2017年4月オランダでノルウェイが仲介役となりフィリピン政府とNDF(ナショナル・デモクラティック・フロント)、共産主義グループの第4ラウンド目の和平交渉が行われました。
この和平交渉の成功を願い、これまでのフィリピン共産主義勢力とフィリピン政府との関係を俯瞰したいと思います。
1968年12月 ホセ・マリア・シソン、フィリピン共産党を創設
1969年3月 フィリピン共産党軍事部門New People's Army(新人民軍)の創設
1973年4月 包括組織であるNDF(国民防衛戦線)の創設。フィリピン共産党、新人民軍はその傘下の団体となる
和平交渉の開始
1987年 フィリピン共産党・新人民軍・国民防衛戦線とフィリピン政府との平和交渉が始まる。アキノ政権が終わるまでの間、進捗なし。
1992年 ラモス大統、反政府組織への領恩赦令。和平交渉再開
1992年9月1日 ハーグ共同声明(Hague Joint Declaration)に署名
1995年2月24日 安全と免責の保証に関する共同合意(The Joint Agreement on Safety and Immunity Guarantee:JASIG)に署名
1998年3月16日 The Comprehensive Agreement on Respect for Huma Rights and International Humanitarian Law(CARHRIHL)に署名
和平交渉の停滞
1999年 国民防衛戦線、エストラーダ政権のアメリカ軍との協定Visiting Forces Agreementに反対、和平交渉から離脱
2001年 フィリピン共産党・新人民軍が政府のテロリストのリストに掲載、和平交渉決裂
2004年 フィリピン共産党・新人民軍が政府のテロリストのリストに掲載、和平交渉再度の決裂
和平交渉の再開
アキノ政権
2011年2月15日―21日 アキノ政権、和平交渉の再開
2012年12月 特別トラックの下での非公式会合が開催され、公正に基づいた平和への共通宣言を練って会談を進める新しい方法を議論した。 会合は、2012年12月20日から2013年1月15日までの27日間の休戦をもたらした。
2013年2月 NDFは、通常トラックの前提条件に戻った。 NDFは、政府の条件付き現金預金(CCT)プログラム、PAMANAプログラム、その他の平和開発プログラム等の終了、フィリピン政府軍、フィリピン警察が兵舎を拠点とすることなど、政府の降伏に相当する要求を含む3つの新しい書類を提出。これらは政府によって拒否され、特別トラックが崩壊。
2014年OPAPPの指導のもと、私的使節団によって慎重かつ非公式の議論が行われ、平和協議の復活を促進した。しかし、囚人解放の問題は解決されなかった。
ドゥテルテ政権
2016年6月15・16日 和平交渉に向けての予備協議(ノルウェー、オスロ)
2016年7月18日 ドゥテルテ大統領が6点の平和と開発の議題を承認。 これには、CPP / NPA / NDFとの和平交渉のタイムラインが含まれる。
2016年8月20日 大統領任期中に正式な会談の再開に先立ち、大統領は、無期限の一方的な停戦を宣言。
2016年8月22-26日 正式な交渉は、5年後の難局を経て再開。NDFコンサルタントが交渉のために解放されたが、これは政府の前例のない行動であった。
2016年9月30日 OPAPPとUP(フィリピン大学)は覚書に署名し和平会談で、OPAPPと政府のパネルに技術的支援を提供することに同意。
2016年10月6‐10日 第2回目の会談はノルウェーのオスロで開催された。
関連ブログエントリー
「Peace Ambassador になっちゃった:フィリピンの共産党・新人民軍と政府の和平交渉 in オランダ」
「山が消えて無くなるまで~ビコール地方とNPA~」
英文寄稿
「New People's Army and the Philippines: No end in sight?」
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この和平交渉の成功を願い、これまでのフィリピン共産主義勢力とフィリピン政府との関係を俯瞰したいと思います。
NDF和平交渉団の来蘭、2017年4月4日、一般向けのNDFの意思、ポジションの表明 |
年表(OPPAP のhttps://peace.gov.ph/timeline/peace-process-cpp-npa-ndf 参照)
団体の創設・闘争期1968年12月 ホセ・マリア・シソン、フィリピン共産党を創設
1969年3月 フィリピン共産党軍事部門New People's Army(新人民軍)の創設
1973年4月 包括組織であるNDF(国民防衛戦線)の創設。フィリピン共産党、新人民軍はその傘下の団体となる
和平交渉の開始
1987年 フィリピン共産党・新人民軍・国民防衛戦線とフィリピン政府との平和交渉が始まる。アキノ政権が終わるまでの間、進捗なし。
1992年 ラモス大統、反政府組織への領恩赦令。和平交渉再開
1992年9月1日 ハーグ共同声明(Hague Joint Declaration)に署名
1995年2月24日 安全と免責の保証に関する共同合意(The Joint Agreement on Safety and Immunity Guarantee:JASIG)に署名
1998年3月16日 The Comprehensive Agreement on Respect for Huma Rights and International Humanitarian Law(CARHRIHL)に署名
和平交渉の停滞
1999年 国民防衛戦線、エストラーダ政権のアメリカ軍との協定Visiting Forces Agreementに反対、和平交渉から離脱
2001年 フィリピン共産党・新人民軍が政府のテロリストのリストに掲載、和平交渉決裂
2004年 フィリピン共産党・新人民軍が政府のテロリストのリストに掲載、和平交渉再度の決裂
和平交渉の再開
アキノ政権
2011年2月15日―21日 アキノ政権、和平交渉の再開
2012年12月 特別トラックの下での非公式会合が開催され、公正に基づいた平和への共通宣言を練って会談を進める新しい方法を議論した。 会合は、2012年12月20日から2013年1月15日までの27日間の休戦をもたらした。
2013年2月 NDFは、通常トラックの前提条件に戻った。 NDFは、政府の条件付き現金預金(CCT)プログラム、PAMANAプログラム、その他の平和開発プログラム等の終了、フィリピン政府軍、フィリピン警察が兵舎を拠点とすることなど、政府の降伏に相当する要求を含む3つの新しい書類を提出。これらは政府によって拒否され、特別トラックが崩壊。
2014年OPAPPの指導のもと、私的使節団によって慎重かつ非公式の議論が行われ、平和協議の復活を促進した。しかし、囚人解放の問題は解決されなかった。
ドゥテルテ政権
2016年6月15・16日 和平交渉に向けての予備協議(ノルウェー、オスロ)
2016年7月18日 ドゥテルテ大統領が6点の平和と開発の議題を承認。 これには、CPP / NPA / NDFとの和平交渉のタイムラインが含まれる。
2016年8月20日 大統領任期中に正式な会談の再開に先立ち、大統領は、無期限の一方的な停戦を宣言。
2016年8月22-26日 正式な交渉は、5年後の難局を経て再開。NDFコンサルタントが交渉のために解放されたが、これは政府の前例のない行動であった。
2016年9月30日 OPAPPとUP(フィリピン大学)は覚書に署名し和平会談で、OPAPPと政府のパネルに技術的支援を提供することに同意。
2016年10月6‐10日 第2回目の会談はノルウェーのオスロで開催された。
関連ブログエントリー
「Peace Ambassador になっちゃった:フィリピンの共産党・新人民軍と政府の和平交渉 in オランダ」
「山が消えて無くなるまで~ビコール地方とNPA~」
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