新型コロナウィルスが中国国外にも広がりつつあるなか、それ以上の速さで人々に感染への「恐怖」が広がりつつあるのを肌で感じます。ウィルスの全貌がわからず、またワクチンは現在開発中、20%の割合で重症化し、WHOはいよいよ公衆衛生における緊急事態宣言を出し、人々は感染の恐怖に怯えるのですが、その恐怖の矛先が中国人を筆頭にアジア系の人たちにむけられはじめています。恐怖心から差別感情が現れる(場所によっては強まる)のではないかと恐れています。ウィルスの前に「恐怖」により打ちのめされてしまうのではないかと思うほどです。
道を歩いていたアジア人が「コロナウィルス」と呼ばれたり、公共交通機関から降りざる得なかったり・・・という話も聞かれます。イタリアのとある音楽院では、東洋人(とその他感染が確認された国出身)の学生のレッスンが中止になったことがニュースとなりました。院内での感染の可能性とその拡大を恐れた措置のようですが、生徒や教員たちからも行き過ぎた措置であると反発を受けたそうです。
フランスの地方紙「クーリエ・ピカール」は、1面に「黄色警報」というタイトルとともにアジア系女性の写真を掲載しました。黄色とは、黄色人種と言われる東洋人をさす言葉で、さらに同日の社説のタイトルは「黄禍」※としたところ、差別を助長するであろうことが指摘され、非難を受け、結局は謝罪することとなりました。
※黄色人種が勢力を強くし、白色人種への脅威を表す言葉として用いられ、アジア系住民排斥にもつながった言葉。
コロナウィルスに関連したジョージア人によるアジア人への差別はあまり聞きませんし、大多数はいたってふつうの反応。アレルギー体質である著者が鼻をずるずるとさせただけでコワいものをみたかのような顔をされたり、乗車したバスで、著者を見た瞬間にタートルネックで口元を覆った乗客も見られましたが、ニュースの報道数が増えてからのことで、特に気にならない程度でした。
先日もジョージア人の友人とお店に出かけたのですが、その時、中国語を話す女性がマスクをして買い物をしていた姿をみかけました。レジの女性の顔がこわばっている様子が遠目からもよくわかりました・・・ジョージア人の友人がレジでお金を支払う時になって、レジの女性大きく深呼吸をし、少々怖がるような目で友人に付き添っている私を見たので、思わず反射的に「日本人です」と言わざるえませんでした。レジ打ちの女性の安心する顔がわかって、複雑な気持ちになりました。それでも、他の店で聞くと「あぁ、そんあこともあったわねぇ」というなんとも無関心。「ジョージアには届かないわよ」って返されました。あっぱれ、ポジティブ・シンキング!現時点においてはこのような感じです。
今日、ジョージアの目抜き通りで、いつもは著者の行く手を阻んでまで寄付をねだるストリート・ミュージシャンが露骨に著者を避けました。わっ、避けられた!と思いましたが、気にしない、気にしない。
例えば、イタリアの音楽院が東洋人のレッスンを全て中止するという措置をとった時、東洋人だけではなく、学生全員の検査を実施して、そしてレッスンを再開するなどの措置を訴える、(場合によってはメディアにも事の経緯を詳らかにする)等の対処、アクションが考えられると思います。
立ち向かうには、かなりのエネルギーが必要なので、消耗しすぎないように・・・
これが、「黄禍」へのワクチンとなりうるかはわかりませんが、一つの問題提起となるのではないかと思います。というのは、アジア人への蔑視や差別というは、わかりづらかったものの、これまでずっと存在していました。
西欧社会を例にとると、リベラル、そしてオープンな人も多いものの、やはりアジア人蔑視の風潮がもともとあり、「オランダ人の人種差別?(2) オランダで差別を経験したことはあるか?」でも書いた通り「やーい中国人!」と言われることや露骨に店員に嫌な態度をされたりすることも時々あります。
こうした態度は移民全般への対応とも受け取れますが、背丈も小ぶりで、「控えめ」(と言われる)アジア人であるが故に、「アジア人は○○だ」とレッテルを張られることはただあります。そんな意味で、この#私はウィルスじゃない、が何らかの爪痕を残してくれることを願うばかりです。
また、人々の恐怖心も、ウィルスの全貌がわかるにつれ、いささか和らぐのではないかと思います。海外に生活するアジア人として、コロナウィルスへの人々の反応、恐怖心の矛先が我々に向くことにはあまり心穏やかではありませんが、フェイクニュースに惑わされず、心静かに事態の収束を見守る次第です。
Outbreaks of xenophobia in west as coronavirus spreads
OPCWでガスマスクを着用した時の写真。 あまりにも「コロナウィルス」と言われてうざいと思ったら、是非お試しを。 |
アジア人全てが保菌者あつかい?
中国人の観光客が多い西欧の国、また日本でも中国人観光客がレストランの入店を拒否されたことが報じられました。これは、反中国感情ではなくて、店員やその他の客をウィルス感染の可能性のあるアジア人、とくに中国人から遠ざけるためと説明がされますが、アジア人全てを中国人とみなし、さらには、保菌者とみなす傾向も徐々に顕著になり始めました。道を歩いていたアジア人が「コロナウィルス」と呼ばれたり、公共交通機関から降りざる得なかったり・・・という話も聞かれます。イタリアのとある音楽院では、東洋人(とその他感染が確認された国出身)の学生のレッスンが中止になったことがニュースとなりました。院内での感染の可能性とその拡大を恐れた措置のようですが、生徒や教員たちからも行き過ぎた措置であると反発を受けたそうです。
フランスの地方紙「クーリエ・ピカール」は、1面に「黄色警報」というタイトルとともにアジア系女性の写真を掲載しました。黄色とは、黄色人種と言われる東洋人をさす言葉で、さらに同日の社説のタイトルは「黄禍」※としたところ、差別を助長するであろうことが指摘され、非難を受け、結局は謝罪することとなりました。
※黄色人種が勢力を強くし、白色人種への脅威を表す言葉として用いられ、アジア系住民排斥にもつながった言葉。
ジョージアではどうか?
おおらかな国柄と東アジアとの接触がこれまで多くなかったため、(そしてジョージア人の友人のおかげもあり)アジア人だからと差別は特に受けたことはなく、むしろ好機の目を向けられることが多いのですが、この一連の騒動により変化があるのではないかとおそれています・・・。実際はどうでしょうか。コロナウィルスに関連したジョージア人によるアジア人への差別はあまり聞きませんし、大多数はいたってふつうの反応。アレルギー体質である著者が鼻をずるずるとさせただけでコワいものをみたかのような顔をされたり、乗車したバスで、著者を見た瞬間にタートルネックで口元を覆った乗客も見られましたが、ニュースの報道数が増えてからのことで、特に気にならない程度でした。
先日もジョージア人の友人とお店に出かけたのですが、その時、中国語を話す女性がマスクをして買い物をしていた姿をみかけました。レジの女性の顔がこわばっている様子が遠目からもよくわかりました・・・ジョージア人の友人がレジでお金を支払う時になって、レジの女性大きく深呼吸をし、少々怖がるような目で友人に付き添っている私を見たので、思わず反射的に「日本人です」と言わざるえませんでした。レジ打ちの女性の安心する顔がわかって、複雑な気持ちになりました。それでも、他の店で聞くと「あぁ、そんあこともあったわねぇ」というなんとも無関心。「ジョージアには届かないわよ」って返されました。あっぱれ、ポジティブ・シンキング!現時点においてはこのような感じです。
差別されたらどう対処する?
対処における正解はありませんが、自分が最も腑に落ちる、納得する対処をするのがよいかと思っております。受け流す
「コロナウィルス」などと叫ぶ人が居ても、基本的には無視して良いと思います。叫んでいる人は仲間に曲解したかっこよさを見せたい、あるいは単に面白がっている、もしくは何も考えてない人なので、こちらの時間とエネルギーを割くほどの価値はありません。そもそも、本当に保菌者かもしれないと恐れたら、そんなことは言わず、黙って避けると思います。今日、ジョージアの目抜き通りで、いつもは著者の行く手を阻んでまで寄付をねだるストリート・ミュージシャンが露骨に著者を避けました。わっ、避けられた!と思いましたが、気にしない、気にしない。
立ち向かうべきかを考える
コロナウィスルに関連した差別的な発言については受け流したら良いと思いますが、それがあまりにも執拗であったり、個人の尊厳にかかわるようなこと、実害が大きい場合であったら、同対処すべきか考えるときだと思います。例えば、イタリアの音楽院が東洋人のレッスンを全て中止するという措置をとった時、東洋人だけではなく、学生全員の検査を実施して、そしてレッスンを再開するなどの措置を訴える、(場合によってはメディアにも事の経緯を詳らかにする)等の対処、アクションが考えられると思います。
立ち向かうには、かなりのエネルギーが必要なので、消耗しすぎないように・・・
#JeNeSuisPasUnVirus (#私はウィルスじゃない)
フランスから発信された#JeNeSuisPasUnVirus(#私はウィルスじゃない)は、静かに広がりつつあるようです。アジア系の女性がSNS上で匿名で被害を訴え、#JeNeSuisPasUnVirus「#私はウイルスじゃない」というハッシュタグを作り、のちフランスで人種差別問題に取り組んでいる映画監督に取り上げられ、拡散されました。これも、現代的に差別に立ち向かう方法です。これが、「黄禍」へのワクチンとなりうるかはわかりませんが、一つの問題提起となるのではないかと思います。というのは、アジア人への蔑視や差別というは、わかりづらかったものの、これまでずっと存在していました。
西欧社会を例にとると、リベラル、そしてオープンな人も多いものの、やはりアジア人蔑視の風潮がもともとあり、「オランダ人の人種差別?(2) オランダで差別を経験したことはあるか?」でも書いた通り「やーい中国人!」と言われることや露骨に店員に嫌な態度をされたりすることも時々あります。
こうした態度は移民全般への対応とも受け取れますが、背丈も小ぶりで、「控えめ」(と言われる)アジア人であるが故に、「アジア人は○○だ」とレッテルを張られることはただあります。そんな意味で、この#私はウィルスじゃない、が何らかの爪痕を残してくれることを願うばかりです。
心静かに、ワクチンの開発と事態の収束を待つ
ウィルスとウィルスへの恐怖心に人類は打ち勝つことができるのか?今のところはやられっぱなしですが、ワクチンは今こうしているうちにも、研究が進み、一歩づつ完成に近づいています。また、人々の恐怖心も、ウィルスの全貌がわかるにつれ、いささか和らぐのではないかと思います。海外に生活するアジア人として、コロナウィルスへの人々の反応、恐怖心の矛先が我々に向くことにはあまり心穏やかではありませんが、フェイクニュースに惑わされず、心静かに事態の収束を見守る次第です。
追記
ジョージアでの宴会(スープラ)の席でのこと。「くしゃみ一つで怖がられるよ〜、なんせ、アジア発のウィルスだし、東洋人のルックスだし〜」と言うと友人の父は「ジョージアという名前がついたウィルスはまだこの地から広まっていないから、アジアはそういう意味でも先取的だ(笑)さすがアジア」と返されました(笑)。ジョージア的なウィットに富んだ返しに深刻さが和らぎました。参考ウェブサイト
Rome music school bans all East Asian students from class amid coronavirus fearsOutbreaks of xenophobia in west as coronavirus spreads
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