バックパッカー(Backpakkers) ならぬベックパッカー(Begpackers)、先進国からの物乞い旅行者

現在著者が滞在するトビリシでも度々目にするバックパッカー。低予算で旅行する旅行者がバックパック(リュックサック)を背負って移動することが多いことから、この名が付けられました。

近年は、格安航空会社の価格競争によりより安価な航空券を入手できること、ユースホステル、ゲストハウス、ドミトリー、民泊などの安宿オプションの充実、SNS、ブロガーによる旅ブログ、電子掲示板の情報資源が豊かになり、バックパッカーが長期の旅行を計画し、実行し、継続することは以前よりも容易になっています。

ハードルが低くなった分、安易に旅を計画し、実行し、事件に巻き込まれたり、予算が足りず、滞在国で物乞いする旅行者ベックパッカーがいることが話題となり、特にアジア諸国で批判の対象となっています。はて、このベックパッカーとはどういう人たちなのか・・・批判・擁護の声を含めまとめました。
インドの寺院の前で物乞いする外国人観光客
(C)The Covai Post

ベックパッカーって何?

先進国から来た、物乞いで旅費の不足分を補っている旅行者たちのこと。主に、バックパッカーとして各国を旅し、その後ベックパッカーになった様子(バックパッカー=ベックパッカーではありません)。東南アジア、特に観光客の多いタイ、ベトナム等でに確認されています。タイに置いては、日本からの旅行者も物乞いをしていたとして、地元の新聞で話題になりました。

物乞いのスタイルは、ダンボール紙に
I am travelling around Asia without money. Please support my trip.

「アジアをお金を持たぬまま旅行中である。旅を支援してほしい」、あるいは「No Money」等と書いて目の前に募金のための箱を設置する、あるいは音楽を演奏したり、はがきやアクセサリーを販売する等して金銭を稼いで、旅行代の足しにするその行為全般を行う旅行者。



ベックパッカー事件簿

乳児にボリショイサーカスなパフォーマンスを強要??

ロシアからのベックパッカーがマレーシアのクアラルンプールで地元警察により拘束されました。理由は彼らが物乞いの際に行ったパフォーマンス。乳児の足を掴み、アクロバティックな演技をさせました。それを観た通行人がすぐに警察に通報。

ロシアでは、乳児にアクロバティックな行為をさせることは、虐待には当たらないどころか、子どもの身体の成長を促す行為として推奨している人もいる!?ことから、マレーシア政府の反応にも批判がありましたが、子どもが万が一落ちたら、大怪我となるため両親の責任は追求されるべきでしょう。

NO Moneyな日本人学生?

タイで日本からのベックパッカーが警察に保護されたというニュースもありました。パトロール中の警察官が「NO Money」とクメール語で書かれたダンボールを持った東洋人を保護。彼らは日本の大学生でした。

警察官は、観光警察に連絡する他、彼らに水をあげて、このような方法で旅を続けることは安全ではない!と助言。地元警察のSNSには、多くの反響が寄せられましたが、その中で多かったのが、警察を賞賛する声、そして学生たちへの疑問の声。「裕福な国から来て、しかも大学にまで通えている旅行者が、金銭無く旅行している」「おそらく、ヒッチハイクなどで無賃乗車を期待していたため、実際の金銭を求めての物乞いであるのかは不明だけど、ーNo Moneyってあったから、だれかがお金をくれることを期待していたのかも」

ベックパッカー批判

貧困国で富裕国からの国民が金銭を求めることへの非倫理性

先進国と言われるOECD国の一世帯の可処分所得は30,563米ドル程。一方、ベックパッカーが散見される、タイでは、約8,000米ドル、お隣のカンボジアでは2,000米ドル以下、また、それらの国では、首都圏と地方の差が大きいため、地方に行くほど、この数値は低くなるため、地方では厳しい生活をしている人たちもまだまだ多いのが実情。

所得が少なくても、それらの国は物価が安いから、彼らの生活に問題はないという声も聞かれますが、年々のインフレに給与の上昇が追いつかず、家計が苦しく借金をする人たちも多くはないため、富裕国の人たちが現地の人たちの暮らしぶりを知らず、物乞いするというのは、非倫理的。

優しさを利用するズルさ

地元の人々が路上で物乞いをしている外国人(通常お金を持っていると認識されている)を見るとき、彼らは本当に心配になり、そして何が起こったのだろうかと想いをよせます。金銭は思いやりを持った地元民によって与えられると思いますが、実際のところ、彼らが思うほど事態は深刻ではないはずです。

優しさを利用なんてしてない、関心がある人だけ助けてくれると思う人もいると思いますが、人は思う以上に思いやりをもっています。

ベックパッカー擁護論

パフォーマンス等をしてまっとうに?寄付をもらっている人もいる

ベックパッカーの中にも、ギターの弾き語り、ヴァイオリンの演奏等の特技があり、観客を喜ばせて、その対価として寄付をもらっている人もいる。また、アクセサリー等も販売しており、ただ、彼らは物乞いしているだけではないから、それに対して非難することが憚れるという声も。

先進国の全ての人が海外旅行を楽しめるわけではない

いくら、平均化処分所得が高いからといって、全ての世帯がそのように恵まれているわけではない。元々持っているお金が少なくて、そんな彼らが予算が足りなくなって、物乞いせざる得なくなるというのは、ある意味仕方がないことであり、旅行をしたい彼らの自由な意志はくじかれるべきではないという擁護もあります。

事情があるはずだから、すぐさま批判の対象にすべきではない

異国の地で、路上に座り、物乞いをするというのは恥ずかしいはず。しかし、それをセざるを得ない状況にまで追い詰められている旅行者をすぐさま、避難の対象にすべきではない。もしかしたら、悪い人に騙されて、お金を騙し取られたかもしれないし、途中で思わぬ出費があり、現金が底をついてしまった等・・・。

結局どうなのか

批判する側も、擁護する側もそれなりの言い分がありますが、それらの国で仕事をして、生活してきた立場としては、やはりベックパッカー(Begpackers)はご勘弁願いたいというのが心情。そして、以下の理由から行為に対して、嫌悪感を持っています。

持っている者が持てぬ者に求める行為に対してはNO

理由は、自国に帰ればお金を稼ぐ機会がある富裕国の若者が、持てぬ人、あるいは余裕がない人たちから恵んでもらうというのは、公平では無いと思います。

そして、自国ではしない物乞いを他国で、しかもまだ貧困者の多い国で、旅行のような贅沢をするために行えるのか、その神経を疑います。

先進国の若者全てが海外旅行を楽しめるわけではない、しかし・・・

先進国の若者全てが海外旅行を楽しめるわけではないというのは本当ですが、それでも、彼らの立場は、それら貧困国のビザの関係で移動を制限されている若者と比較すると極めて恵まれています。

所謂途上国からの若者たちは、先進諸国に行く場合、ビザの申請にお金と時間をかけ、たくさんの書類を提出して、ビザを取得してやっと旅行(仕事でも同様の手続きが必要)に行くことが出来ます。一方、ベックパッカーの出身国は大概ビザの手続は免除されており、遥かに初期費用少なく、各国旅行することができます。それらを比較すると、先進国の若者の窮状は霞んでしまいます。

フィリピン人の友人が、一年前観光で日本を訪れました。月の給与が、30,000円から40,000円ほどの彼らは一年以上も前から貯金して、計画を立てていました。ベックパッカー、そう考えると、安易すぎませんか?

そもそも違法という国も

実際物乞いがまだまだ多いアジアの国ですが、法律では禁止されている国もあります。フィリピンもそのうちの一つです。しかし、物乞いをせずして日々の暮らしが成り立たない人たちもいるため、黙認しています。

また、路上でしかも外国人がお金を稼ぐということは就労行為。そのため、それなりのビザを有していないといけないことも念頭に置くべきです。自国では、法を守るベックパッカー、途上国では法を犯してもよいのでしょうか。

事情があるなら・・・

擁護論の一つ、事情があるケースについてですが、本当に緊急の場合は、各国の大使館に相談出来ます。大使館はお金の供与、貸与はしていませんが、家族や友人等からの送金に関する助言等を得られます。つまり、それをせずに物乞いを選んだということは、深刻度はそれほどでもない、という理解になります。

安易過ぎる選択

バックパッキングは、経済的な理由のみで行うのではなく、ツアー等では見ることができない市井の人々の暮らしに触れられるという利点があります。しかし、ベックパッカーとなってしまってはそれら市井の人たちに不快な思いをさせてしまうことでしょう。

もちろん、ツアーではない以上、様々なトラブルに見舞われることもあり、旅行中人の善意に頼らざるを得ないこともただあります。そのため、結果としての物乞いということもあるだろうことは予想されます。ただ、ベックパッキングを安易に一つのオプションとして考えてほしくないです。

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