ペニャ・フランシア(penafrancia festival)祭りは、毎年9月の第三週に行われる、フィリピンでも有数の宗教的なお祭りです。
熱心な巡礼者(Devotee)が、「イナ」と呼ばれる木製のマリア像(Our Lady of Peñafrancia:彼らの言語で「母」を意味する)と共に街を行進。そしてナガ市を横切るようにして流れる、ナガ川の水上行進(fluvial procession)はこのフェスティバルのクライマックスです。
毎年、数キロ四方の地方の都市に数十万の巡礼者や観光客が訪れます。
ペニャ・フランシア祭りは、9日間の祈りをもってはじめられ9月21日の今日はそのクライマックスである3キロの道のりの行進(プロセッション)があります。行進に参加できるのは男性のみ。素足の男性たちに運ばれる聖母マリアの像は、ナガ市内を行進し、流れる川にボートでバシリカに運ばれます(フル―ビア・プロセッション)。プロセッションの後にバシリカにてミサが執り行われます。
彼と彼の家族は、ペニャフランシアの聖母に祈りを捧げました。その聖母のイコンはミゲルの胸にも刺繍されていました。ミゲルは、治癒したら、マニラのパシグ川のほとりにペニャフランシアにちなんだチャペルを建設して感謝の意を表すると誓いました。
のち、ミゲルの病気は奇跡的に回復しました。その後神父として任命された土地、ヌエバエカセレス(現在のナガ市)のナガ川のほとりに竹でチャペルを建設しました。当初のマニラのパッシグ川のほとりではありませんが、彼は誓いを果たしました。
ナガ川をボートで流れていくペニャ・フランシアを一目見ようと多くの人が川岸でその瞬間を待ちます。日本人からするとお祭りの神輿とその担ぎ手を待つ心境に似ているのかもしれません。カトリックの彼らは聖母マリアを通じて祈りをささげているため、日本の祭りとは少々異なる宗教的な熱狂を感じました。
商業都市といえどもマニラに比べたらずっと小さな街に多くの人が訪れます。この祭りは、フィリピン国内でもよく知られており、国内外の観光客も訪れ、またこの機会に帰郷するビコール人が多いと言われます。
一昔前に橋に多くの人が押し寄せて、橋が陥落し多くの死傷者を出したことがあるため、橋には警察官が待機して人が橋に留まらないように交通整理をしていたのを覚えています(汗)
故郷を遠く離れても、これはビコール人特にナガ市出身の人には故郷とのつながりを持ち、自分自身のカトリックとしてのアイデンティティを感じる大切な行事なのだと感じました。
※ペニャ・フランシアの安置場所
聖母マリア像は、その名の通りペニャフランシア教会に安置されていましたが、現在は後に建造されたバシリカにあります。
ペニャ・フランシア教会が多くの人を収容できないためだからと聞きます。フル―ビア・プロセッションの前に、かつての安置場所であったペニャフランシア教会に移されます。
熱心な巡礼者(Devotee)が、「イナ」と呼ばれる木製のマリア像(Our Lady of Peñafrancia:彼らの言語で「母」を意味する)と共に街を行進。そしてナガ市を横切るようにして流れる、ナガ川の水上行進(fluvial procession)はこのフェスティバルのクライマックスです。
毎年、数キロ四方の地方の都市に数十万の巡礼者や観光客が訪れます。
Our Lady of Peñafrancia |
ペニャフランシア祭り(penafrancia festival)
フィリピン、ルソン島南部のビコール地方の商業都市、マニラから飛行機で45分、バスで9時間の場所にあるナガ市で、毎年9月の第三土曜日に行われるこの有名な祭りは、同市の守護聖人、イナとして慕う聖母マリアの祭りです。ペニャ・フランシア(penafrancia festival)祭り、フルービアル・プロセッション/水上行進(fluvial procession) |
祭りの起源
スペインのサン・マルティン・デ・カスナーニャ生まれのスペイン人植民地支配者は、1712年にルソン島マニラの南西部にあるカビテで家族と居を構えました。ある日、その家の息子ミゲル・ロブレス・ド・コヴァルビアス(Miguel Robles de Covarrubias)が、マニラのサントトーマス大学で神父となるべく勉強している時、深刻な病気にかかってしまいました。彼と彼の家族は、ペニャフランシアの聖母に祈りを捧げました。その聖母のイコンはミゲルの胸にも刺繍されていました。ミゲルは、治癒したら、マニラのパシグ川のほとりにペニャフランシアにちなんだチャペルを建設して感謝の意を表すると誓いました。
のち、ミゲルの病気は奇跡的に回復しました。その後神父として任命された土地、ヌエバエカセレス(現在のナガ市)のナガ川のほとりに竹でチャペルを建設しました。当初のマニラのパッシグ川のほとりではありませんが、彼は誓いを果たしました。
祭りの様子
祭りのクライマックスは、土曜日の水上行進ですが、祭りはそれ以前からはじまってます。美人コンテスト、町には露天商がならび、また近隣の学校のパレードも行われています。この期間、ナガ市やその近郊の学校は休校です。ナガ川をボートで流れていくペニャ・フランシアを一目見ようと多くの人が川岸でその瞬間を待ちます。日本人からするとお祭りの神輿とその担ぎ手を待つ心境に似ているのかもしれません。カトリックの彼らは聖母マリアを通じて祈りをささげているため、日本の祭りとは少々異なる宗教的な熱狂を感じました。
商業都市といえどもマニラに比べたらずっと小さな街に多くの人が訪れます。この祭りは、フィリピン国内でもよく知られており、国内外の観光客も訪れ、またこの機会に帰郷するビコール人が多いと言われます。
一昔前に橋に多くの人が押し寄せて、橋が陥落し多くの死傷者を出したことがあるため、橋には警察官が待機して人が橋に留まらないように交通整理をしていたのを覚えています(汗)
海外でも行われている祭り
このフィリピンでのお祭りをオランダで体験しました。オランダにいるビコール地方出身者は少ないのですが、それでも出身地域の組織(日本でいう県人会)を組織して、この祭りを執り行いました。ミサからスタートし、フル―ビアプロセッションはアムステルダムのカナルをボートで渡りながら、象徴的に行われました。故郷を遠く離れても、これはビコール人特にナガ市出身の人には故郷とのつながりを持ち、自分自身のカトリックとしてのアイデンティティを感じる大切な行事なのだと感じました。
※ペニャ・フランシアの安置場所
聖母マリア像は、その名の通りペニャフランシア教会に安置されていましたが、現在は後に建造されたバシリカにあります。
ペニャ・フランシア教会が多くの人を収容できないためだからと聞きます。フル―ビア・プロセッションの前に、かつての安置場所であったペニャフランシア教会に移されます。
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