宗教への理解、イスラム教を学ぶ、異宗教の対話

ちょうどラマダンが終わり、その終了後の様子が全世界的に報道されていました。

なぜ彼らが一カ月もの間、日中の断食をするのか?なぜ5回お祈りをするのか等、ムスリムと接点がない人たちにとっては疑問なのではと思いました。そこで、このラマダンが終わり非常にタイムリーこの時期を狙い、「イスラムへの理解を深める対話」イベントをカトリックの神父さんを交え、実施しました。
イスラムについての学びを得るためのレクチャーと対話のイベント
イスラムについての学びを得るためのレクチャーと対話のイベントを行いました。

今回発表してくれる、ムスリムの友人は、コミュニオン(聖体拝領)こそは行わなかったものの、イベント実施前のカトリック教会のミサの時間に間に合うように会場に来てくれて、最初から最後までミサにも参加(見学)しました。

神父さんもそれを知って、一つ一つのアクションに説明を短く付けくわえながら、ミサを進めてくれ、そのあともムスリムの友人たちと会話の時間を持っていました。

イベントの目的は、ムスリムの友人に彼らの信仰について簡単、簡潔な説明をしてもらい、そのあとにお互いの信仰について経験を踏まえてシェアしてもらうことでしたが、発表者とその他の参加者らは非常にオープン。

このイベントを行う前段階の打ち合わせで、自らもカトリックの信仰について学びたいと言っており、大変意欲的で、とてもありがたく思いました。イベントの時間はミサが終わってイベントを始める6時過ぎと案内していたので、まさか、ミサから参加してくれるとは思っていませんでしたので驚きました。


イスラム教徒とキリスト教徒との対話
イスラム教徒とキリスト教徒との対話

レクチャーの内容ーイスラムの基本を学ぶ

事前の打ち合わせで
①何を持ってイスラム教徒と言われるのか?
②オランダのような世俗化が進んだ社会で生活するとはどういうことか?
③何が宗教を持つ者として難しいと感じるのか?
についてプレゼンテーション触れてくれるようにお願いしていました。
そのため、まず、イスラム教徒たらしめる実践について基本的なことをわかりやすく、説明をしてくれました。

イスラム教についてのプレゼンテーション
イスラム教についてのプレゼンテーション

「神は唯一で比類なきもの」「ムハンマドは神の使徒」であるというこの二つを信じることがイスラム教徒として大切であるということ。

そして、イスラム教徒としての5行について、信仰告白(Shahadah)、礼拝(Salat):一日5回、キブラに向かって神に祈ること、喜捨(Zakat):収入の一部、収入のうち必要経費を差し引いた後の2.5%を困窮者に施すこと。あるいは、それに該当する食べ物などを寄付すること。インドネシアは米食文化なので、お米を寄付するということもあると話してくれました。

断食(Sawm Ramadhan):ラマダーン月の日中、飲食、噂話、性行為を慎むこと、巡礼(Haji):マッカのカアバ神殿に(一生に一度は)巡礼することは、イスラム教徒としての義務といいます。

テオ・ファン・ゴッホ殺害事件、アヤーン・ヒルシ・アリ元議員とオランダの寛容性 

オランダは極めて寛容な社会ですが、イスラム教徒については非常にネガティブな人たちが存在することは確かです。テオ・ファン・ゴッホが2004年にモロッコ系の青年、によって殺害されるという事件もありました。

また、アヤーン・ヒルシ・アリは、元下院議員そして元イスラム教徒の無神論者で、暗殺などの脅しをうけています。極右・自由党のヘールト・ウィルダースがイスラム教批判を公的な場で展開し議論を呼んでおり、その行きすぎた言動に対してイスラム教徒ではないオランダ人からも反発を受けていますが、一部の人たちの支持を得ていることも確かです。そういう意味で、公的な場でのムスリムの実践は非常に微妙な問題となっています。

プレゼンテーションのなかで、イスラムに関する漫画を紹介してくれましたが、その中でラマダンに対しては寛容であった仕事の同僚が、ヒジャブ(女性が被るスカーフ)を着用した瞬間に態度ががらりと変わるという風刺的な内容でした。

オランダの人口の5%がムスリム

政治的な流れのなかでのイスラム教徒批判の理由の一つにイスラム系住民がオランダ人口に占める割合の多さを一つの例として挙げていました。オランダ人口が約16,590,000人、そのうち825,000人がイスラム教徒と言われ、割合は人口の約5%です。

それほど多いとは思わないのですが、彼らの存在感がヒジャブの着用や、移民が家族を呼び寄せることで、年々数をましており、様々な行政サービスを彼らに対して行うため、市民は多少なりとも不満を持っているようです。ほとんどがモロッコやトルコからの移民ですので、案にイスラム教徒というよりも移民政策と関連した非常に繊細な問題で、根が深いと感じます。

いつ、クリスチャン/ムスリムとなったのか?

プレゼンテーションのあとはディスカッションです。著者の質問はムスリムだけではなく、クリスチャンにも向けました。「いつ、イスラム教/キリスト教が“私の”宗教となったのか?」で、何かターニングポイントなるものがあったったら教えてほしいと付け加えました。

ほとんどのクリスチャン、ムスリムはキリスト教あるいはイスラム教の家庭に生まれており、物心がついた時にはなんとなくムスリムであり、クリスチャンであったと思います。しかし、中にはそれほど宗教的なことを重視しない人たちも、成長の過程でそれらの宗教を捨てて、無宗教者になると人、あるいは教会や宗教行事とは疎遠になるひとも中にはいると思います。何が彼らを宗教を持つものとして留まらせたのか?ということを質問しました。

クリスチャンの1人が、ミサの最中に麻薬中毒者が入ってきて、数人の大人がその麻薬中毒の男を取り除いていく様を見て、教会というところは結局「従順な」信徒のみしか受け入れないのだ!と批判的に思ったと言います。これが教会なのか?と。彼の眼には、場にそぐわないものを取り除いたように見えたようです。それ以降、教会とは距離を置き始めたといいます。

色んな人の話を聞きながら、ムスリムの友人はしばし考えた後、「疑いを持ったこと」と答えてくれました。疑いというのは、健全な意味での「疑問」。なぜ、自分はこれを信じるのか?クリスチャンの家庭に生まれたから、クリスチャンになり、ムスリムの家庭に生まれたからムスリムになる。彼は私の先ほど言った言葉を反芻しながら「今は、クリスチャンの家庭に生まれたとしても、自分の意思でムスリムになると今はきっとそう言うけど、それは実際なってみたらわからない」と率直に思うところを話してくれました。

ただ、今ムスリムとして信仰を持つ理由は、きっと自分の様々な疑問に対して答えを得るのに最も適した道であること、そして神様という存在を認識することで自分自身をよい人間であるように基準を保ち続けることができるから、と結んでくれました。

神父さんは、13歳で神父になることを決意したこと、周囲の冷ややかな反応など経験を話してくれました。オランダでは教会離れが起こっており、ミサに参加するのはご年配の方、そしてわずかな人たちです。なので、神父さんが神父になると決意した時には当然、反応は芳しくありませんでした。「信仰するということは未来を想うこと」。幼少期に教会に慣れ親しみながら、自然と憧れたのが神父であったと言っていました。ちなみに家族はそれほど熱心なカトリックというわけではないそうです。

「健全な疑問が生じるのも、これまでに築きあげてきた知識の土台があってのもの。」カトリックの家庭に生まれ、育ち、なんら疑問もなくこれまで生きてきた夫は、なぜカトリックか?ということは考えるまでもなかったと言います。それもそのはず、彼の出身地域はカトリックが大半を占め、近隣で異なる宗教の人とはほとんど出会わなかったそうです。息をするように自然に、カトリック的な実践、神様への感謝や尊敬、教会に行くこと、食事の前のお祈りなどをしてきたそうです。

以前からやりたかった、異宗教間イベント-異なった宗教のひとたちが自分の宗教について語り合う-をようやく持つことが出来ました。ディスカッション、非常に盛り上がり、各々宗教を持つもの、そうではない人も含めて考え深いものとなったようです。第二弾をまた企画したいです。

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