フィリピンに反日感情はあるのか?バタアンデー/勇者の日―日比の関係性について考える

4月9日はフィリピンの休日で、勇者の日(Araw ng Kagitingan)、かつてはバタアンデーと呼ばれた休日です。バタアンはルソン島の中西部にある半島で、マニラからはバスで3~4時間の距離にあります。フィリピンは夏真っ盛り、それ故にバタアンデーを含めてかつての戦争の記憶が人々に思い起こされます。

この日は第二次世界大戦の時にバタアンが陥落した日です。大戦中、バタアン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍捕虜と民間人が収容所に移動する際に、多数死亡した事件を「バタアン死の行進(Bataan Death March)」といいます。

バタアン死の行進(Bataan Death March)とは?

行進した距離は120km、半分は鉄道で運ばれ残りを3日で歩きましたが、既に戦闘で疲弊しており両軍共にマラリア、デング熱などが発生、その中炎天下で歩くことで多くの人命2,000~10,000が失われました。

何故このようなことが起きたのか?捕虜となった人数と想定が異なり予想以上に多く食料の不足さらに移送手段の欠如したといいます。また、捕虜に対する考え方の違い―捕虜となることは恥ずべきことという風潮があった等―もこれだけの死者を出す結果となったのではと思います。しかし、これは亡くなった方には出来ぬ言訳であります。

心からの反省と謝罪

2014年4月9日、今日の新聞で在フィリピン日本国大使館の卜部大使がバタアンで退役軍人を前に、第二次大戦中の日本軍の占領中、フィリピンの人々が経験した筆舌しがたい苦痛に対して、心からの謝罪と深い反省を表明されました。

反日感情はあるのか?

フィリピンには今でこそ薄れた第二次大戦の経験からの反日感情ですが、こうした日やちょっとした会話から、強調された日本人の残忍性という話が顔を出します。日本兵が赤ん坊をほおり投げて銃剣で突き刺したという話はアジアの数カ国で私自身実際に聞いた話です。そしてそれらの話をするのは戦争を体験していない世代の人たちです。

終戦から約70年経とうとしていますが、世代を超えて受け継がれる記憶、未だに癒えぬ傷に人の人命が失われることの重みを感じます。

先日ルワンダで起こった虐殺の20周年の記念式典の様子をテレビのニュースで目にしましたが、式典の最中に当時のことを思い出し、また亡くなった人を想い涙する人、また運び出される人もいました。

日比の人の往来は戦前の日本人移民が関わったベンゲットの工事、ダバオのアバカ栽培、戦後の興行ビザによるフィリピンから日本への人の流れで多いものの中々癒えるものではないことを感じます。

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