競争社会のはじまりは教育からーフィリピンの教育、卒業式シーズンで思うこと

昨日、甥っ子と姪っ子のRecognition Dayなるものに出席しました。地元の幼稚園から小学校5年生までの子どもたちに賞を授与するというものです。賞のメインは成績優秀者への賞の授与です。これには、親のみならず親族も参加します。何故6年生がいないのかというと、6年生は翌日(つまり本日)の卒業式内で授賞式があるためです。

フィリピンでは、こうしたセレモニーが学期末にある他、小学校は勉強の出来不出来によってクラスわけされているシステムがあります。成績優秀者は、スターセクションに振り分けられます。それらは、毎年の成績によって変動します。こうして、小学校から競争が始まります。*現在では全ての学校で成績によるクラスわけが実施されているわけではないようです。
受賞の様子。保護者と生徒が壇上にあがります。


どんな賞をもらうのか?

セレモニーで授与される賞は、勿論成績が良い生徒ベスト5、全日出席者などは勿論、ベストパフォーマーや清潔にしている生徒への賞(clean and neat)もあり、フィリピンらしいと思ってしまいました。基準は一体何なのか大変気になりましたが、全体で約100人ぐらいが何らかの賞を受賞しているようです。

躾<勉強?

フィリピンでは親は子どもたちをのびのびと育てています。特に躾の面では甘いと感じます。もちろん日本の所謂「躾」と比較するには文化や風習の違いからもナンセンスですが、多少お行儀悪いことをしても親が目くじらを立ててしかりつけることはありません。子どもたちにやらせたいようにしています。あまりにやらせたい放題なのでそれを傍らで見ている著者のストレスが溜まってきます(笑)。しかし、こと勉強のこととなると、小言をいう親は多いです。また、しつけはともかく、年上を敬うことについては、学校の成績と同様に言われます。

受賞後は先生にご挨拶

競争社会の良い部分

競争させることの良いところはその合理性でしょう。Recognition Dayなど優秀者を表彰する式があるほか、成績に応じたクラス分けもあるとしたのは上記の通りですが、クラスわけは理解の早い学生が退屈しない仕組みでもあり理にかなっています。そして、教員もそうした”優秀な”生徒向けの教材を用意することができます。

また、頑張りを認めてもらえるシステムと言えます。この順位が公表されるという仕組みは人生のあらゆる所についてきます。先日の大学の卒業式でも成績優秀者として表彰された人たちには企業からの仕事のオファーが舞い込みます。もちろんどの大学を卒業したのかというのは非常に重要ですが、同時にその大学内での頑張りも認められるわけです。ちなみに司法試験、社会福祉士、会計士などの国家試験なども合否だけではなくその順位が掲示されます。そして、上位者は勿論多くのチャンスに恵まれるわけです。

競争社会は良いのか?

こうした競争がフィリピン社会という文脈で善か悪かという判断はできません。その理由は、教育が非常に大切で、悲しいことにフィリピン社会は”敗者復活戦”は教育というフィルターなしには作用していないからです。

日本では、高校卒業という資格でも就職が可能です。もちろん、就職先を探すのが厳しいと言われる昨今、高校卒業という資格は安定した収入を得るための十分条件ではないと言われます。しかし、フィリピンでは高校卒業の資格で職を得ることは難しく、そして得られたとしても得られる給与は家族を養えるレベルではないことがただあります。そのために、フィリピン人の親は子どもが望んでいなくても、高等教育を与えようとします。

しかし、著者は年齢的な考慮と自己の過去との比較の中で何が向上したのかという比較とそしてそれを認めてあげることを含めないと、子どもたちが他者との競争の中で疲弊していくと思われ、Recognition Dayなどで賞与を与える他に何かをしていく必要があると感じます。

競争があることが普通?というフィリピン人

ちなみにオランダで出会ったフィリピン人の御姉さま方は、オランダの教育に競争がないことに不満を抱いていました。競争によって子どもたちが頑張り、その結果よりよい教育を受けられると言っていました。

特にオランダでは大学の数とそこに入学できる人数が限られており、よい成績を取ることが子どもに大学教育を受けさせる上での条件となります。そういう意味では、フィリピンのシステムよりもシビアでしょう。

大学以外は専門大学や技術校となります。子どもには絶対大学教育を受けさせる!というのが信条のフィリピン人の御姉さま方には、オランダの教育スタイルが不満のようでした。

大学を卒業してもいい仕事にはつける確率が低いのか?

フィリピンでの大学の入学そのものは、実はそれほど難しくはありません。予備校など行かなくとも、しっかり学校で授業をうけていれば、うかりますが、どの大学に行けるかは高校の時に成績と、家にお金があるかないかという問題。

大卒後、仕事が見つけられるかは、卒業大学、卒業時の成績、専攻によってもかわってきます。実技と直接のつながりのある学部、例えば、会計、工学、看護等々は、就職に苦労しないどころか、海外で職を見つけるという道を探します。貧困から抜け出し、家をサポートしたいと思うフィリピン人は少なくありません。

エリート大学(フィリピン大学、アテネオ大学、ラサール大学、セント・トーマス大学等々)の卒業生も職探しにはそれほど苦労しない様子。また、成績がよい学生は、卒業時に表彰もされ、卒業時に大学での教職の道や、就職時のアピールポイントになり、上記でも述べましたが、仕事のオファーがきます。

個人的な所感

大学教員時代の違和感は、競争意欲>知的好奇心。親からのプレッシャーを一身に受け、大変な様子で、知的探求を楽しんでいる学生というのはわずかでした。日本も似たり寄ったりでしょうが、フィリピンでは、家族が高額な学費を支払っていることにプレッシャーを感じ、よい成績を取るためのカンニング行為というのもやもなし、という様子でした。

しかし、どうしてフィリピンの式典は不必要に長いのか!午後2時から始まった式は午後8時ごろにようやく終わったようです。それを予想して午後6時から出席しました。幸運にも甥っ子と姪っ子の受賞は逃しませんでした。先日の大学の卒業式は午後1時から始まり9時頃終わったので、これはフィリピンのスタンダードなのでしょう。最初から最後まで出席した人はこういう式次第に慣れているか、よほど我慢強いのでしょう(汗)。

これら表彰も競争社会の”勝者”が自らの立場を強固にするために持たせたシステムの一部。存続の有無はともかく、ひとまず式典は短く済ませるべきでしょう。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

0 件のコメント :

コメントを投稿

Subscribe