フィリピンゴミ問題3:拾う心よりも捨てない心

拾う心よりも捨てない心。

名言だと思います。

これまで、色んなNGOでクリーンアップ活動を行ってきましたが、これに尽きると思います。これを実践し、実践を通しての社会の変化をサポートするシステムが必要だと思います。

システムというと、行政が何か構築するとイメージされます。それはいま議論に上がっている「焼却炉をつくる」また、それとセットにして「回収システム」を作る等。

それもとても大切。・・・システムが無ければ拾ったゴミは結局しっかり処分されないままとなりますので、システム構築はとても大切であることはいうまでもないことです。


しかし、今まで「分別回収」をしてこなかった人に分別してもらう、今まで道でゴミをポイ捨てしてきた人にポイ捨てしないようにするというのはまた別のチャレンジであり、またこれを習慣づけていくサポートが必要なのではと思います。

個人の習慣に変化を起こすためのサポートは、「教育」「家庭」「(自分の属する地域、クラブ等)コミュニティ」等から得られる思います。それはワークショップ、有識者からの話であったり、一緒に活動するというアクションからかもしれません。

先月、日本の学生さんがヌエバエシハでのクリーンアップ活動を地元の人と共に余力を残すことなく全力で行ったことが人々の気持ちに何らかの変化を起こしたと、日本の学生が去って暫くして、地元の学生や住民から聞きました。

道端に落ちているお菓子の包装、ジュースの空きパック、タバコ、空き瓶、ビニール紐、ペットボトル・・・捨てられて暫く経っているためか、泥で汚れています。

日本の学生さん、それらをためらうことなく、炎天下であろうが、なんであろうが・・・掛け声をかけつつ、コミュ二ティのメインの道のゴミをせっせと拾いました。

仕舞には、コミュニティの分別がしっかり行われていないゴミ集積場所の分別もやってしまいました。

「恥ずかしい」


お客さんを呼んで、家の汚れている場所を見られ、かつ汚いのでお客さんに片付けてもらうということはなかなかありえない話だと思います。

そして、そんなことされようものなら、通常の感覚ではどうしょうもないところを見られて「恥ずかしい」と家主は想うことでしょう。

それと同じで、初めてコミュニティに来てくれたお客さんに一番汚い場所を見られただけではなく、そこを片付けてもらったわけですから、そのようなコメントが出てくるのもよく理解できます。

「恥ずかしい」から一歩超えて、コミュニティの人たちの次のアクションに繋がるように、彼らとの対話を絶やさないようにしなければと思っております。

コバナシ

「ゴミをポイ捨てすると追いかけられる!?」
先日自転車で家路に急ぐ途中のこと。私の前を走行するトライシクル(バイクにサイドカーが着いたのりもの)からゴミが投げ捨てられ、危うく私に当たるところでした。それをスマナイと思った捨てた主、小学生がトライシクルから顔をのぞかせました。

怒鳴りつけたい気持ちを抑え、走行中の自転車から少々わざとらしい怒った顔をして投げ捨て禁止のジェスチャー(ポイ捨てNO)を送りました。そのサインを送って、小学生の少々驚き、ちょっと恥ずかしい表情が遠くからも見えました。彼らは勿論すぐに顔をひっこめました。

その後、実はそのトライシクルと私の自転車は1キロほど意図していませんでしたが、同じ方向に走らねばならなりませんでした。小学生はどうやら私が怒って彼らの後をつけているいるのかとおもったようで、度々彼らの後方、私の自転車をちらちら覗き見をしていました。

誰も彼らにポイ捨てはダメと教えていないのかと思うと残念でなりません。
「ゴミをポイ捨てすると、外国人に追いかけられる」あるいは「怒られる」と印象付けられたなら幸いです(笑)そして、何故怒られたのか?理由を反芻してもらえたらと思ったのでした。

拾うことも大切。けど、どうやって捨てない意識付けをしていくのかはもっと大切だと思うのでした。

関連ブログ

フィリピンゴミ問題1:現状
フィリピンゴミ問題2:焼却処分場と大気汚染防止法
フィリピンゴミ問題3:拾う心よりも捨てない心

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