トランプ米大統領は大統領選で「メキシコとの間に壁を作る!」と公言しサポーターの歓迎を受けると同時に物議を醸したのは数か月前のこと。そして、世界の史跡をみると外敵から守るための「壁」が築かれ、それが人類の歴史の一部として刻まれ、私たちのDNAに深く刻まれているようでいてなりません。
ベルファストのキューパー通りを約2キロにわたって走る”平和の壁” |
”平和の壁”は物理的な境/壁で様々な形態があります。メタルのフェンス、壁の上にフェンスがとりつけてあるもの、有刺鉄線のフェンスもあれば、丈夫で高い煉瓦壁なども見られ、それらの壁をローカルの政治的文脈の中で”平和の壁”が作られました。
観光客が多く訪問する”平和の壁”
一番有名な平和の壁は、西ベルファストのフォールズ・ロード(Falls Road、最大のカトリック集中街)とシャンキル・ロード(Shankill Road、最大のプロテスタント集中街)の間、Cuper Way沿い約500メートル走る”平和の壁”。
クーパー通りの平和の壁周辺の地図と写真(著者が編集) |
ベルファスト全体にある平和の壁を俯瞰する McKittrick.(2011) Divided city. 引用:https://www.prospectmagazine.co.uk/magazine/northern-ireland-belfast-divided-peace-line |
壁のメインのパートには目立った壁画(政治的メッセージの強いもの、あるいは芸術的なもの)は見られず、どちらかというとタギング(所属集団を示すものがスプレーで描かれている、落書きあるいはストリートアート)が多く見られ、観光客である我々以外、あまり地元民はおらず閑散としていました。
高さは約6~7 メートルで、その上にさらに約5 メートルのフェンスがあります。プロテスタントサイドから平和の壁にアクセスできます。壁の目の前にはユニオンジャック(英国旗)が翻り、壁と道路から20~30メートルほどの場所に民家が立っています。
一方壁の反対側のカトリックサイドは家が密集し、民家が壁に隣接している場合が多くそれらの民家は、壁から1~2メートルほどの緩衝地帯がもうけられ、その上に金網が張られています。これらはプロテスタントサイドから投げられる石、煉瓦、金属破片などへの自己防衛のためです。
ベルファストのカトリック集住地区(バンベイ通り)、平和の壁の反対側の通り |
カトリック集住地区のバンベイ通り沿いの民家裏庭 |
ゲート
今回訪問(通過した)ゲートはノース・ハワード通りとキューパー通り(平和の壁のある場所)の境とスプリング通りに抜けるラナーク通りにあります。特に夜間にカトリック・プロテスタントの住民が行き来するの嫌がります。
ノース・ハワード通りとキューパー通りにあるゲート |
スプリング通りに抜けるラナーク通りのゲート(開放時間は7時から夜10半) |
FactcheckNIによると各ゲートの開放時間は以下です。ノースハワード通りは月曜日から土曜日の6時半から夕方の6時半までなのだとか。ノースアンバーランド通りは月曜日から土曜日の6時半から夕方の6時半と、日曜日の朝10時から午後3時まで。
タウンセンド通りは月曜日から木曜日の朝7時から夕方5時半、金曜日は7時から夕方の6時
ウォークマン通りは月曜日から日曜日まで7時から夜の9時まで。
”平和の壁”の数とその所有者
北アイルランドにはかなりの数の”平和の壁”があり、その大半がベルファストにあります。何を平和の壁と定義するのかにもより、実際言われる数はまちまちですが、現在は109もの平和の壁が北アイルランドにあります。(Belfast Telegraph,2016)大半の壁はNIO(北アイルランド省)によって作られ、現在は司法省の管轄下にあり、次のNorthern Ireland Housing Executive(政府の公営住宅を扱う機関)、私的な所有、そしてDepartment for Regional Development(地域開発省)により作られ管理されています(Belfast Interface Project, 2013)。
(誰がいつの時代に作ったのかのクロス集計がみたいです。)
ベルファスト:平和の壁は平和をもたらしたか?ー平和の壁(2)
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