ドゥテルテ大統領が行っている麻薬戦争は一次的に関連した殺人が減りましたが、ここ数日また激しくなってきました。警察が行う麻薬取締捜査中に10代の少年が巻き込まれ、亡くなったことが大々的にニュースで取り上げられ大きな波紋をよんでいます。ドゥテルテ大統領の「麻薬戦争」によって亡くなった人数は先週一週間のみで80名に上りました。
しかし、国内外のフィリピン人、大統領の麻薬戦争を声高にサポートする人たちはまだいます。同時に、この麻薬戦争に強い反感を持つ人たちもおります。どちらの立場であっても是非この映画を見てほしいと思ってしまいました。映像を通じてフィクションであっても客観的に一体どういうことが起こっているのか?関係者に与える影響は何なのか?それを見る機会になるからです。
しかし、国内外のフィリピン人、大統領の麻薬戦争を声高にサポートする人たちはまだいます。同時に、この麻薬戦争に強い反感を持つ人たちもおります。どちらの立場であっても是非この映画を見てほしいと思ってしまいました。映像を通じてフィクションであっても客観的に一体どういうことが起こっているのか?関係者に与える影響は何なのか?それを見る機会になるからです。
映画のあらすじ
主人公ローサは、ネスターの妻で、4人の子どもの母。家族で運営するサリサリ・ストア※を切り盛りしています。しかし、サリサリ・ストアと電気技師として働く夫の稼ぎだけでは、家族を養って、子どもの教育費を捻出することはできません。そのため、彼女のサリサリ・ストアで麻薬を少量ずつ販売し、その不足する収入を補っていました。
ところが近隣者の密告で、麻薬販売を販売していることが発覚、ローサとネスターは警察に捕まってしまいます。夫婦に保釈金を要求する警察。家族のひと月の稼ぎの数倍はするであろう高額な保釈金(5万ペソ)、その保釈金を集めるべく奔走する子どもたち、さて夫婦の運命はいかに。
※サリサリ・ストア、サリサリとは「種々の」という意味で、様々な品を小分けで販売している小売店。
汚職警察官はフィクションかそれともノンフィクションか?
描かれた警察の捜査、警察官は映画である以上はフィクションです。しかし、どこまでが事実に即して描かれているか、気になるところではないでしょうか。恐らく、映画に近いこと、あるいはそれ以上に最悪な捜査実態、警察官はいることでしょうし、ずっと真面目に任務を遂行する警察官もいることは確かです。ただ、フィリピン人の中で警察官のイメージは総じてあまり良いものではありません。映画中の警官は、汚職、暴力と権力を傘に傍若無人に振舞う悪漢として描かれ、視聴者に強烈な印象を残します。捜査で押収した金を着服、銃(暴力)で容疑者を脅し、自らの裁量でその保釈金を決め、容疑者の人権も何もありません。実際の麻薬捜査では、深刻な人権侵害や超法規的な殺害ケースが多く報告されています。また、捜査の途中不法に金銭を要求する警察がいることも確かです。
映画中に露天商として登場する男性はマタ(フィリピノ語で「目」の意味)としてコミュニティを露天商として歩きながら、その様子を観察し、警察に伝える役割を果たしています。
そもそも何で保釈金?
捕まった夫婦は通常であれば恐らく数年間は服役しなければならなかったでしょう。しかし、劇中では汚職警官が咎めを受けぬ代りに(不正に)保釈金を要求します。これで、夫婦は麻薬販売で捕まったという記録も残らなければ、刑務所に入ることもありません。もちろん、夫婦は不正を行う警察官にたいして、(明らかに貧しいので、大金をはたいて弁護士は雇えません!)国選弁護士を得て自らの「権利」のために戦うこともできます。しかし、これによって自らの命も危うくなり、また麻薬の所持のゆえに刑に服することになります。市民がからむ麻薬犯罪は本当に日常的なのか?
著者はフィリピンの田舎町で一昨年前まで生活していましたが、コミュニティでの麻薬の販売、そして使用はあると断定してもよいと思います。実際、ご近所さんが麻薬を使用し、ハイになって自宅の窓ガラスを壊すという事件もありました。その後、その人は治療施設に連れていかれたそうです。この事件はドゥテルテ政権前のことでした。劇中のようにサリサリ・ストアなどで販売されている他、他の街から売人がやってくるというケースもあります。入手先は一般市民には広くは知られていないようです(念のため)。
映画に見るフィリピン的なもの
映画のフィリピン的なものが沢山ちりばめられており、一度フィリピンに行ったことがあるという人は映画の内容だけではなく、劇中に現れるフィリピン的な映像に引きつけられるのではないでしょうか。冷水のビニール袋販売
映画のはじめに買い物からの帰宅途中にローザが買う、ビニール袋に入った冷水。フィリピンでは冷蔵庫がない家があります。そのため、サリサリ・ストアでは、ビニール袋に入った氷を販売しているほか、氷になる前の冷たい水も販売しています。ペットボトルなどに入っていないため袋を口で切って開封して飲みます。ペットボトルよりも安価です。
ツケでの売買
ローサが夕食を買う時、現金が不足(十分な代金を持っていかなかった)ため、「ツケ」で食料品を購入します。実はこのツケでの売買、コミュニティーでは頻繁に見られます。店側はノートにつけ売りの金額、購入者などを記録し、後日取り立てますが、成功しないこともしばしです。それゆえに、店の店頭には「ツケでの販売はしない」と明記していることも。
近所との付き合い
近所の住人とは日常的に話をします。違法ですが、お金をかけたカードゲーム、コイントスなども行われており、それらを通じてお互いを知っているほか、子どもの友人を通じてお互いをよく知っています。お互いが同じ位の経済レベルであることも日常の会話、開け放たれた家屋を覗けばすぐにわかります。
しかし時に近所が成功したりすると、それをねたむ人も出てきます。フィリピンでは特に「クラブ(蟹)・メンタリティ」と呼ばれる現象を目にすることがあります。これは、かごに入ったカニがバケツの外に出ようとするのですが、結局周りのカニ足を引っ張られ引きずり落とされます。抜け駆けを許さない人たちがいることは、どの社会も同じですが、これらは職場だけではなく近隣の付き合いにも見られます。
フィリピンでは、近隣との往来があるため、どこの家庭がよく稼いでいるのか等々を知っています。新しいテレビを購入した、家の内部を改築した等々です。それらを知って近所の人たちはお金を「借りに」来たりします。
フィリピン人の金策
劇中では子どもたちが両親の保釈金を集めるべく奔走する姿が描かれています。長男は家財を売り、長女は親族に頭を下げ、二男は身売り!をします。
身売りは一般的だとは思いません!が、家族意識の強いフィリピン人、ありえると思えてしまうので不思議です。一方で、親族に助けてもらうことは頻繁にあります。劇中で親族を回った長女は疎遠になっていた親族からなじられるも、最終的にはお金を「貸して」もらえます。ちなみにここでの貸し借りは、返さないことを前提とした貸し借りです。
また、劇後半に”56”あるいは”ブンバイ”と呼ばれる南アジア系移民の高利貸が登場します。金利は20パーセントと高いものの、担保がない貧しい人たちは彼ら高利貸しからお金を借ります。利子の一例として4,000ペソの借款に対して、500~800ペソほどの利子がつきます。この貸し借りを繰り返すことで人は貧しさから抜け出せません。
そして頼れるのはバランガイキャプテン。バランガイ・キャプテンは日本の町内会長のようなものですがフィリピンでは最小行政区の長として選挙で選出されます。
長男が家財を売ろうにも、買い手がなく困って最終的にはバランガイキャプテンに買ってもらいます。フィリピンでは困ったことがあると、バランガイキャプテンに頼り、住民を助けることよってバランガイキャプテンも政治的な地盤を強めます。よくコミュニティの人々から、イベントへの寄付のお願い、金銭的なサポート、口添えなどを要求されています。持ちつ持たれつですが、それゆえに汚職がはびこる一つの原因にもなります。
食べる様子がよく描かれている
フィリピンの映画では多いのですが、食べる様子が劇中でよく描かれております。夫婦が、警察官に逮捕される前の家族の夕食、警察署の中で、そして保釈金を得るべく奔走した後のローサ。
警察が押収したお金を使い、鶏肉の丸焼き(レチョン・マノック)を注文し、夜食をとります。鶏の丸焼きは一つ200ペソ前後します。特別な時に購入する鶏の丸焼きと飲食を通じて、警察が押収した大金を得た祝いのように描かれています。
なんとなく裏切る
以前、フィリピン人の作家先生とお話した際にフィリピン人は「実存主義的」な存在、「有限な私が今をどう生きるのか?」であると言っていたことが思い出されます。劇中、ローサの麻薬販売を警察に密告した青年もやったことの深刻さは一日も経てば忘れたかのように、日常にもどります。そんなフィリピン人像が青年に描かれていました。
スラム・コミュニティの様子
道幅、家屋の作りなど典型的なスラム街。スラム街の道幅は狭いところで人一人が行き来できる幅、そして狭い路地はコンクリートで舗装されていないため、ぬかるんでいます。また、家屋の窓には窓枠が無いことも。人で込み合っており、路上にたむろする若者(タンバイ)の姿も見られます。近隣の住民はお互いよく話をします。
映画を視聴して
最後まで観てもハッピーエンドではなく、どこか胸やけ感が残るこの映画。その理由は、暴力と汚職まみれの警察、そして自分たちの権利のために戦わない市民、リスクを冒して麻薬を販売しながらも決して暮らしぶりがよいわけではない家族など、一つの問題を解決したからといって決して”幸せ”にはなれない現実を映画にみたからではないかと思います。また、映画ではローサが麻薬を販売した人物も捕まりますが、その人物は自らが捕まったことを庇護者である警察の幹部に伝えようとします。しかし劇中では警察上層部の汚職は描かれませんでした。下層だけではない汚職の現実にこれが本当だったらと、気持が重くなります。 なんだか、暗ーい映画と思われますが、2016年のカンヌ映画祭では、ローサ演じるジャックリン・ホセが主演女優賞を受賞しており、フィリピンのどこにでも居そうなサリサリストアの店主、数人の子どもの母を好演しています。
ちなみに汚職警官役の男性はマリファナの所持・使用で現在刑務所にいるとか。
警察上層部の汚職の描き方は少々雑にも思えてしまいましたが、ドキュメンタリータッチの映画、よかったです。現在日本でもいくつかの映画館で上映されています。是非、ご覧あれ。
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