います。
インドネシア、イスラムコミュニティのイド・アル=フィトルで振る舞われた食事
インドネシア、イスラムコミュニティのイド・アル=フィトルで振る舞われた食事
世界最大のムスリム人口を誇るインドネシア、彼らからの寄付は膨大でそれによって病院など、市民の生活に必要な施設を建築することが出来たようです。これは喜ぶべきこと、しかし、本来は国の仕事です。

インドネシアの経済がよくなるように手だてを国として実行することが大切。現在、インドネシア経済の向上から雇用の向上が望まれるものの実際、多くのインドネシア人が海外へ出稼ぎに出て搾取の対象ともなってしまっている・・・など、経済の問題にも触れていました。
インドネシア、イスラムコミュニティのイド・アル=フィトル
インドネシア、イスラムコミュニティのイド・アル=フィトル

ムスリムはムスリム同胞を兄弟姉妹として大切にすることもさることながら、ムスリムではない他の宗教を信奉する者、国籍、人種を問わず、1つの家族として考え、行動すべきと結んでいました。説教のあとは、少々早いランチタイム。沢山のインドネシア料理が並んでいます。

全世界的にムスリムは断食をし、そしてその終了を祝うのですが、イマーム曰くインドネシアではイド・アル=フィトルを盛大にお祝いするものの、中東のムスリムはイード・アル=アドハーをより盛大にお祝いするといいます。

イード・アル=アドハーとは、イブラーヒーム(アブラハム)が進んで息子のイスマーイール(イシュマエル)をアッラーフへの犠牲として捧げた事を世界的に記念する日で、この日には羊や子牛などを屠りそれをコミュニティの中で配布するといいます。インドネシアでもこれは行われるそうですが、イド・アル=フィトルほど盛大ではないのだとか。

イマームはオープンで、いろいろと話をしてくれましたが、断食があけてイド・アル=フィトルを祝う時期になると肉、とくに牛肉の値段があがり、イード・アル=アドハーになると皆が自身で羊や、鶏などを屠ったりするために肉の値段が下がるのだとか。クリスマス同様、宗教行事も経済に影響をあたえるのですねぇ。

そんなこんな話をし、飲み食いを楽しんでいるともうすでに午後の3時。楽しみ、学びが多い時間となりました。

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