「私、飛んでいるわ。」
タイタニック号とは、北アイルランドのベルファストで竣工、完成した豪華客船。処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触し沈没、乗客乗員合わせて約1,500人の死者を出しました。この悲劇の故、これまでに小説、ミュージカル、映画化されました。
過去幾度となく映画化されましたが、大ヒットは、1997年の映画「タイタニック」、監督はジェームズ・キャメロン、主演はレオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット。レオナルド・ディカプリオ演じるジャックとケイト・ウィンスレットのローズのロマンスと悲劇的最後に涙した観客が多数まわりにいました。
映画タイタニックが大盛況の時、流行りものに疎く、(若すぎたのか?!)恋愛ものに興味がなかった著者は、その波を逃し、それから数年後某レンタルビデオ店で売られていた二本組(3時間以上の大作のため)100円のビデオ(DVDが主流になり始めていたためビデオが激安になっていた)を購入し初めて観賞することに・・・。
タイタニック号の事故から100年の2012年、3月31日にタイタニックベルファストはオープンしました。博物館は、ベルファストの街が造船業によってにぎわっていく様子、タイタニック号沈没後に行われた調査、労働者の生活などもパネルで展示しつつ、訪問者は展示全般、音響効果、コンピューターグラフィックを駆使した展示でその豪華な内装、当時の様子を体験できます。それによって、タイタニック号のたどった悲劇的な最後がより訪問者に強調されます。博物館はかなり大きく、展示物も多いため一日いることも可能なほどです。
タイタニック号組み立ての様子をビデオで観るのみならず、労働者の過酷な作業現場をゴンドラで巡り、見ることができます。
その後、この事故について様々な調査がなされました。まず、なぜこれほど多くの死者を出してしまったのか。技術的な不備‐豪華客船沈没までの時間の短さの理由、人為的問題‐救命ボートの活用などの側面からも検証されました。
タイタニック号の技術的不備?
沈没の理由は氷山衝突の際に船の横に(ちょうどボイラー室のあるところ)あいた裂け目からの海水の浸入でした。しかし、船は防水隔壁で16の区画に区分され、また二重底となっており、海水の侵入ですぐには沈まぬ「不沈船」と謳われていました。
沈没の理由は、氷山衝突の衝撃で広い範囲のリベット(鋼板をつなぎ合わせている部品)の品質の悪さや、継ぎ目の甘さなどから抜け落ち、その結果生じた鋼板の隙間から海水が浸水。これが致命的であったと言われています。しかし、ヒストリーチャンネルでの検証では同じ製法で作られたリベットと鋼板をつなぎ合わせたレプリカをストレステストにかけたものの予想された結果ーリベットが抜け落ち、鋼板のつなぎ合わせた場所に隙間ができるーとはなりませんでした。ここから、氷山への衝突と衝撃がこれまで予想されていたものよりもはるかに大きいものであったと結論付けられました。
人為的なミス?
救命ボートの数の不足、スピードの出しすぎ、警告無線の無視、当直見張りがきちんとみていなかった等々、さまざまな理由が挙げられました。救命ボートの数は、乗客数である2,200人よりも少ない1,178人分。当時はイギリス商務省の規定では定員分の救命ボートを備える必要がありませんでした。それでもタイタニックはボート、法で定められいる以上の数のボートが積まれていました。しかし、ボートは定員に達しないまま出発したものも多かったと言われます。更に女性と子どもが優先されます。しかし、1等客室の乗客が優先されるため、3等客室の女性の乗客の多くが亡くなっています。
氷山衝突時のスピードは、タイタニック号の最大スピード。そのため、高速の向こう見ずな運転が事故を招いたと言われています。実際タイタニック号のスピードは24ノット(時速44キロ)、当時の船の標準的なスピードでした。
氷山の警告が事前にあり、実際の航路よりも18キロほど南下していたと言われます。また、事故当日は月がなく空には一面の星空が広がっているのみでした。地平線の一部に星が見えず、氷山の存在に気がついたと言われます。
死因として一番多かったのが、ボートに乗りきれず船に取り残された人が海水につかり、低体温症で亡くなったこと。当時の外気は氷点下、生存者は海の水がまるで針が突き刺さるような感覚だったといいます。海に放り出された人はその水の冷たさの故心臓発作で亡くなり、あるいは船が破壊された衝撃に巻き込まれ、そして船に閉じ込められたままて亡くなったと言われます。
計画的に沈没させたことの根拠となる点をいくつか挙げていますが、まず氷河の警告があったにもかかわらず、なぜ船は航海を続けたのか、著名人や有力者が、乗船のキャンセルをしている点。モルガン財閥の創始者、ジョン・モルガン、実業家のヘンリー・クレイ・フリック等がキャンセルしています。ここまでならば、実業家や有力者たちは強運の持ちぬしだったと思われます。
しかし、ドキュメンタリーはこれだけにとどまらず、更なる疑惑を紹介します。それはタイタニックは沈んでおらず、別の船とすりかえられていたというもの。すり替えられたのは、オリンピック号という見た目がそっくりな姉妹船。オリンピック号はタイタニック号の事故直前に他の船と衝突し、 穴が開いてしまい会社にとっては、お荷物となっていました。その船の修繕を行い、船の名前を塗り替え、内装や家具 も新しく取り替えられ、内側から見ても分からないように細工され、タイタニック号として、航海させました。
単なる疑惑に終わらず、証拠も紹介されています。オリンピック号の船首に 丸い窓は16個である一方、タイタニック号の窓の数は14個。しかし、航海前の写真を確認すると、タイタニック号に16個の窓が確認された他、船体にも修繕された 後が写真で確認されていましたが、その場所はオリンピック号が衝突事故で 穴が開いた場所と同じでした。極めつけは、海底に沈んだ船の塗装が禿げてオリンピック号(OLYMPIC)の「M」「P」という文字も読むことができ、この疑いは濃厚となっています。
さて、「本物の」タイタニック号は、オリンピック号としてその後20数年間航海をしています。もし、計画のもとに沈められたとするならば、一体失われた命は難だったのでしょうか。そう思うと、単なる疑惑であってほしいとおもってしまいます。
タイタニックが作られた地、ベルファストは、19世紀おわりから20世紀の半ばまで造船業がリネン製造と並んで盛んで、多くの雇用を生み出しました。リネン製造業が盛んになった1851年には87,062人であった人口は1901年には349,180人に劇的に上昇しています。
まとめ
タイタニックの悲劇がクローズアップされる中、豪華な装飾、CGや音響、科学発掘の調査など、コンテンツに工夫し、多角的にタイタニック号をみせるという意味では成功しているのではと思いました。
特に、今回はベルファストに一週間弱滞在したので、ベルファストの街がどのように発展していったのかも展示物を通じて知ることができました。
また、展示の最後にタイタニック号の悲劇が小説、ミュージカル、映画化された、それらの告知広告が展示されていました。しかし、展示物はもちろん映画で見る以上の内容があり、映画の大ファンだった人も、そうでない人も是非訪れてほしい場所です。
ベルファストに行って、半日を費やせる観光場所です。街の中心地から少々離れていますが、歩ける距離なので、是非訪れてみてください。
タイタニック博物館
開館日:12月24日~26日を除く日
10:00-17:00 (1月~3月、10月~12月)
9:00-18:00 (4月、5月、9月)
9:00-19:00 (6月~8月)
入館料:18ポンド(大人)
8ポンド(子ども5-16歳、5歳以下は無料)
44ポンド 家族割(大人2人、子ども2人)
14.50ポンド(学生/無職/60歳以上)
場所:Titanic Belfast,1 Olympic Way,Queens Road, Titanic Quarter,Belfast BT3 9EP
ウェブサイト:http://titanicbelfast.com
連絡先:
北アイルランドの観光についての記事
ベルファスト地域の観光
ベルファスト:平和の名のもとの分断ー平和の壁(1)
ベルファスト:平和の壁は平和をもたらしたか?ー平和の壁(2)
デリーその他地域の観光
フリーデリー博物館(Museum of Free Derry)に見る過去の深い傷跡 (1)
フリーデリー博物館(Museum of Free Derry) 博物館の展示と所感 (2)
タイタニック博物館
北アイルランド観光:巨人伝説とジャイアンツコーズウェイ
https://www.lloyds.com/about-lloyds/history/catastrophes-and-claims/titanic
April 16, 1912: Titanic’s insurance of $10,000,000 will be paid by Lloyd’s
http://blogs.denverpost.com/titanic/2012/04/01/april-16-1912-titanics-insurance-10000000-paid-lloyds/
Cancelled Passages Aboard Titanic
https://www.encyclopedia-titanica.org/canceled-titanic-passages.html
タイタニック3D (2012年) https://www.youtube.com/watch?v=5Xahe-K2i1Y |
なーんて、ちょっとした高い建物のエッジに立ち、彼氏やら友人やらに後ろから支えられ、タイタニックごっこをした人も絶対いたはず(著者が旅行先で何度か目撃しています。)
タイタニック号とは、北アイルランドのベルファストで竣工、完成した豪華客船。処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触し沈没、乗客乗員合わせて約1,500人の死者を出しました。この悲劇の故、これまでに小説、ミュージカル、映画化されました。
過去幾度となく映画化されましたが、大ヒットは、1997年の映画「タイタニック」、監督はジェームズ・キャメロン、主演はレオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット。レオナルド・ディカプリオ演じるジャックとケイト・ウィンスレットのローズのロマンスと悲劇的最後に涙した観客が多数まわりにいました。
タイタニック博物館とは?
タイタニック博物館の外観(2017年4月撮影) |
博物館の見どころ
疑似体験タイタニック号組み立ての様子をビデオで観るのみならず、労働者の過酷な作業現場をゴンドラで巡り、見ることができます。
ゴンドラ(最大6人乗り) |
高炉の熱をヒーターで再現。ゴンドラが高炉を通り過ぎる時にその暑さを体感できます |
CGで豪華客船を体験
三面がスクリーンの映像がタイタニックの船内を順番に映し出し、スクリーン前に立つ訪問客はタイタニックの乗客のような経験ができます。ただし、動くCGの故画像が一巡したあと、船酔いなのか、軽い立ちくらみがするので要注意。
タイタニック内部をCGで再現 |
客室を再現
一等客室の模型が置かれており、ホテルのような豪華な作りに驚きます。また、その背後に三等客室の模型もあります。
タイタニック一等客室 |
タイタニック二等客室 三等客室と言えどもチケットの値段は、24ポンド、現在の値段では1,152ポンドとのこと。 |
船の大きさを感じ取ることができる
タイタニックの事故について
タイタニック号は1912年4月10日に、イギリスのサウサンプトン港にある専用の埠頭であるオーシャンドックからニューヨークへとむけた航海に出航、3日目の4月13日深夜23:40に大西洋沖航海中、氷山を肉眼で発見するも衝突、船の横側から海水が浸入。そして、4月14日の2:15に沈み始めます。その後、この事故について様々な調査がなされました。まず、なぜこれほど多くの死者を出してしまったのか。技術的な不備‐豪華客船沈没までの時間の短さの理由、人為的問題‐救命ボートの活用などの側面からも検証されました。
タイタニック号の技術的不備?
沈没の理由は氷山衝突の際に船の横に(ちょうどボイラー室のあるところ)あいた裂け目からの海水の浸入でした。しかし、船は防水隔壁で16の区画に区分され、また二重底となっており、海水の侵入ですぐには沈まぬ「不沈船」と謳われていました。
沈没の理由は、氷山衝突の衝撃で広い範囲のリベット(鋼板をつなぎ合わせている部品)の品質の悪さや、継ぎ目の甘さなどから抜け落ち、その結果生じた鋼板の隙間から海水が浸水。これが致命的であったと言われています。しかし、ヒストリーチャンネルでの検証では同じ製法で作られたリベットと鋼板をつなぎ合わせたレプリカをストレステストにかけたものの予想された結果ーリベットが抜け落ち、鋼板のつなぎ合わせた場所に隙間ができるーとはなりませんでした。ここから、氷山への衝突と衝撃がこれまで予想されていたものよりもはるかに大きいものであったと結論付けられました。
人為的なミス?
救命ボートの数の不足、スピードの出しすぎ、警告無線の無視、当直見張りがきちんとみていなかった等々、さまざまな理由が挙げられました。救命ボートの数は、乗客数である2,200人よりも少ない1,178人分。当時はイギリス商務省の規定では定員分の救命ボートを備える必要がありませんでした。それでもタイタニックはボート、法で定められいる以上の数のボートが積まれていました。しかし、ボートは定員に達しないまま出発したものも多かったと言われます。更に女性と子どもが優先されます。しかし、1等客室の乗客が優先されるため、3等客室の女性の乗客の多くが亡くなっています。
タイタニックの救命ボート |
氷山の警告が事前にあり、実際の航路よりも18キロほど南下していたと言われます。また、事故当日は月がなく空には一面の星空が広がっているのみでした。地平線の一部に星が見えず、氷山の存在に気がついたと言われます。
死因として一番多かったのが、ボートに乗りきれず船に取り残された人が海水につかり、低体温症で亡くなったこと。当時の外気は氷点下、生存者は海の水がまるで針が突き刺さるような感覚だったといいます。海に放り出された人はその水の冷たさの故心臓発作で亡くなり、あるいは船が破壊された衝撃に巻き込まれ、そして船に閉じ込められたままて亡くなったと言われます。
タイタニック沈没は陰謀だった?
これだけの悲劇がおこったのですが、タイタニックの沈没は巨額な保険金目当ての計画された沈没であるという話もあります。当時のイギリスは不況で、ホワイト・スター・ライン社は倒産寸前であったため、保険金をせしめるための保険金詐欺という疑惑です。タイタニックにかけられた保険金は、当時の金額としても破格の1万ポンド、現在の価値では96万ポンド(約138億円)です。ロイズ(に属する保険引受人)が保険を引き受けていました。それらを紹介したのが「Titanic The Shocking Truth(2012)(タイタニック号ー衝撃の真実)」しかし、ドキュメンタリーはこれだけにとどまらず、更なる疑惑を紹介します。それはタイタニックは沈んでおらず、別の船とすりかえられていたというもの。すり替えられたのは、オリンピック号という見た目がそっくりな姉妹船。オリンピック号はタイタニック号の事故直前に他の船と衝突し、 穴が開いてしまい会社にとっては、お荷物となっていました。その船の修繕を行い、船の名前を塗り替え、内装や家具 も新しく取り替えられ、内側から見ても分からないように細工され、タイタニック号として、航海させました。
単なる疑惑に終わらず、証拠も紹介されています。オリンピック号の船首に 丸い窓は16個である一方、タイタニック号の窓の数は14個。しかし、航海前の写真を確認すると、タイタニック号に16個の窓が確認された他、船体にも修繕された 後が写真で確認されていましたが、その場所はオリンピック号が衝突事故で 穴が開いた場所と同じでした。極めつけは、海底に沈んだ船の塗装が禿げてオリンピック号(OLYMPIC)の「M」「P」という文字も読むことができ、この疑いは濃厚となっています。
さて、「本物の」タイタニック号は、オリンピック号としてその後20数年間航海をしています。もし、計画のもとに沈められたとするならば、一体失われた命は難だったのでしょうか。そう思うと、単なる疑惑であってほしいとおもってしまいます。
タイタニックが作られた地
ハーランド・アンド・ウルフ社の造船用のクレーン |
空港からベルファスト中心地に入るときに造船用の巨大な黄色いクレーンに「H & W」の文字が見え、バスガイドさんは「Hello and Wellcomeの省略で皆さんを歓迎している証し」とジョークをかましていましたが、イギリスの重工業のメーカー「ハーランド・アンド・ウルフ」造船所のマーク。そのハーランド・アンド・ウルフがイギリスのホワイト・スター・ライン社向けに北大西洋航路用に作った船がタイタニックです。今でも造船は行われているそうです。
タイタニックの悲劇がクローズアップされる中、豪華な装飾、CGや音響、科学発掘の調査など、コンテンツに工夫し、多角的にタイタニック号をみせるという意味では成功しているのではと思いました。
特に、今回はベルファストに一週間弱滞在したので、ベルファストの街がどのように発展していったのかも展示物を通じて知ることができました。
また、展示の最後にタイタニック号の悲劇が小説、ミュージカル、映画化された、それらの告知広告が展示されていました。しかし、展示物はもちろん映画で見る以上の内容があり、映画の大ファンだった人も、そうでない人も是非訪れてほしい場所です。
ベルファストに行って、半日を費やせる観光場所です。街の中心地から少々離れていますが、歩ける距離なので、是非訪れてみてください。
タイタニック博物館
開館日:12月24日~26日を除く日
10:00-17:00 (1月~3月、10月~12月)
9:00-18:00 (4月、5月、9月)
9:00-19:00 (6月~8月)
入館料:18ポンド(大人)
8ポンド(子ども5-16歳、5歳以下は無料)
44ポンド 家族割(大人2人、子ども2人)
14.50ポンド(学生/無職/60歳以上)
場所:Titanic Belfast,1 Olympic Way,Queens Road, Titanic Quarter,Belfast BT3 9EP
ウェブサイト:http://titanicbelfast.com
連絡先:
北アイルランドの観光についての記事
ベルファスト地域の観光
ベルファスト:平和の名のもとの分断ー平和の壁(1)
ベルファスト:平和の壁は平和をもたらしたか?ー平和の壁(2)
デリーその他地域の観光
フリーデリー博物館(Museum of Free Derry)に見る過去の深い傷跡 (1)
フリーデリー博物館(Museum of Free Derry) 博物館の展示と所感 (2)
タイタニック博物館
北アイルランド観光:巨人伝説とジャイアンツコーズウェイ
参照ウェブサイト
Lloyd's and the Titanichttps://www.lloyds.com/about-lloyds/history/catastrophes-and-claims/titanic
April 16, 1912: Titanic’s insurance of $10,000,000 will be paid by Lloyd’s
http://blogs.denverpost.com/titanic/2012/04/01/april-16-1912-titanics-insurance-10000000-paid-lloyds/
Cancelled Passages Aboard Titanic
https://www.encyclopedia-titanica.org/canceled-titanic-passages.html
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