バトゥミ(Batumi)は、黒海に臨むジョージアの港湾都市であり、アジャリア自治共和国の首都、人口は約15万4000人(2015年)で首都トビリシについで多くの人口を有する市です。気候は年間を通して温暖で湿潤であり、歴史的かつ様々なスタイルの建物、またショッピングスポットや、街に点在する緑と水のある整備が行き届いた公園が、国内外の旅行者を引き付けています。
バトゥミの観光スポットと地元に人に聞けば、人それぞれですが、この土地の面白さは、黒海に面しているその立地、そしてその歴史、様々な歴史的建造物。港町という性質上、常に外界から新しいものが入ってくるため、歴史性がありつつも、新しいものが融合した、とても刺激的な街です。
車両でバトゥミを訪れる時には、遠方からもこの塔を目視できます。展望スペースにはカフェやレストランなどがあり黒海を臨みながら食事を楽しむことができます。
展望スペースまでの入場は、大人10ラリ、子ども2ラリ。チケットはタワー下のデスクで購入します。
青空と海の青さが美しい、晴天時の日中の乗車、あるいは夕暮れ間際の時間帯での乗車をおすすめします。特に、地上55メートルの高さから、水平線に沈みゆく太陽を見られるのは格別です。乗車料金は5ラリです。
しかし、ベイエリアの見どころは、黒海に沈む夕日なのではないでしょうか。黄金色に輝く夕日の美しさは、格別。一日の終わりにぜひ訪れたい場所です。
純粋に海水浴を楽しみたいという場合は、バトゥミを黒海沿いに南下したゴニョ(Gonyo)等は混み合っておらず、ゴミも少なく、よいでしょう。
ヨーロッパ・スクェア(以前はEra Squareとして知られていました)は、観光客は一度は訪れる場所。 また、Batumoba(バトゥーミの日)、Gandagana民族祭り、クリスマスマーケットなどの会場にもなり、地元民の憩いの場所であります。
ヨーロッパ・スクエアは美しい建築物に囲まれています。その中でひときわ目を惹くのが、天文時計です。最近、ジョージア国立銀行の旧建物の塔に天文時計を購入しました。 1時間ごとにメロディックなチャイムが鳴り、30分ごとにベルが一回鳴ります。時刻とは別に、時計には天文情報も表示されます。天文学的な情報、太陽、月、黄道十二星座、主要な惑星の位置を知ることができるほか、子午線、水平線、日の出時間、日没時間を示します。
宿泊施設ーPiazza Inn
時計塔の対面側、広場のモザイクを囲む建物の一つが、宿泊施設、Piazza Innです。宿泊施設は、海岸からも歩いて10分弱、レストラン等も集中している地域にあり、観光の足場としてはおすすめです。ただ、改善の必要性が感じられる内装が気になります。広場に面した部屋に宿泊する場合は、夜の12時までライブ音楽が続くため、かなりうるさいので、それらを好まない場合は、オススメしません。
バトゥミは黒海の沿岸都市と栄え、古くはギリシャの植民都市でした。バトゥミの名前も、ギリシャ語「深い入江」をいみするのだとか。古代から近代にかけて、様々な国がこの地域を支配してきました。
ローマの時代にペトラ要塞が築かれ、アラブ人が一時的に占領するまでは、正式にはラツィカ王国の所有地でした。 780年、ラツィカは王朝の統一を経てアブハジアの王国に落ち、後で11世紀にジョージア君主制の統一を導きました。
1010年からは、ジョージアの総督によって支配されました。 15世紀後半、ジョージア王国の崩壊後、バトゥミは、イメレテ王の主権の下、西部のジョージアのmtavari王子の支配下となりました。
1723年、バトゥミは再びオスマン帝国の一部となりました。トルコの征服によって、これまでのキリスト教地域がイスラム化していきます。1877-78年の露土戦争の後、同地はロシア帝国への再編成されます。
バトゥミの拡大は、1883年にバトゥミ - ティフリス - バクー鉄道(1900年完成)とバクー - バトゥーミーパイプラインの完成に始まりました。その後、バトゥミは黒海の主要な石油港になりました。
1882年には人口8,671人から、1889年には12,000人に急増しました。1902年にはバロン・ロスチャイルドのカスピアンと黒海石油会社の製油所で1,000人が働き、16,000人に達しました。
バス・バンの所要時間、停留所、値段
バスやバンなどの車両では、トビリシから約6時間を要します。バスやバンのお値段は25ラリ前後(約1,000円ちょっと)。バスは、ピークの時期は満席で出発の当日にチケットは購入できないので注意。停留所で購入可能です。
バンは出発当日でもチケットを購入できる可能性がきわめて高いのですが、車内が狭いほか、相乗りであるため、ほかの人が出発時間に来ない場合、待機していないといけないとうい不便があります。しかし、海外ではよくあることなので、気長にまつしかありません。
電車
電車での所要時間は、5時間。1等車と2等車があり、お値段は2等車両で約1,000円ほど。電車はバトゥミ中央駅からでて、トビリシ中央駅に到着します。乗り心地はまずまずで、事前にチケットを予約する余裕がある場合は、電車での移動がお勧めです。
著者は、いつも仕事や調査がらみでこの町に来ており、まったくもってきちんと観光したことがないのですが、それでも面白さを掻き立てられる場所です。
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バトゥミの観光スポットと地元に人に聞けば、人それぞれですが、この土地の面白さは、黒海に面しているその立地、そしてその歴史、様々な歴史的建造物。港町という性質上、常に外界から新しいものが入ってくるため、歴史性がありつつも、新しいものが融合した、とても刺激的な街です。
バトゥミの見どころ
バトゥミの観光場所は、海岸線から1キロほどの距離に集中しています。球形が印象的なアルファベティック・タワー、観覧車、港町なので観光船に乗車できる小さな港,街の中心部は建物が改修・新築のため、きれいで、ヨーロッパ調の建物が目を惹きます。
アルファベティック・タワー(Alphabetic Tower)
球形の展望台、ジョージア語のアルファベットがリボンのように装飾されているタワーは、独特な建物の多いバトゥミにおいてもひときわ目を惹く建造物です。車両でバトゥミを訪れる時には、遠方からもこの塔を目視できます。展望スペースにはカフェやレストランなどがあり黒海を臨みながら食事を楽しむことができます。
Batumi アルファベティック・タワー(Alphabetic Tower)と沈みゆく夕日 #Batumiphoto 観覧車から撮影しました。観覧車からの眺めは、アルファベティックタワーよりもよいと思うのは主観だけど、 特に夕日が沈む時間に合わせて行くのがオススメです。 |
アルファベティック・タワー(Alphabetic Tower) #Batumiphoto |
観覧車(Panoramic Wheel )
地上から55メートルの高さの観覧車は、沿岸部で目を引く建造物の一つです。10分かけてぐるりと一周します。グループ、カップル、また一人で乗車してもOKです。観覧車(Panoramic Wheel ) Batumi #Batumiphoto |
ベイエリア
黒海に面する湾岸都市であるため、やはり訪れたいのが、ベイエリア。ベイエリアにはカフェやレストランも並び、夜はクラブもオープンしています。夏は、海水浴場としてもにぎわいます。しかし、ベイエリアの見どころは、黒海に沈む夕日なのではないでしょうか。黄金色に輝く夕日の美しさは、格別。一日の終わりにぜひ訪れたい場所です。
黒海に沈む夕日
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海水浴場
夏場は海水浴が可能です。6月頃から人々は海水浴を楽しみ始めています。ただ、海岸線の石はゴロゴロと大きく、それが海岸線沿いまで続いているため、海からあがってくる時、素足がかなり痛いです。また、海はすぐに深くなるため注意が必要です。純粋に海水浴を楽しみたいという場合は、バトゥミを黒海沿いに南下したゴニョ(Gonyo)等は混み合っておらず、ゴミも少なく、よいでしょう。
天文時計(Astronomical Clock)とヨーロッパ・スクェア(Europe Square)
Europe Square ヨーロッパ・スクウェア |
天文時計(Astronomical Clock) |
ファンファン・バトゥミ(Fanfan Batumi)
おしゃれなカフェの多いバトゥミですが、その中でもおしゃれかつ、歴史的な建物にあるカフェが、Fanfan Batumi。この場所は、ジョージアが束の間の独立を果たした1918年に成立した政府が、1921年に旧ソビエトの赤軍が迫り、亡命する期間まで過ごした場所です。Fanfan カフェ |
Up&Down
バトゥミを象徴するようなレストラン、Up&Down。ベイエリアにあるこのレストランは何と言ってもその外見が印象的。
建物が文字通り逆さまに建築されているようです。何とも!食事のお味は・・・著者は試したがことが残念ながら有りませんが、建物の外見を見るだけでも価値あり?だと思います。
建物が文字通り逆さまに建築されているようです。何とも!食事のお味は・・・著者は試したがことが残念ながら有りませんが、建物の外見を見るだけでも価値あり?だと思います。
ピアッツア(Piazza)
イタリア風のオープン公共エリア。きらびやかな時計塔、屋外カフェ、ホテル、ショッピングが広場を囲んでいます。広場には美しいモザイクが施されています。異国感が満点です。これは、2009年に作られた、観光名所。夜は、ライブ音楽を楽しみながら野外で食事が楽しめるようになっています。ピアッツア(Piazza)Batumi |
宿泊施設ーPiazza Inn
時計塔の対面側、広場のモザイクを囲む建物の一つが、宿泊施設、Piazza Innです。宿泊施設は、海岸からも歩いて10分弱、レストラン等も集中している地域にあり、観光の足場としてはおすすめです。ただ、改善の必要性が感じられる内装が気になります。広場に面した部屋に宿泊する場合は、夜の12時までライブ音楽が続くため、かなりうるさいので、それらを好まない場合は、オススメしません。
バトゥミ訪問の前に
ここを訪れる前に、ジョージアの独立前夜、独立後の歴史を予習しておくのがよいでしょう。残念ながら、日本語の書籍では単独でこのテーマを扱っているものはありませんが、コーカサスを知るための60章の20章「束の間の独立ー第一次大戦とコーカサス3国の成立」、21章「「新しい社会」の誕生ーコーカサスとソヴィエト政権」にその記述があります。また、トビリシ滞在の際に、国立博物館4階の展示室「The exhibition of Soviet Occupation」でも予習が可能です。バトゥミ略史
ローマの時代にペトラ要塞が築かれ、アラブ人が一時的に占領するまでは、正式にはラツィカ王国の所有地でした。 780年、ラツィカは王朝の統一を経てアブハジアの王国に落ち、後で11世紀にジョージア君主制の統一を導きました。
1010年からは、ジョージアの総督によって支配されました。 15世紀後半、ジョージア王国の崩壊後、バトゥミは、イメレテ王の主権の下、西部のジョージアのmtavari王子の支配下となりました。
オットマンの支配下
15世紀に王子カカバエリ・グリエリの治世にあったオスマントルコ人は町とその地区を征服しましたが、その状態を維持することができませんでした。そのため、彼らは一世紀後戻り、ソクホイストのジョージア軍に決定的な敗北をもたらしました。バトゥミはジョージア軍によって数回奪還されましたが、後日その支配を失いました。1723年、バトゥミは再びオスマン帝国の一部となりました。トルコの征服によって、これまでのキリスト教地域がイスラム化していきます。1877-78年の露土戦争の後、同地はロシア帝国への再編成されます。
帝国ロシア支配
バトゥミはコーカサス地域でロシアに併合された最後の黒海の港でした。1878年、バトゥミはサンステファノ条約(3月23日批准)によりロシア帝国に併合されました。1878年8月28日に占領され、1886年まで自由港と宣言され1883年6月12日にクタイシ政府に編入されるまで特殊軍区の中心地として機能しました。バトゥミの拡大は、1883年にバトゥミ - ティフリス - バクー鉄道(1900年完成)とバクー - バトゥーミーパイプラインの完成に始まりました。その後、バトゥミは黒海の主要な石油港になりました。
1882年には人口8,671人から、1889年には12,000人に急増しました。1902年にはバロン・ロスチャイルドのカスピアンと黒海石油会社の製油所で1,000人が働き、16,000人に達しました。
ジョージア独立前後のバトゥミ
1918年3月3日、ブレスト・リトブスク条約によりバトゥミはオスマン帝国の支配に戻りました。1918年4月にトルコ軍が再入国し、12月には英国軍が1920年7月まで滞在した。その後、トルコ軍のケマル・アタテュルクはこの地域をソ連のボルシェビキ(Bolsheviks of the Soviet Union)に譲渡しました。バトゥミを知るための資料ーA TRIP TO OLD BATUMI(英語)
Batumelebi newspaperにこれまでに投稿された記事のコレクションで全228ページで貴重なカラー写真が含まれております。記事は歴史的な記述、書類、また記憶といろんな側面から100から150年前のバトゥミを読者に伝えています。この土地出身の友人がこの編集に関わっています。バトゥミを知るための資料ーA TRIP TO OLD BATUMI |
アクセス
バス、バン、電車、レンタルカー、飛行機と様々な方法で、バトゥミを訪れることができますが、その中で安価な交通手段はやはり、バス・バン、そしてそれらよりも少々高いものの、費用対効果の高い電車です。バス・バンの所要時間、停留所、値段
バスやバンなどの車両では、トビリシから約6時間を要します。バスやバンのお値段は25ラリ前後(約1,000円ちょっと)。バスは、ピークの時期は満席で出発の当日にチケットは購入できないので注意。停留所で購入可能です。
バトゥミのバス・バンのチケット販売所 |
電車
電車での所要時間は、5時間。1等車と2等車があり、お値段は2等車両で約1,000円ほど。電車はバトゥミ中央駅からでて、トビリシ中央駅に到着します。乗り心地はまずまずで、事前にチケットを予約する余裕がある場合は、電車での移動がお勧めです。
トビリシ〜バトゥミ間を行く電車 新しい車両で、5時間の旅も快適。 |
余談
トビリシからバトゥミに向かう途中で通過するのが「Japana」という街。別段観光地というわけではないが、この名前は日本の援助に対する感謝の思いを込めて命名されたと、地元の人から説明を受けたことがあります。本当かどうか分からないのですが、少なくとも2,3人からこの説明を受けました。Japanaという街がある! |
Japana という街の入り口 |
アルファベティック・タワー(Alphabetic Tower)や、Porta Batumi Towerが見えるマヒンジャウリ海岸線沿い |
#WelcomeToGeorgia #VisitGeorgia, #spendsummerinGeorgia
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