フィリピン検定 2 -回答1 (Q6~Q10)

Q6. 東京の日比谷公園にフィリピンの独立に寄与した英雄の像があります。その人物は次のうちのどれか?
a) ボニファシオ
b) ニノイ・アキノ上院議員
c) ホセ・リサール

[解説]
日比谷公園のホセ・リサール像
日比谷公園のホセ・リサール像


a) アンドレス・ボニファシオはフィリピンの独立運動家・革命家。ホセ・リサールにより民族団体「ラ・リガ・フィリピナ(フィリピン同盟)」参加するものの、リサールの逮捕とミンダナオへの流刑をきっかけに同団体は解体のち、1892年独立革命を目指す秘密結社「カティプナン」を創設しました。
革命期の英雄である、ホセ・リサール、アギナルドとは異なりボニファシオは貧しく家柄も低い家庭に生まれており、苦学をしました。彼の起こそうとした革命が社会的な平等を目指そうとする真に底辺からの革命であったと後に歴史的な解釈がなされました。しかし、その思想のゆえにアギナルドとは袂を分かち、後に処刑されました。

関連ブログ「フィリピンの英雄ボニファシオの日-11月30日

b) ニノイ・アキノ上院議員は、マルコス独裁政権時(1965~86年)に反マルコス派として投獄され、その後アメリカに亡命、そして帰国と同時の暗殺されました。後のコラソンアキノ大統領(1986~92年)の夫、ニノイ・アキノ大統領(2010~16年)の父です。
関連ブログ「ニノイ・アキノデー8月21日-暗殺から30年、事件を振り返る-
コラソンアキノ前大統領の亡くなられた日を偲んで

c) ホセ・リサールはQ1解説をご参照ください。
ホセ・リサールの像は日比谷公園(日比谷通りに面する側)、日比谷交差点交番から30メートルの場所に建っています。フィリピンの独立100周年を記念して1998年にユーチェンコ在日フィリピン大使(Ambassador Yuchengco )(当時) が建立しました。リサールは(当時26歳)1888年に来日しており、1ヶ月ほど東京都(当時・東京府)内に滞在しているようです。

Q7. フィリピンの祝日は、宗教的な祝日(聖週間、クリスマス、ラマダン明けのエディエル・フィテル等)そして英雄、歴史にちなんだ祝日があります。 8月21日は英雄にちなんだ祝日でした。さて、その国民的英雄とはだれか?
a) ラモン・マグサイサイ(第三代大統領)
b) マニュエル・ケソン(コモンウェルス(独立準備政府)初代大統領)
c) ニノイ・アキノ上院議員

[解説]
a) ラモン・マグサイサイは第7代大統領。第3次共和国第3代大統領(就任期間:1953~57年)。1907年8月31日サンバレス州イバ町生まれ。33年ホセ・リサール大学商学部卒業。第二次世界大戦中は米極東軍(USAFFE)のゲリラとして活躍、米極東軍のダグラス・マッカーサー最高司令官からサンバレス州の軍政知事に任命。
戦後1946年、自由党公認としてサンバレス州から下院選に出馬し当選、政界入りを果たす。50年キリノ大統領時代は国防長官となりフク団の反乱を鎮圧、国民的英雄となりました。
1953年の総選挙では国民党から大統領選挙に出馬し大統領となりました。清廉潔白な政治家として国民の高い人気を得ていたものの新米家であるマグサイサイには反米ナショナリズムが台頭した時期と重なり、苦しい時期となりました。ベル通商法の改定(54年)や米国の意向に反した日比賠償協定(56年)が結ばれ、民族主義的な教育を目指すリサール法が制定されました。
その一方で1954年9月8日にマニラで結成された共産ゲリラ撲滅を主目的とする米国主導の東南アジア条約機構(SEATO)への参加を積極的に押し進めました。
1957年3月17日、ミンダナオ島へ視察に行く途中のセブ島マニュングァル山付近で起きた飛行機事故で死亡しました。

b) マニュエル・ケソン
マニュエル・ケソンは1878年8月19日タヤバス州(現在のケソン州)バレル町で生まれ。コモンウェルス(独立準備政府)初代大統領(1935~44年)をつとめました。サンファン・デ・レトラン大学文学部を16歳で卒業。1899年に米国からの独立運動に参加するためサント・トーマス大学法学部を中退、アギナルドの革命軍に参加。
革命後の1903年に同大学を卒業、司法試験に合格して1年間弁護士活動を行い、1905年タヤバス州知事選に当選、2年間知事を務める。1907年の第1回総選挙に即時独立を求める国民党から出馬、国民議会(一院制)議員に当選、与党院内総務を務める。
1916年ジョーンズ法(フィリピン自治法)の成立に尽力、のち二院制議会の上院議長に就任する。1935年新憲法が国民投票で批准、総選挙でコモンウェルスの大統領に選出される。1937年にタガログ語を国語と定めたことから「フィリピン語の父」といわれ、現在のフィリピン20ペソ紙幣に描かれています。
大統領再選の翌1942年日本が侵攻後、米国に渡り亡命政府を樹立。1944年8月1日にニューヨークで持病の肺結核により死去。首都圏マニラ最大の人口を有するケソン市はケソン大統領の名を冠したもの。

c) ニノイ・アキノ上院議員

Q8. アジアのノーベル賞と言われる(     )賞は、ロックフェラー財団からの50万ドルの寄付金で創設された賞。賞の名前はフィリピンの大統領を冠しております。その大統領の名前とは以下のどれか?
a) ホセ・ラウレル
b) カルロス・ガルシア
c) ラモン・マグサイサイ

[解説]
マグサイサイ賞ウェブサイト
マグサイサイ賞ウェブサイト
http://rmaward.asia/

a) ホセ・ラウレルは日本軍政下の第2次共和国大統領、第3代大統領、就任期間1943~45年。アキノ政権時のラウレル副大統領の父親。
1943年第2次共和国大統領に就任した。終戦間近、山下奉文大将の命令で45年3月末に奈良で亡命生活を送ることとなった。終戦後にマッカーサー元帥の命令によって奈良で逮捕、巣鴨拘置所に一時に収監されました。帰国後、対日協力により反逆罪で訴追されましたが、後ロハス大統領によっての恩赦を受けます。

b) カルロス・ガルシアは、第8代大統領。第3次共和国第4代大統領、就任期間1957~61年。1953年、国民党からマグサイサイ大統領と共に副大統領に当選、外務長官も兼任した。1957年3月、マグサイサイ大統領の不慮の死によって大統領に。同年の大統領選で再選を果たす。フィリピン人第一主義の旗の下、経済的な自立を目指して極端な保護主義政策をとるが、工業化の成長速度は鈍り、貿易赤字を解決することは出来なかった。米国との伝統的結びつきを維持、アジアの非共産国との関係強化を目指しました。1959年には軍事基地協定の改定で米国と合意。

c) ラモン・マグサイサイはQ6解説を参照。ラモンマグサイサイ賞(Ramon Magsaysay Award)は、毎年アジア地域で社会貢献などに傑出した功績を果たした個人や団体に対し、ラモン・マグサイサイ賞財団により贈られている賞です。同賞には6部門あり、(政府 (Government Service)、社会奉仕 (Public Service)、社会指導 (Community Leadership)、報道・文学・創造的情報伝達 (Journalism, Literature and Creative Communication arts)、平和・国際理解 (Peace and International Understanding)
新興指導者 (Emergent Leadership))。人種・信条・性別・国籍を問わず、それぞれの分野で傑出した業績を達成したり、世間の賞賛を期待せず寛大に人々を助けたりした個人や組織を表彰し賞を授与している日本人(個人・団体)の受賞者もおり、今年2017年は日本人では、歴史家でカンボジアのアンコール・ワット遺跡保存修復に尽力された石澤良昭教授が受賞しました。

Q9. フィリピンでは方向を指し示す時に人差し指を用いません。では、どのように方向を指し示すのか?
a) 手のひらしっかり開いてを指し示したい方向に向ける
b) 膝を少々折り曲げ指し示したい方向に向ける
c) 唇を少々とがらせて指し示したい方向に向ける

[解説]
回答はc) ですが、その理由は、目に見えない精霊などを(知らない間に)指をさしてしまい、かれらを怒らせてしまう、あるいは刺激してしまうのはよくないと考えられていると聞きますが、いまとなってはこうした「迷信」を知らずとも身体が反応しているようです。
関連ブログ「フィリピン人的ジェスチャー

Q10. フィリピンは300年以上もの間スペインの統治を受けましたそのためあらゆるところにスペインの面影を残しています。食べ物もしかり。スペイン生まれで、その後フィリピンでアレンジされた、チーズをトッピングされ粉砂糖がかかったさっくりとした食感の菓子パンの名前は何か?
a) エンサイマダ
b) ポルボロン
c) マリガヤ

a) エンサイマダは、スペイン領のマヨルカ島発祥の菓子パン。日本でも山崎製菓から販売されていたことがあります。スペインのオリジナルのものは、ラードを使用して作られているそうですが、フィリピンのものは違うようです。お土産用として少々小ぶりのサイズが空港などで販売されています。

b) ポルボロンは、チンスコウのような食感が特徴のスペインのアンダルシア地方発祥のクッキー。幸せを呼ぶお菓子と言われてクリスマス・年末年始に販売されているそうです。フィリピンでは日常的に食べられるお菓子というよりは、お土産として販売されています。現在は様々なフレーバーのポルボロンが販売されています。
関連ブログ「フィリピンのお土産何にしよう-定番+喜ばれるお土産

c) マリガヤは、フィリピンのパン屋さんで販売されている菓子パン。サイズはいろいろですが、おやつで食べられる手のひらサイズが一般的。赤いペーストがなんともグロテスクですが、甘さもそこそこでおやつにおススメです。

いかがでしたでしょうか。
著者自身も問題を作りながら、特に革命期の歴史をおさらいしました。

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