フィリピン人の助け合いの精神と「公」と「私」の関係

2007年の強力な台風がフィリピン、ビコール地方の村を飲み込んでしばらくして、その地に赴き現地の復興支援に携わることになりました。そこで見たのが、バヤニハン(bayanihan:同じ村に住む人同士が助け合う、無償の奉仕)でした。具体的には家の引っ越しの光景でした。通常イメージする家の引っ越しというのは程遠く、総勢30人ほどで家を担ぎ、家の場所の移動です。その光景にあっけにとられました。
バヤ二ハン(bayanihan)
バヤ二ハン(bayanihan)の光景

上記はフィリピンの短い滞在の中でも驚いたことの一つです。フィリピンで生活していると、日本の文脈からでは理解できない行動を目撃し、自らも体験します。そもそも日本の文化と比較するからいけないのですが、異なる国籍の友人でフィリピンで働く人からよく聞かれたことはフィリピン人の「公と私の関係」です。



 「公」<「私」

締め切りが近い仕事をさておいて、自分の事情を優先しさっさと帰宅してしまうフィリピン人スタッフ。過去に何度か泣かされた経験があります。ただ、頭に来たのでは解決にはならないと、社会、歴史、慣習的に理由があるはずと考えてきました。

いくつかのフィリピン関係の本で、フィリピンは集落を中心にまとまり発展してきた歴史があり、「公」の最大はその集落というものであり、その上位は存在しなかったためだといわれます。集落は約100家族~生活していたようですが、たいていは親族関係で、支配者ではなく長老などがその集落の人々を束ねていました。

スペインが14世紀にフィリピンに到達し、支配するまで現在私たちが持つフィリピン国家という形は持ちませんでした。スペイン支配により広がった「公」ですが、それは強制されて従うにすぎなかった公だったといいます。

彼らは公私を混同させているのではなく、もともと我々が考える「公」が親族的つながりを中心とする集落。そのため、現代の文脈から考えると「私」が上位に来ているわけです。

友達の友達は友達

日本では 友達の友達は知り合い、とりわけまだそれほど親しいわけではない場合はそうです。しかし、フィリピンで事を進める時には友達の友達は友達とみなした方がよいとアドバイスを受けました。

以前こんなことがありました。日本の大学の研究室から要請を受け、マニラの公私立の小学校の見学を手配した時のことでした。お客さんの訪問では、小学校は授業がスケジュール通りに進まないことをあまり快く思わない学校サイドでしたが、教育省に許可を取り付けるという公式な手続きを踏みつつ、学校の校長先生と仲良くなり、最終的には見学の許可を頂くわけですが、訪れた学校の一つは校長先生の最期の質問にうまく答えられず訪問は叶いませんでした。

その校長は「ところで、その訪問する学生たちってあなたの友達なの?」、私は正直に答えすぎてしまいました「知り合いです」と。

その後、同行したスタッフは「駄目だよ~、友達って答えなきゃ。僕らのことを気に入って、信頼して受け入れてくれるということなのに」つまり、知り合い程度の人に割く時間は取れないという意志表示でした。

校長と仲良くなる、友人としてその友人を受け入れるということは、つながりの基盤の上に「私」の領域が広がったことを意味したと考えましたが、私はその広がる「私」の概念を理解することができませんでした(汗)

上記のお引っ越し、バヤニハンの精神は、住む場所に帰属するもの。自分の土地や帰属を離れた人はバヤニハンの恩恵に与れませんが、その代わりダマイ、助け合いの精神があります。私も度々親切なフィリピン人のお兄さん、お姉さんにしばし助けられます。特に、オランダで出会ったお姉さま方には何かと気にかけてもらい、助けられています。友人となり、彼らの「私」の関係に入ったからなのかも・・・と思っております。

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