学歴主義フィリピン社会に生きる―大卒男性のぼやきに一喝―

男性 「日本はいい」

私 「なんですか?」

男性 「日本と言う国は学歴がなくても出世の道がある。スキルさえあれば・・」

私 「へーどうしてそう思うのですか。」

男性 「フィリピンは学歴主義。学士、修士・・・という学歴が無ければ、出世の道は皆無」

本当にそうなのか、私なりの印象論はあるものの、実際はどうなのか気になり数人の人に聞いてみました。

聞いたところ、大学卒というのは非常に大きい。
今年度から12年教育が始まりますが、それまでは10年生。小学校6年、高校4年、そして大学4年。勿論専門学校に該当する学校もあるものの、可能であればみな大学に行きたがる。

理由は、その後給与に大きな待遇差が出るため。また、付ける役職が限られてしまうから。
高校卒の殆どはブルーカラー系の仕事。勿論、社会保障、年金なしということになる。

先日、知り合いの住むコンドミニアムの雑務の人と話をした時も、如何に子どもを大学に通わせるかということに必死なのだと、滔々と話をされました。よい職を得るためにもコースを変更、時には大学すらも変更もいとわない様子。ちなみにこちらの大学では、学部を変更したという話はちょくちょく聞きます。

さて、上記の男性のケース。

彼はもともと高校卒。奥さんの稼ぎで大学に通わせてもらい、今は修士論文提出間近(なはず)。

個人的にこの時点で私は拒絶反応。そもそも奥さんに大学通わせてもらうってどういうこと?それで、スキルがあれば出世する日本にあこがれるって?

この話を日本の友人にしたら、ソーシャルキャピタルがある人なんですねぇと返された。
ここはフィリピン、
ソーシャルキャピタルというか、日本のように○○歳なんだから、とか男なんだからとかいう理由だけでは突き放されません。

信頼関係、人間関係、ネットワークという意味でソーシャルキャピタルという言葉を理解すると、奥様との人間関係と信頼関係故に彼が生き延びることが出来ている・・・ソーシャルキャピタルと言いきってよいものか(汗)まさにこれは、○モ男なのでは。。。。と思うのは私だけであるまい。

喉まで出かかって言わなかったことは、いい年して、自分の家族を養えないどころか、自分で立って歩くこともできない男に「日本はいい」なんて気軽にいってほしくないね。稼げるだけのスキルと知識があれば、奥さんと子どもを食わせて、自分で大学を卒業することもできたんじゃないですか。ねぇ?と毒づいてしまいました。

父の世代、高卒なんてざら。自分で身を起こし、必死でやってきた世代。スキルを高めるために日中は働き、夜は学び、休日もいとわず働いた世代の必死さ、積み上げてきた実績を知らず、よくもしゃーしゃーとこんなことが言えるもんだ。しかも、日本の社会、弱音を吐くのは難しく、問題もうちに秘めてしまう人が多い。

こんな日本社会完全に肯定できないけど、言い訳して奥さんに泣きついて大学卒業させてもらうなんて・・・この男性、大学を卒業できなかったのは、家庭の事情というよりは本人の意思のなさだったらしいからなおのことたちが悪い。

思わず、「学歴なくても出世できたという人たちは、日々考え、行動し、自分で道を切り開いてきた人たちが多いと思うので、簡単に比べられないのではないですか」と一言。

これが年上でなければ、もっとダイレクトに意見を言っていたところでした。

大学院卒業させてもらってもまだ奥さんに泣きついていたら、塩まいておいかえしてやる!と思ったのでした。

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