Museum of Free Derry |
朱色の壁に掛けられた、赤字の横断幕が訪問者を迎え入れます。
鮮烈な印象を与えるこの横断幕のある場所は、フリーデリー博物館。国際会議参加後のツアーで北アイルランド、第二の都市デリー訪問時に立ち寄りました。フリーデリー博物館は、人権、ボグサイト地域での暴動、1968年から1972年までの公民権運動、インターメント(逮捕令状なしの逮捕、裁判なしの拘留)への抵抗、血の日曜日事件(以下事件)、市民の抵抗運動、平等を求める運動をテーマにしています。
この博物館は、事件の遺族が事件25周年の1997年に信託を設立し、実際事件の起こった場所を買い取り建設、2007年にオープンしました。総工費は2.4百ポンド(約3.3億円)。遺族からの寄贈された展示物やインタラクティブな展示を備えております。
血の日曜日、何が起こったのか?
北アイルランド公民権協会は下院議員アイヴァン・クーパーを中心にインターメントへの抗議活動への一環としてデモを計画し、市民に呼びかけました。1972年1月30日の当日一万五千人のデモ参加者は、クレガン地区からギルドホール広場に向けて出発しました。
ところが英国陸軍は、バリケードを築いてデモ隊の行く手を阻みます。デモ隊の多くは、バリケードを避けるべく迂回するものの、若者の多くはバリケードまで行き、石や瓶を投げ、陸軍はそれに放水銃や催涙ガス、ゴム弾で応戦します。
それから間もなく、第一空挺大隊は市民に向けて発砲し始めました。逃げまどう市民で騒然とする中、銃撃は続き、軍は13名(のち怪我もとで1名亡くなり、14名)殺害し、15名の市民を負傷させました。
軍は、事件後に死者は銃器や爆弾で武装していたと証言。しかし、市民側からの砲撃で負傷した兵士は一人もおらず、被弾した車はありませんでした。被害者の遺体から、ネイルボム(写真参照*)が見つかったが、これは軍関係者が事件後でっち上げた証拠だとされています。
軍は、事件後に死者は銃器や爆弾で武装していたと証言。しかし、市民側からの砲撃で負傷した兵士は一人もおらず、被弾した車はありませんでした。被害者の遺体から、ネイルボム(写真参照*)が見つかったが、これは軍関係者が事件後でっち上げた証拠だとされています。
*ネイルボム(釘爆弾)中に爆発物をいれ、釘で周りを囲みます。 これを英国兵士、あるいは警察に手で投げ入れます。 |
血の日曜日事件 殺害現場の図 (c)Ulster University 引用:http://cain.ulst.ac.uk/events/bsunday/map3.jpg |
ウィリアム通りの(通りをはさんだ博物館の前に建っている) 血の日曜日事件の記念碑 |
この事件は30年を経た2002年に映画「Bloody Sunday」として発表され、高い評価を受けました。事件で殺害された個々人の生活の片りん淡々と、そしてドキュメンタリーのように描く手法で、観客は一歩距離を置いて事件を見ることができるものの、観賞後は深い怒りを感じます。下院議員アイヴァン・クーパーが映画の最後に言ったセリフ「英国政府は、IRAに今までにない大きな勝利を与えてやった。この街全体で、今夜若者たちはIRAに志願すだろう」*1は、皮肉に満ち、映画に強い余韻を残しました。
また、事件の起こったこの1972年は「厄介事」と呼ばれる紛争が起こった中で最も多くの人命が失われた年でした(Bowcott.2010)。
遺族による語り
博物館で我々を迎えてくれたのは、ジョン・ケリーさん。事件当時17歳であったマイケル・ケリーさんを亡くしている遺族です。ジョンさんは、博物館設立の経緯、博物館の構造、展示物の一部を見せ事件について遺族の視点でお話してくださいました。
「血の日曜日事件を政治的というよりは人権問題として取り上げたい」と第一声で言われていたことが印象に残りました。この悲劇の背景には、歴史的に不利益を被ってきた人々がいます。この「厄介事(トラブルズ)」が武力的な衝突となって顕現するのに数世紀かかっています。
また、2000年代まで事件で関わった軍人は、非武装の民間人を殺害しながら非は認められず、法の裁きを受けておりませんでした。一方で、被害者である個人が加害者とされていました。
2010年に5,000ページもわたる調査報告書の結論は、警告なしの発砲、兵士は危機的な状況には置かれておらず、民間人では兵士がはじめに発砲したことが明確となりました。この報告書の発表後、当時のキャメロン首相は公式の場で謝罪しました(謝罪せざるえませんでした)。いままで、殺害に関与した兵士は個人名を特定されぬよう「兵士A」など、アルファベットで表記されており、政治的にも守られていました。しかし、近年のこうした進展の中で、事件に関与した(元)兵士が訴追される可能性が出てきており、2015年に事件後初めて66歳の元兵士が逮捕されました(Tran et al. 2015)。
事件後、45年が経過し、遺族や友人などの支援者も年をとってきました。生きているうちに正義の裁きがあることが願われるというジョンさんの言葉が重く響きました。
ジョン・ケリー(John Kelly)さん |
「血の日曜日事件を政治的というよりは人権問題として取り上げたい」と第一声で言われていたことが印象に残りました。この悲劇の背景には、歴史的に不利益を被ってきた人々がいます。この「厄介事(トラブルズ)」が武力的な衝突となって顕現するのに数世紀かかっています。
また、2000年代まで事件で関わった軍人は、非武装の民間人を殺害しながら非は認められず、法の裁きを受けておりませんでした。一方で、被害者である個人が加害者とされていました。
2010年に5,000ページもわたる調査報告書の結論は、警告なしの発砲、兵士は危機的な状況には置かれておらず、民間人では兵士がはじめに発砲したことが明確となりました。この報告書の発表後、当時のキャメロン首相は公式の場で謝罪しました(謝罪せざるえませんでした)。いままで、殺害に関与した兵士は個人名を特定されぬよう「兵士A」など、アルファベットで表記されており、政治的にも守られていました。しかし、近年のこうした進展の中で、事件に関与した(元)兵士が訴追される可能性が出てきており、2015年に事件後初めて66歳の元兵士が逮捕されました(Tran et al. 2015)。
事件後、45年が経過し、遺族や友人などの支援者も年をとってきました。生きているうちに正義の裁きがあることが願われるというジョンさんの言葉が重く響きました。
ジョンさんは博物館を事件で英国軍が使用した弾丸を何種類か見せてくれました。プラスティック弾を何種類か、そしてライフルの銃弾。プラスティック性の弾丸は円筒形で手のひらほどのサイズ。感触は少々重みを感じるものの、子どものおもちゃのようなもの。これが秒速60メートルで攻撃対象に当たり、頭などに当たれば脳挫傷を起こし、死に至らしめます。デモ隊の鎮圧時に使われていたようです。
引用、参照
Bowcott.O.(2010).The legacy of the Bloody Sunday killings. The Gordian. https://www.theguardian.com/uk/2010/jun/15/legacy-bloody-sunday-killings
Ferguson.A.(2013).John Kelly: Murdering Bloody Sunday soldiers should be in prison already. Belfast Telegraph, published Oct 21 2012, from http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/bloody-sunday/john-kelly-murdering-bloody-sunday-soldiers-should-be-in-prison-already-29675847.html
Tran, Bowcott and McDonald.(2015). Bloody Sunday investigators arrest 66-year-old former soldier. The Gardian. Nov 10 2015 published, retrieved from
https://www.theguardian.com/uk-news/2015/nov/10/bloody-sunday-investigators-arrest-former-soldier
Tran, Bowcott and McDonald.(2015). Bloody Sunday investigators arrest 66-year-old former soldier. The Gardian. Nov 10 2015 published, retrieved from
https://www.theguardian.com/uk-news/2015/nov/10/bloody-sunday-investigators-arrest-former-soldier
*1.Bloody Sundayのクーパーのセリフ
I just want to say this to the British Government... You know what you've just done, don't you? You've destroyed the civil rights movement, and you've given the IRA the biggest victory it will ever have. All over this city tonight, young men... boys will be joining the IRA, and you will reap a whirlwind.
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