フィリピン、土砂崩れで立ち往生

フィリピンに一時”帰国”中です。帰国すると必ず行うことの一つは、(旦那の)実家であるビコール地方に帰省することです。

そのため長距離バスでの旅はもはや、フィリピン生活の一部。移動時間と道の悪さを考えたら、ストレスではないというのは嘘ですが、いつも利用しているIsarog bus(ビコール方面に行くバス会社の一つ)の運転手さんやコンダクターさんは親切で、外国人である著者を気に掛けてくれます。一時期は、同じバスを月に2,3回使った時期もあり、運転手さんにも顔と下車場所を覚えられるほどでした。それらもあり、バスの旅は慣れていますが、今回は少々勝手が違いました。

いつもとちょっと違う旅

夜の8時出発予定のバスはどういうわけか定時に出発せず、夜の8時半に出発しました。いつもの田舎への帰路と大きく異なることは、義理の姉と一緒の旅であること、台風が近づいている中の出発であること、ピークシーズンのはずがどういうわけか空席が目立つバスであったことでした。ビコール地方最大の祭り、PenaFranciaがあるため、それに合わせて帰省するビコール人が多く、バスもこの時期だと「キャンセル」待ちなのですが、どういうわけかそうではありませんでした。

空席が多いこと=2席を専有できる有りがたい状況だったので、席を移動させ、珍しく眠りにつきました。著者はバスでは寒すぎる+揺れが激しすぎる+座ったままの状態で睡眠できない等の理由でバスでは眠れません。しかし、風邪の回復期であり、狭いながらも身体を横たえるスペースができ、しばしの眠りに。

しかし、それでも眠りは浅く、ふと夜中に目を覚ますと、窓に打ちつける雨、外にはフィリピン国軍のトラックと兵隊が見えます。その時気がついたのは、バスが全く動いていないこと。はて、すでにビコール地方なのか?などとのんきに考え、いずれにしても仕方がないので、またひと眠り。

数時間後、義理の姉の声で目を覚まします。

「足止めされているわよ!」

「は?」

目を覚ますと、すっかり日が昇っています。
ビコールへ向かう夜行バスは、日の出前(朝5時前後到着)につくことが多いので、おかしいと思って時計に目をやるとすでに朝の8時過ぎ。すでに3時間も遅れています。

一体何があったのか?と、様子見にバスの外に出ることに。同じように足止めされているバスやバンが列をなしています。

小雨が降り、道のサイドには泥水が覆っていましたが、何が起こっているのかを知るべく歩いていくと、200メートル先で土砂が道を覆っていました。
熱帯低気圧Maring フィリピン
熱帯低気圧Maringのもたらした雨で、土砂災害発生!
土砂で埋もれる国道

ちょうど手元にある携帯にはNDRRMC(フィリピン国家災害リスク削減委員会)からのメッセージで、地滑りがケソン州であったとメッセージが入っていました。まさにその現場にいるので、防ぎようもありませんが、ひとまずメッセージを読んで改めて自分の置かれている状況を知ったのでした。

何が起こったのか?

地滑りが起こり、2車線(バスやトラックがなんとか行き来できる幅)の道をすっかり覆い、なぎ倒された木も道路側に倒れています。

災害が発生したのは、ケソン州の山中。精確にはケソン州のCalauag。家々は茅葺のシンプルなものが多く、携帯のアンテナもスポットを探すような山間のコミュニティ。ケソン州はビコールのお隣の州で、目的地までは4時間ほどの距離の場所。
土砂崩れの影響で止まる長距離バスとトラック(+自家用車)

この時には、台風による局地的な雨で同州の数か所、そして首都圏マニラも洪水が起こっているとは夢にも思っていませんでした。確かに、バスに乗り込む前のGrabのタクシーで、視界が遮られるほどの豪雨でしたが、タクシーを降りた時にはぱったりとやんだため、一時的なものにすぎないと思っていました。

ローカルサリサリストア大活躍

流石フィリピン、とにかく腹が減っては何もできないと、皆状況が悪化していないことに安堵し、ひとまず朝食をとることに。

しかし、上述の通り少々中心地から外れた場所であるため、周辺にみえるのは周辺住民のみが利用するであろうサリサリストア。

このサリサリストアは、いきなりの大量の客人に驚きつつも客をなんとかさばいていきます。

親切にもサリサリストアの人たち、インスタントヌードル(プラスチックで包装されているタイプのもの)調理をして販売してくれました。皆がどっと訪れたので、インスタントヌードルは完売。義姉と著者が訪れた時には、ちょっとのヌードルと大量のスープのみ(笑)。ひとまず、義姉といっしょにひとまずそれを頂きました。
しばらくして、地元の人たち、これは現金収入を得るチャンスといろいろと調理をはじめ、1時間後にはバナナキュー、蒸かしバナナ、マカロニスープ、等の売り子さんがバスの中を回り食品を販売することに。大人たちは「商機」と思いつつも気はづかしいためか、売り子は基本的には子どもたち。

いつ帰宅できるのか?

地元警察のオフィサーの説明によると、道が通れるようになるまで5時間かかるとのこと。午前9時の時点でブルドーザーが、現場に向かっており、両サイドから土石やなぎ倒された木をどかす作業を行うのだとか。

フィリピンの片田舎で5時間なんて言われたら、著者的にはこれは、8時間はかかるだろうなぁと思ったのでした。

「帰宅はきっと夜中だなぁ」と思ったのでした。

散策

エアコンを切ったバスの中はことのほかムシムシとしており、小雨降る外に居た方が実は気持ち良かったりして。いずれにしても、普段であれば夜行バスでさっと通り過ぎる、電燈もないケソンの山間のコミュニティを散策できます。以前に体験した豚小屋/トイレもこの辺りだったはず!

すたすた歩いて、家並み、人々の様子をウォッチしました。

コンクリートの家が多いものの、未完。あるいは茅葺の家もありました。大規模はないものの、小規模の地滑りが見られます。吸収しきれなかった雨水が道のサイドにたまり、まとまった雨が降り止んだ後も後も山から少しづつ水が流れ込んできます。

道路を挟んで山に面するそれらの家々の背後には、増水した川が流れています。湿度も高く、開け放たれた入り口と窓からもジットリとした室内の様子を見ることができます。

家の前に積まれた、編まれたニッパ。これらは家屋を作る際の材料になります。また、炭も小さな袋に積まれており、生計手段をわずかながら伺うことができます。

ケソン州なので、タガログ語を使用して地元民と対話するも、うちうちの話、情報共有はビコール語で話す乗客たち。

旅が長くなると、バスの乗客同士も会話し始めます。女性の一人旅に関して言うならば、男性の乗客から話しかけられる可能性は大です。(好機を逃がさぬフィリピン人男性。)

最終的にはどうなった?

実は、5時間も待たずに道が開通しました。開通時間は午前11時30分。片道のみの開通のため、反対車線の車がひととき通ったあと、こちら側の車が通れるようになりました。

地滑りの現場を通りぬける時、ブルドーザーのおじさんと目が合いました。ありがとうとサインを送ると、眉毛をくいくいっと二度あげて(フィリピン人がよくやる顔ジェスチャー)、挨拶を返してくれました。現場から1、2キロは徐行運転で通過。著者が直接足止めされた地滑りが最大規模でしたが、他の場所もいくつもの地滑りが見られました。

最終的に午後3時半ごろに帰宅。夜中の帰宅を覚悟していただけに、日があるうちに帰れたことがことさらありがたく思った次第でした。

改めて、自然の脅威を思い知り、同時にフィリピンのインフラの弱さを思い知ったのでした。

今回足止めを食らったのは、バスの他には長距離トラックと少々の民間車両。運転手さんたち、長時間労働、お疲れさまでした。


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