壁が作られた年代
1969 年から英国軍により作られ始めました。当時英国軍の北アイルランド司令官、イアン・フリーランド中将(Lt. Gen. Ian Freeland)は「この平和壁はとてもとても一時的なものである」 そして「ベルリンの壁あるいはそのようなものはこの街に築かない」*1と言ったと言われています。しかし、壁の建設はその後進んで、1970年代、80年代、90年代、そしてベルファスト合意後である2000年代も作られ続け今に至ります。Clonard Martyrs Memorial Garden |
”平和の壁”その名について
ガイドさんに”平和の壁”の名前の由来を聞いのたですが、私の質問に呆れるかのように「お互い争っていた住民同士が、壁ができることで(投石など危険物の投げ入れなどが減って)安心して生活できるのだから”平和の壁”でしょう」とコメント。由来については答えてくれませんでしたが、市井の壁への理解が現れている回答かと思います。この回答に納得できなくて、タクシーの運転手さんに同じ質問を投げかけたら運転手さんはやはり名前の由来について答えてくれず、ガイドさんの言った上記の回答について「ばかを言わないでくれ!これが平和の壁だって?!分断壁だろこれは!」とコメント。”平和の壁”という名前に納得できない私は、運転手さんの言う”分断壁”に合意します。しかし、この壁ができた背景も無視できず、ガイドさんの答えも無視することはできません。なにせ、今となっても壁があることで安心して生活ができるという人たちがいるのだから・・・
実際、壁を取り除くことを不安に思い、反対する人もいるのだとか。
カトリック地区にあるClonard Monastery |
両共同体の交流
分け隔てられているコミュニティで、片方のコミュニティ人と意味のある交流(単純にHiやHelloといったものではなく)をしたことはほとんどなく、住民の多くは相手側のコミュニティにある病院や店の利用を避ける傾向があると聞きます。
出会ったタクシードライバーさんは、「オレはプロテスタントだけどカトリックの友達もいるし、子どもの友達はオレのことを”伯父さん”って呼んでるぜ。時々、バーベキューなんかも一緒にやるしな。けど、オレがそうした集まりに行くことを知った人たち(カトリックの人たち)が集まりに参加しないなんてこともしょっちゅうさ。」交流を避ける人の原因の一つとして、家族や親族が”トラブルズ(厄介事)”の時に殺害されたことがあると言います。
平和の壁 |
壁は平和をもたらしたのか?
お互いの不信感の象徴1969年から過激化した暴力で、双方を引き離す必要性から(あるいは、肩入れする一方のコミュニティを守るため)築かれた壁は人々に一時的な安心をもたらしました。しかし、一度築かれた壁は今もなおコミュニティに存在し続け、一方からの脅威に備えるべくそびえたち人々を分断し続けています。
平和学的に言えば、上記のガイドさんの答えは目に見える形での暴力(お互いのコミュニティへの暴力)を一時的に抑える効果を発揮したということで、平和の壁は「Negative Peace(消極的平和)」をもたらしたのだといいたいのだと思いますが、問題の根本は解決しておらず、壁による分断が、さらなる断絶をもたらしているのかもしれません。
だからといって簡単に今すぐ”壁を壊すべき”だとはなりません。紛争とは長い時間をかけて暴力的衝突に至ります。それこそ何百年という年月がかかり、数十年の政治的歴史を振り返るだけでは不十分です。1969年に起こった暴動や、血の日曜日事件などはその大きな流れの中の一幕です。そして近年では2011年に民兵組織による大きな暴動があり、300人以上のけが人を出し、人々を震撼させました。
そのため、それまでに個人に蓄積された歴史、集団としての歴史認識、真実を解き明かしこれまでの歴史的負正義*に対応していく必要があります。また、その中で教育、メディア、宗教施設、身近に触れる文化などが人々の意識の形成に大きな役割を果たします。政治的な意志が必要であることは言うまでもありません。
*参考ブログ「歴史教科書問題に解決は見られるのか(1)」
例えば、一般的に学校教育において、それぞれの共同体の中で小学校から高校まで終えるため、双方との交流経験がなく、歴史教育においてはカトリックがアイルランドの歴史を学ぶ一方でプロテスタントが英国の歴史を学んでいます。
社会学の「接触仮説」が説明するように異なる集団間の(意味ある)接触を増やすことで、お互いへの偏見がなくなる可能性が高くなるため、教育システムでの分断は、今も続く人々を隔てる理由の一つとなりえます。
2016年に壁の一つが壊され、2024年にはすべての壁を取り除く計画です。物理的壁は、計画通りにいけば消えていきますが、人々の心の壁はどうなるのでしょうか。和平合意から19年、紛争の傷跡はいまだ癒えず、ただ確実にそして時間がかかりつつも一歩づつ進んでいくしかないのかと思いました。
ベルファスト:平和の名のもとの分断ー平和の壁(1)
ベルファスト:平和の壁は平和をもたらしたか?ー平和の壁(2)
紛争の歴史の背景について
北アイルランドの紛争を知るために(1)ちょっとだけ、アイルランドの紛争の背景のおさらい
北アイルランドの紛争を知るために(2)不信、アイデンティティ、ナショナリズム
北アイルランドの紛争を知るために(3)厄介事:失政による人災
*1.イアン・フリーランド中将(Lt. Gen. Ian Freeland)さんの言葉
The peace line will be a very, very temporary affair, We will not have a Berlin Wall or anything like that in this city.
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/one-peace-wall-down-109-across-northern-ireland-still-to-go-34486822.html, Feb 26, 2016.
Belfast Interface Project.(2013).
1. Categories and Locations of Barriers
http://www.belfastinterfaceproject.org/interfaces-map-and-database-overview
FactCheckNI.(2016). Who opens and closes interface gates?
http://www.factcheckni.org/facts/who-opens-and-closes-interface-gates
Macaulay.(2008). A Process for Removing Interface Barriers A discussion paper proposing a five-phase process for the removal of peace walls in Northern Ireland
http://cain.ulst.ac.uk/issues/segregat/docs/macaulay200708.pdf
McDonald. H. (2011).
Belfast park opens door to peace, the guardian (Septermber 16th published)
https://www.theguardian.com/uk/2011/sep/16/belfast-park-door-peace-wall
McKittrick.(2011) Divided city. Published in June 2011 issue of Prospect Magazine
https://www.prospectmagazine.co.uk/magazine/northern-ireland-belfast-divided-peace-line
だからといって簡単に今すぐ”壁を壊すべき”だとはなりません。紛争とは長い時間をかけて暴力的衝突に至ります。それこそ何百年という年月がかかり、数十年の政治的歴史を振り返るだけでは不十分です。1969年に起こった暴動や、血の日曜日事件などはその大きな流れの中の一幕です。そして近年では2011年に民兵組織による大きな暴動があり、300人以上のけが人を出し、人々を震撼させました。
そのため、それまでに個人に蓄積された歴史、集団としての歴史認識、真実を解き明かしこれまでの歴史的負正義*に対応していく必要があります。また、その中で教育、メディア、宗教施設、身近に触れる文化などが人々の意識の形成に大きな役割を果たします。政治的な意志が必要であることは言うまでもありません。
*参考ブログ「歴史教科書問題に解決は見られるのか(1)」
例えば、一般的に学校教育において、それぞれの共同体の中で小学校から高校まで終えるため、双方との交流経験がなく、歴史教育においてはカトリックがアイルランドの歴史を学ぶ一方でプロテスタントが英国の歴史を学んでいます。
社会学の「接触仮説」が説明するように異なる集団間の(意味ある)接触を増やすことで、お互いへの偏見がなくなる可能性が高くなるため、教育システムでの分断は、今も続く人々を隔てる理由の一つとなりえます。
2016年に壁の一つが壊され、2024年にはすべての壁を取り除く計画です。物理的壁は、計画通りにいけば消えていきますが、人々の心の壁はどうなるのでしょうか。和平合意から19年、紛争の傷跡はいまだ癒えず、ただ確実にそして時間がかかりつつも一歩づつ進んでいくしかないのかと思いました。
ベルファスト:平和の名のもとの分断ー平和の壁(1)
ベルファスト:平和の壁は平和をもたらしたか?ー平和の壁(2)
紛争の歴史の背景について
北アイルランドの紛争を知るために(1)ちょっとだけ、アイルランドの紛争の背景のおさらい
北アイルランドの紛争を知るために(2)不信、アイデンティティ、ナショナリズム
北アイルランドの紛争を知るために(3)厄介事:失政による人災
*1.イアン・フリーランド中将(Lt. Gen. Ian Freeland)さんの言葉
The peace line will be a very, very temporary affair, We will not have a Berlin Wall or anything like that in this city.
参照
Belfast Telegraph.(2016). One peace wall down, 109 across Northern Ireland still to gohttp://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/one-peace-wall-down-109-across-northern-ireland-still-to-go-34486822.html, Feb 26, 2016.
Belfast Interface Project.(2013).
1. Categories and Locations of Barriers
http://www.belfastinterfaceproject.org/interfaces-map-and-database-overview
FactCheckNI.(2016). Who opens and closes interface gates?
http://www.factcheckni.org/facts/who-opens-and-closes-interface-gates
Macaulay.(2008). A Process for Removing Interface Barriers A discussion paper proposing a five-phase process for the removal of peace walls in Northern Ireland
http://cain.ulst.ac.uk/issues/segregat/docs/macaulay200708.pdf
McDonald. H. (2011).
Belfast park opens door to peace, the guardian (Septermber 16th published)
https://www.theguardian.com/uk/2011/sep/16/belfast-park-door-peace-wall
McKittrick.(2011) Divided city. Published in June 2011 issue of Prospect Magazine
https://www.prospectmagazine.co.uk/magazine/northern-ireland-belfast-divided-peace-line
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