海外移住の日とは?-日系移民の歴史と今

日本から持ってきた某薬局のカレンダーを見ると、昨日6月18日は海外移住の日となっていました。国際協力事業団(独立行政法人国際協力機構:JICA)、が1966年に制定しました。1908年6月18日、本格的な海外移住の第1陣781名を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着したことを記念しているそうです。

奇しくも今日は、週一回の学生の集まりインターナショナルディナーのホストはブラジルで、ブラジル料理を楽しみながら、かつて太平洋を船で渡った日本人たちに思いを馳せました。

日本の玄関、成田空港の電光掲示板
日本の玄関、成田空港の電光掲示板

先人の苦労

ブラジルは世界最大の日系人居住地で、笠戸丸到着の1908年以降の約100年間で10〜13万人程の日本人がブラジルに移住し、約150万人の日系人が住むといわれています。移民の発端は、労働力の解消のためと聞きます。ブラジルはアフリカ大陸から送り込まれる奴隷をコーヒー園などにおける農業労働者としていたものの、奴隷制度に対する内外の批判を受け、1888年に奴隷制度を廃止しました。その不足を解消するため、ヨーロッパ諸国、イタリアやスペイン、ドイツなどのヨーロッパ諸国からの移民を受け入れ始めたものの、イタリア人移民は奴隷と変わらぬ住環境や労働の過酷さ、賃金の悪さなどの待遇の悪さのために反乱をおこしたため、その後移民を中止しました。

ブラジル政府は、1892年に日本人移民の受け入れを表明し1894年には「殖民協会」の根本正がブラジルへ赴き、適切な移民先であるという報告をし、翌1895年には日本とブラジルの間で「日伯修好通商航海条約」が結ばれ、1897年にはリオ・デ・ジャネイロ州ペトロポリスに日本の公使館が設けられ、移民を送り出す基盤が整いました。画して笠戸丸で海を渡った人たちでしたが、過酷な労働、住環境と賃金の悪さのため、帰国のための貯金することもできず、借金が増えていったといいます。当時の農園主はこのようにして、小作人を土地に縛り付けたといいます。様々な苦労の末にブラジルの社会を生き抜き、そして現在ブラジルの中で「日系人」としての位置を確立したと聞きます。

世界の邦人数

海外移住の日から、その日の成り立ちと同時に、現在海外で生活している邦人数が気になりました。外務省発行の海外在留邦人数調査統計によると、平成23年10月1日現在の推計で1,182,557 人で、永住者数は、399,907 人(全在留邦人数の 33.8%)と、約15,000 人(前年度は約11,000 人)増加が見られ、長期滞在者数は782,650 人で、前年度から23,862 人増です。

在留邦人数ラインキング

1 アメリカ合衆国     397,937
2 中華人民共和国    140,931
3 オーストラリア連邦   74,679
4 英国            63,011
5 カナダ          56,891
6 ブラジル連邦共和国  56,767
7 タイ王国          49,983
8 ドイツ連邦共和国    36,669
9 大韓民国         30,382
10 フランス共和国     29,124

やはり、アメリカが一位。統計を見ると、ブラジルが年々減少傾向にあるようです。

都市別総数 邦人数

1 ロサンゼルス都市圏    70,629
2 上海                          56,481
3 ニューヨーク都市圏      54,885
4 大ロンドン市               36,717
5 バンコク                     35,935
6 シドニー                     26,260
7 シンガポール              26,032
8 バンクーバー              23,847
9 香港                          22,184
10 サンフランシスコ        16,565

シンガポールのマーライオン
シンガポールのマーライオン
シンガポールではよく邦人を街中で見かけましたが、数を見て納得です。

ちなみにマニラは19位の9,780名。感覚としてもうちょっと多い気がしますが。。
滞在の理由は、アフリカ地域と大洋州を除いては、民間企業での勤務の故の移住が一番多いようです。

著者の住むオランダの町ではこれまで3人の日本人に会いました。2名は学生として大学に滞在し、1名は旦那さんのお仕事の関係のようです。

海外移住は、上記のように先人の経済移民の歴史から始まり、ここ近年は、定年後、あるいは仕事を探す一つの一つのオプションとなりつつあるといっても良いと思います。ただ、海外では生まれ故郷が紛争地であり、難民生活を経験し、ビザを何とか取得して、ヨーロッパへ移住してきた人や、国の経済が立ち行かず海外で職を探さなければならない人たちの選択肢のひとつでもあります。

一昨日放送されていたアルジャジーラの「Citizen or Stranger?」がヨーロッパの移民事情を捉えています。ここオランダは、移民の受け入れ国として知られていましたが、年々受け入れ要件は厳しくなっており、政党は堂々と反移民を表明して選挙戦を戦い、得票数を増加させていっています。

日本は現在は移民を積極的に受け入れていません。そうした態度にシンガポールの李光耀元首相は、これは移民拒否と高齢化・景気減速は関係していると分析し、シンガポールの成功は優秀な外国人を呼び込める政策を築いたことだといいます。

しかし、シンガポールの労働者は海外からの労働力が入ることで、住居費が高騰、またそれら海外移住者と職を競合しないといけないと、近年極めてネガティブな反応を示しているニュースをしばし読みます。シンガポールのタクシードライバーが言った言葉を今でも思い出します「彼ら(海外からの移民)は私たちシンガポール人の職を奪っていく」と。全員が賛成する政策など存在しませんが、そう感じて声を上げる人たちが目立つようになったと感じます。

ブラジルに邦人を送り100年以上経ちましたが、今後は恐らく日本が受け入れる側としてこの問題にどう関わっていくのか?2008年をピークに外国人登録者の数は減少してきていますが、望む・望まぬとも問わずいろんな形で海外からの人の流れがあります。どう彼らと生きるのか?シンガポール、ヨーロッパ諸国、アメリカ、ブラジルなどの社会を見ながら考えていきたいと思います。

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