旅をしていると本当にいろんな人にであったり、出会うだけではなくちょっとした会話をすることもあります。・・・今回は、今のご時勢を反映するような人たちに声をかけられました。聞いてもいないのに、色々と、しかもかなり繊細な話をしてくれました。話しかけてきたその人たちは、ヨーロッパを目指す(経済)移民です。
シェンゲン協定加盟国で政治亡命あるいは難民の申請を出そう考えているそうですが、話を聞く限りでは、経済活動を目的とした経済移民のようでした。ニュースで聞くところの何千、何万というケースの実際ある一つのケースを知りました。
Bさんはアゼルバイジャンがヨーロッパの入口としてよいと聞き、知り合いもこの国を通じで、ヨーロッパに入国できたため、アゼルバイジャンを選んだといいます。そして、アゼルバイジャンがイスラム教の国であることも理由の一つであったと言いますが、Bさんの国のイスラム教とは全くことなるため、大変驚いたようです。
そのため、査証期間内でシェンゲン国に入国する査証の取得が難しかったBさんは、アゼルバイジャンの大学に入学するための手続きを行ったといいます。これにより、学生ビザを取得し、1年間は、アゼルバイジャンにとどまることが可能になります。
しかし、これは査証を得るための手段で、実際の所はこの間にシェンゲン国である東欧のXXXX国に入るための査証を申請し、この結果待ちとのことでした。もちろん、アゼルバイジャンで勉強する気はありません。
いくつかの手段があるようですが、まず比較的査証がおりやすいとされる、東欧の国に入ることを目指し、申請を行います。無事に査証を得ることができたら、その国に渡りそこから、ドイツを目指します。
もし、査証が得られなかった場合は、「陸路」でシェンゲン国を目指します。移民を希望する人に知られているルートがあるようです。これは、正式な国境を通らないことを意味します。所謂、不法入国です。
斡旋業者による不法な国境超えで2015年には、シリア、イラク、アフガニスタン人からの難民71人がハンガリーに密入国させられて間もなく、トラックの中で窒息死した事件も発生しています。警察が荷台を開けると、中には、形をとどめないほど腐乱した71人の難民の遺体が詰まっていました。こんな事件もありつつも、陸路での移動のケースは絶えません。
Bさん曰く、東欧の某国の国境からシェンゲン国に入国することが可能で、現在そのルートを通って、Bさんの友人がスロバキアまで到達できたと連絡があったと言っていました。つまりBさんの友人は、インターネットを通じてどこまで到達できたのかを逐一報告してきていたようです。
何故かと尋ねると、フランス政府から手厚い保護を受けられるからというもの。両国で受け取れる補償や、申請期間中に就労で得られる月額を計算しているようでした。
アゼルバイジャンで見かけた猫 |
Bさんとの出会い
Bさんは長身で爽やかな笑顔が印象的でなかなかの男前の20代なかばの青年でした。Bさんの出身は、某南アジアの国で、彼自身はイスラム教徒。なのでイスラム教徒が女性に気軽に声をかけるってどういうこと?ってツッコミを入れたくなるのですが、それはひとまずさておいて、彼がアゼルバイジャンに来た理由を話してくれました。なぜアゼルバイジャン?
観光用の査証で入国したのですが、目的は観光ではなく、アゼルバイジャンを通過して、シェンゲン協定加盟国に入国することを目的としています。シェンゲン協定とは26カ国間で国境検査を廃止したもので、協定圏内に入ってしまえばあとは国内と同じように移動できるようになります。しかし、Bさんの母国から、シェンゲン国に入国するための査証を取得するのが、困難であるといいます。Bさんはアゼルバイジャンがヨーロッパの入口としてよいと聞き、知り合いもこの国を通じで、ヨーロッパに入国できたため、アゼルバイジャンを選んだといいます。そして、アゼルバイジャンがイスラム教の国であることも理由の一つであったと言いますが、Bさんの国のイスラム教とは全くことなるため、大変驚いたようです。
Bさんの査証
Bさんは、まず観光用の査証で入国。現在、Bさんの国は、アゼルバイジャンへの入国のための査証はオンラインで申請が可能です。しかし、この査証は30日間のみ有効であり、また10日以上の滞在となる場合は、宿泊先を登録しなければなりません。出会った時にはすでにアゼルバイジャンでの滞在は約30日間を越えようとしていました。そのため、査証期間内でシェンゲン国に入国する査証の取得が難しかったBさんは、アゼルバイジャンの大学に入学するための手続きを行ったといいます。これにより、学生ビザを取得し、1年間は、アゼルバイジャンにとどまることが可能になります。
しかし、これは査証を得るための手段で、実際の所はこの間にシェンゲン国である東欧のXXXX国に入るための査証を申請し、この結果待ちとのことでした。もちろん、アゼルバイジャンで勉強する気はありません。
シェンゲン加盟国に入るための複数の手段
Bさんの第一目標は、ドイツあるいはフランスに入国し、そこで亡命申請をし、其の国に移住したのち、国に残した母親を呼び寄せること(父親はすでに他界しているようです)。そのためには、とにかくシェンゲン国と呼ばれるヨーロッパの国に入る必要があります。いくつかの手段があるようですが、まず比較的査証がおりやすいとされる、東欧の国に入ることを目指し、申請を行います。無事に査証を得ることができたら、その国に渡りそこから、ドイツを目指します。
もし、査証が得られなかった場合は、「陸路」でシェンゲン国を目指します。移民を希望する人に知られているルートがあるようです。これは、正式な国境を通らないことを意味します。所謂、不法入国です。
斡旋業者の存在
Bさん曰く、斡旋業者があり、希望者をつのり、バンに載せて移送します。値段は4,000米ドルから6,000米ドルで、先払いというケースもあれば、後払いというケースもあります。ユーロポールの調べによると、こうした斡旋業者の稼ぎは昨年1年間で最大60億ドル(約6,600億円)にも及ぶことがわかってます。斡旋業者による不法な国境超えで2015年には、シリア、イラク、アフガニスタン人からの難民71人がハンガリーに密入国させられて間もなく、トラックの中で窒息死した事件も発生しています。警察が荷台を開けると、中には、形をとどめないほど腐乱した71人の難民の遺体が詰まっていました。こんな事件もありつつも、陸路での移動のケースは絶えません。
不法にでも入国可能なのか?
もちろん、法律に触れます。しかし、実際のところ陸続きのヨーロッパ、様々なルートからヨーロッパに入国する例があとを絶たないようです。知られているのが、地中海を小舟で渡るルートですが東欧を通じて陸路からも可能と聞きます。Bさん曰く、東欧の某国の国境からシェンゲン国に入国することが可能で、現在そのルートを通って、Bさんの友人がスロバキアまで到達できたと連絡があったと言っていました。つまりBさんの友人は、インターネットを通じてどこまで到達できたのかを逐一報告してきていたようです。
なぜドイツ?
Bさんの友人がいること、そしてドイツが多くの移民を受け入れていることを知っているためとのことでした。もし、ドイツでの難民申請が却下された場合はフランスに渡りたいとも言っています。何故かと尋ねると、フランス政府から手厚い保護を受けられるからというもの。両国で受け取れる補償や、申請期間中に就労で得られる月額を計算しているようでした。
ドイツでの生活を想像できるか?
ドイツやフランスはBさんの母国とは文化・システム等異なるので、到着後の生活等想像できるのかと聞くと、「政治亡命あるいは難民申請後にどこか働く先を見つける。とにかくやれることを見つける。その間、現地の女性と結婚して永住権を得られるならよいと思うけど、文化や本人の趣向の問題で欧米人と結婚はしたくないと思っている」とのこと。Bさんも斡旋業者の一部なのでは?
Bさんは中東で働いた経験もあるため、斡旋業者に支払うそれなりにまとまったお金があります。彼曰く、中東ではホテル等で働き月に1,000米ドルほどの稼ぎがあったようです(稼ぎについても、いろいろ話してくれました)。しかし、アゼルバイジャンに来るまでに頭金として3,000米ドル程を払っています。
しかし、斡旋業者が求めている額は12,000米ドルで、そのようなお金はないため、友人に頼って自力で行くのがよいと思っているようですが、斡旋業者を利用しても一日も早くヨーロッパに行けるのであれば、それはそれでよいと思っているようでした。
しかし、斡旋業者が求めている額は12,000米ドルで、そのようなお金はないため、友人に頼って自力で行くのがよいと思っているようですが、斡旋業者を利用しても一日も早くヨーロッパに行けるのであれば、それはそれでよいと思っているようでした。
また、彼の母国からくる「希望者」が無事に到着し、宿泊施設に泊まれるように手配しているようで、確認はしていませんが、これを通じても多少のお金を得ているように思われました。なので、すでに斡旋業者の一部(末端の人間)となっているようにも見られます。
実際、同じ斡旋業者を利用する友人たちと町中をたむろしている姿を滞在中に何回か見かけています。同じ境遇の若者たちが集まるのはわかりますが、10人弱のグループで混雑した街中で周りを観察するように佇む姿はちょっとコワかったです。
実際、同じ斡旋業者を利用する友人たちと町中をたむろしている姿を滞在中に何回か見かけています。同じ境遇の若者たちが集まるのはわかりますが、10人弱のグループで混雑した街中で周りを観察するように佇む姿はちょっとコワかったです。
なぜ、Bさん身の上話をするのか?
「違法にでも入国したい」的な現在進行系のまずい話等おおっぴらに話すBさんに驚いたのですが、この聞いてもいない話をする理由は、まず単純に聞いてほしいということだと感じました。
とにかく骨の折れる作業、そして故郷を離れて寂しい気持ちもあるため、話したいようです。また、話をすることで他にヨーロッパ(や日本)への移住の可能性がないかさぐること。彼らの内々にネットワークがあり、情報がある程度共有されていますが、移住についての確かな情報、その他の可能性についての情報を得たいと思っているようでした。更には親しくなって何か有益な情報を得ることあるいは直接得ること(お金の無性)等かと予想されます。
とにかく骨の折れる作業、そして故郷を離れて寂しい気持ちもあるため、話したいようです。また、話をすることで他にヨーロッパ(や日本)への移住の可能性がないかさぐること。彼らの内々にネットワークがあり、情報がある程度共有されていますが、移住についての確かな情報、その他の可能性についての情報を得たいと思っているようでした。更には親しくなって何か有益な情報を得ることあるいは直接得ること(お金の無性)等かと予想されます。
危険をおかし、移住して、後日家族を呼び寄せるということで、移民の多くは男性です。そのため、女性に対して身の上を話すことについては、移民に対して有利になる関係性につながる何かを期待しているということも多少は頭の片隅に入れておくべきではないでしょうか。上記にも少しだけ触れましたが、全ての人ではありません移民先の女性と結婚することで、永住権を得られるということを期待しています。
オランダ在住のときにとある中東の国からの学生が、非常にアグレッシブにオランダ人の友人を(男女の関係として)誘っているということを見聞きしました。さらには、同地域の学生も自国に帰りたくないあまりに、こちらで彼(女)を見つけたいと言っていたことも思い出されます。もちろん、すべての移民がそう思っていわけではありません。そして、結果としてそのような関係になることはただありますが、全て狙って起こったことではないことも強調させてください。
実際の問題
Bさんのようなケース、各種の法に触れる可能性がある活動に関与することで問題ですが、何が特に問題なのでしょうか。まず、Bさん自身が危険に晒されるということ。斡旋業者もお金だけを得て、実際のサービスを行わない、違法に入国をさせるようにする。違法入国の際には身体的なリスクを追うことになる等。
また、仮にBさんが希望する国に入国できたとしたら、その受け入れ国はそのBさんのために税金を使い、難民認定を出すか否かの調査を行う他、その間の保護を行います。このようなケースが増えることで、受け入れ国政府機関は大きな負担を強いられ、本当に保護が必要とされる人にリーチすることが難しくなります。また、受け入れ国住民たちも難民を見る目が変わってくることになり、難民が今後その定住国において統合されていくことの足かせになります。
思うところ
いきなりの身の上話に驚きつつも、Bさんの選ぼうとする選択肢は、そもそも違法であり、本人も搾取される可能性が高く、危険も伴いかねないので、中東、あるいは自国にもどり、地道にお金をためて、経験を積んで、人生を設計し直すのが良いのではないかと、「意見させて戴くようで恐縮だけど」、と前置きをして、話を聞いた後にコメントさせていただきました。
Bさんの国でイスラム教徒が迫害されているという話をききますが、彼自身はその迫害の対象となったことはないようで、いままで脅威は感じたことはないと聞きました(潜在的な危険はあると思いますが)。
ヨーロッパに行ったからといって楽な生活になるわけではないということは、オランダの移民コミュニティーを見て知る通りのこと。実際に、現地の言葉が不自由な移民がつける仕事は限られています。
しかし、フィリピンで見てきた事情ー正規の雇用で雇われて、地道に生活しても日々暮らしていくことがやっとな社会において、経済格差のある国でバイトのような形でも給与を得られることがどれだけの助けになるかということを知り、また地元のの給与で雇用されることで身を持って経験した立場において、経済移民の存在を単純に否定できません。彼らは海外にいくためのリスクを承知ですが、他に捨てるものがないというところまで追い詰められ、決断を迫る場合もあります。
今となっては、Bさんと連絡を取る手段はありませんが、自国に戻っていることを願いつつ・・・アゼルバイジャンでの旅を終えました。
Bさんの国でイスラム教徒が迫害されているという話をききますが、彼自身はその迫害の対象となったことはないようで、いままで脅威は感じたことはないと聞きました(潜在的な危険はあると思いますが)。
ヨーロッパに行ったからといって楽な生活になるわけではないということは、オランダの移民コミュニティーを見て知る通りのこと。実際に、現地の言葉が不自由な移民がつける仕事は限られています。
しかし、フィリピンで見てきた事情ー正規の雇用で雇われて、地道に生活しても日々暮らしていくことがやっとな社会において、経済格差のある国でバイトのような形でも給与を得られることがどれだけの助けになるかということを知り、また地元のの給与で雇用されることで身を持って経験した立場において、経済移民の存在を単純に否定できません。彼らは海外にいくためのリスクを承知ですが、他に捨てるものがないというところまで追い詰められ、決断を迫る場合もあります。
今となっては、Bさんと連絡を取る手段はありませんが、自国に戻っていることを願いつつ・・・アゼルバイジャンでの旅を終えました。
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