「スモーキーマウンテンまでの行き方教えてください」
20代後半あるいは30代前半ぐらいの日本人男性の無邪気な(と言ってよいのかははばかれるが、そう形容する以外に考えられない!)質問に、思わず「何で、スモーキーマウンテンに行きたいの?」と聞き返してしまいました。スモーキーマウンテンとは、かつては貧困の象徴とされたマニラのごみ投棄場所。
私の質問に対するはっきりした答えはないものの、折角フィリピンに来たのだから、有名なスモーキーマウンテンを目にしておきたいというものでした。その男性は、私のやや冷やかな反応にめげずに、テーブルに地図を広げます。
この青年、個人で貧困ツアーがしたいのかなぁ、という思いがふっと湧きました。「貧困ツアー」はとても強烈で否定的な意味になる+明確な意味づけがないので、使うのがはばかられますが、(なので「」付き)この青年はNGOの主催するスタディツアーに参加するでもなく、短期であるため参与観察というわけでもなく・・・貧しい人が生活する地域を見学したい、個人主催の「貧困ツアー」をしたいとのだと理解しました。
集められる廃棄物の中から、「売れる」ゴミを拾い、ジャンクショップに売り、生活の糧を得るスカベンジャーたちの姿が。売れるゴミとは、プラスチック、金属、紙、ガラスなど。その労働の代償として得られる額は100ペソ(50円)前後~と言われています。
ゴミの自然発火のためゴミから出る有毒な煙を吸い込み、スカベンジャーやその周辺地域に住む人々は、肺炎や下痢、結核など命にもかかわる病気を患うほか、胎児への深刻な健康への影響も報告されています。
トンド地域は169のバランガイで構成され63万人を有する地区。観光地イントラムロスの目と鼻の先。ただ、トンド全域がゴミの廃棄場所であったわけではありません。90年代のラモス大統領時代、貧困の象徴であるこの地域が国際的な非難を浴びて閉鎖に至っています。
友人も何人か生活し、以前勤めていたNGOでプロジェクトを行っていた地域であったため、その担当ではありませんでしたが何度か足を運んだことがあります。街の印象は、大きな通りは基礎がそれなりにしっかりした建物が並び、商店があり平均的な街よりも込んでいるように感じました。混雑の理由の一つは、大きな市場であるデビソリアの近くであるためでしょう。一歩街に入ると、バラックの家が立ち並び、台風などが来たら吹き飛ばされそうな家並みが広がっていました。(2006年のこと)
スモーキーマウンテンに運ばれていたゴミは、ケソン市ルパンパンガコ地区にあるパヤタスに運ばれるようになりました。
また、スモーキーマウンテンから追い出されるように移動してきたスカベンジャーたちは、ごみ山の周辺にバラックを建て、またスカベンジャーたちの集めたごみを売るジャンクショップなども出来上がり、徐々に街を形成していきます。
搬入された廃棄物を地面に積み上げてゆく開放投棄方式のため、廃棄物は山のように積み上がり、街を取り囲み、天気と風向きで強いにおいを街にもたらします。そしてこの地域の住民やスカベンジャーの健康状態は決してよくありません。スモーキーマウンテン同様の居住環境となります。
2000年7月、降り続いた雨のためパヤタスの積み上げられた廃棄物の山は倒壊し、200名以上、もしくはそれ以上の人が犠牲となる大惨事となりました。この事件以降、廃棄敷地内に住むことは禁止され、スカベンジャーは近隣地域から通うことになりました。
こんな経緯があり、現在に至った両廃棄所。しかしその男性は、場所はおろか、90年代に既に閉鎖されているとは知らない様子でした。
20代後半あるいは30代前半ぐらいの日本人男性の無邪気な(と言ってよいのかははばかれるが、そう形容する以外に考えられない!)質問に、思わず「何で、スモーキーマウンテンに行きたいの?」と聞き返してしまいました。スモーキーマウンテンとは、かつては貧困の象徴とされたマニラのごみ投棄場所。
私の質問に対するはっきりした答えはないものの、折角フィリピンに来たのだから、有名なスモーキーマウンテンを目にしておきたいというものでした。その男性は、私のやや冷やかな反応にめげずに、テーブルに地図を広げます。
スモーキーマウンテンとは?
さて、そもそもスモーキーマウンテンって一体何なのか?これをこの青年と話しました。スモーキーマウンテンとは、フィリピンマニラ市北部のトンド地区にあったゴミの投棄場所。かつての漁村としてにぎわっていた地域が、1950年代から1994年まで首都圏のごみの集積場所となりました。集積したゴミが自然発火し燻る煙が昇るさまから、スモーキーマウンテンと名付けられたこの地は、アジア最大のスラムとも呼ばれていました。日本では、四ノ宮浩監督のドキュメンタリー「忘れられた子供たち スカベンジャー」で、知られるようになりました。集められる廃棄物の中から、「売れる」ゴミを拾い、ジャンクショップに売り、生活の糧を得るスカベンジャーたちの姿が。売れるゴミとは、プラスチック、金属、紙、ガラスなど。その労働の代償として得られる額は100ペソ(50円)前後~と言われています。
ゴミの自然発火のためゴミから出る有毒な煙を吸い込み、スカベンジャーやその周辺地域に住む人々は、肺炎や下痢、結核など命にもかかわる病気を患うほか、胎児への深刻な健康への影響も報告されています。
トンド地域は169のバランガイで構成され63万人を有する地区。観光地イントラムロスの目と鼻の先。ただ、トンド全域がゴミの廃棄場所であったわけではありません。90年代のラモス大統領時代、貧困の象徴であるこの地域が国際的な非難を浴びて閉鎖に至っています。
友人も何人か生活し、以前勤めていたNGOでプロジェクトを行っていた地域であったため、その担当ではありませんでしたが何度か足を運んだことがあります。街の印象は、大きな通りは基礎がそれなりにしっかりした建物が並び、商店があり平均的な街よりも込んでいるように感じました。混雑の理由の一つは、大きな市場であるデビソリアの近くであるためでしょう。一歩街に入ると、バラックの家が立ち並び、台風などが来たら吹き飛ばされそうな家並みが広がっていました。(2006年のこと)
スモーキーマウンテンからパヤタスへ
上記の通り、トンド地区のスモーキーマウンテンは閉鎖されてましたが、毎日家庭や職場から出されるゴミは、廃棄場所を閉鎖したからと言って、無くなるわけではありません。スモーキーマウンテンに運ばれていたゴミは、ケソン市ルパンパンガコ地区にあるパヤタスに運ばれるようになりました。
また、スモーキーマウンテンから追い出されるように移動してきたスカベンジャーたちは、ごみ山の周辺にバラックを建て、またスカベンジャーたちの集めたごみを売るジャンクショップなども出来上がり、徐々に街を形成していきます。
搬入された廃棄物を地面に積み上げてゆく開放投棄方式のため、廃棄物は山のように積み上がり、街を取り囲み、天気と風向きで強いにおいを街にもたらします。そしてこの地域の住民やスカベンジャーの健康状態は決してよくありません。スモーキーマウンテン同様の居住環境となります。
こんな経緯があり、現在に至った両廃棄所。しかしその男性は、場所はおろか、90年代に既に閉鎖されているとは知らない様子でした。
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