近頃、海外在住ということで通訳という役を仰せつかることがしばしば。つい最近のものでは、ベルファストでの会議、これは通訳/解説に近かったかもしれませんが、良い経験でした。そのひと月前はフィリピンでした。これは完全に逐次通訳。これは、通訳のための時間が設けられており楽でした。しかし、一区切りで止めてくれず、10分近くお話されたあとに通訳するということがしばし。数日の通訳で一冊のノートを完全に使い切りました。
2月、3月のフィリピンでは、通訳者であると同時にファシリテーターでもあったので表に出ることが多く、予想外に目立ってしまいました。そのためか、学生さんたちから通訳のコツがあるのか、どうやっているのか等々聞かれました。私は、プロの通訳さんとして訓練されたわけではない+海外で生活していると自然と英語が伸びるわけではない(とくに私の生活する場所は非英語圏です)、と前置きしながら普段意識的に行っていることは以下。
ただ、ニュースは聴きやすいので、実際英語で行われているレクチャーに出席し、通訳者になった気分でノートを取るなどの訓練もします。生の英語とテレビを通じての英語は異なります。
また、ベルファストの会議の前は、地元の人のコメントが多く含まれるドキュメンタリーを見ながら、イントネーションに慣らすようにしました(ドキュメンタリー英語なのに字幕が入ることも。)。通訳する側としては、もうアクセントが強すぎてしんどかったですが、慣れてくるとその独特の喋り方に魅力を感じます。かなり、かわいい♡、などと思っていました。実は、シングリッシュもかなり好きです。フィリピンでは、フィリピン的な英語発音をするのも、そうした発音の仕方が個人的に好きだからです。
*これは、毎日しているエクササイズではありませんが、通訳をしてくださいと言われたときにあわててやり始めるエクササイズです(笑)。
3.書く 英語→日本語、日本語→英語の出力を早くするため、とにかく文章を組むことに慣れること。そのためにブログや日記を書きます。このブログも、頭の中を整理するため、そして入力する情報を絞り込むために書いています。
通訳とは、本当に言語のプロで、英語を高度に理解できるだけでは務まらず、日本語で自然な文章が組めることが必要になります。そのため、自分の構成する文章を(書くなどの行為を通じて)客観的にみる必要があると思います。
ただ、今は英語で書くことをお休みしているので、再開させないといけないと思っている今日この頃です。
現地の人が何気なく言う一言が実は文化的・政治的な意味を持っていることもただあり、部外者には一見わからないこともしばし。なので、そこに繊細になるには事前学習が本当に必要。さらに言えば、通訳・どうのというよりも、個人的にはその国の文化が分かっていると面白い。
例えば、話のクッションとなる冗談などもそう。ベルファストのタクシーの運転手さんのジョーク。「なんとか平和になったから、人殺しなんかしなくてよくなって、オレはしがないタクシードライバーさ。本当によかったぜ。」(人の生死を扱ったあまり健康的ではないジョークでしたが、これがこの町を数十年にわたり苦しめたことなのだと理解しました。)私は苦笑しながらもツッコミを入れたこの冗談もアメリカ人の乗客は顔をしかめたと言います(つまり、このタクシードライバーは同じジョークを使いまわしている様子。)。大学院時代、イギリス人の教授がおり、「ヨーロッパはヒュドラー(ギリシャ神話に出てくる頭が沢山ある怪物)みたいなもの」と自らのジョークにシニカルに笑っていたことを思い出します。彼のジョークを理解したものは教室にはいませんでした。
私の活動地フィリピンでもぎゃははと笑える冗談の裏に痛烈な皮肉が込められていることがしばしあります。意味がわかると、笑えないこともしばしば。
例:ベルファストでの会議に先立ち調べた北アイルランドの紛争の背景
通訳をしているとき、特に音響の悪い場所、体育館などのホールで音がクリアに聞こえないところは、体中を耳にしています。「聞こえねぇよ」と心の中で呟きながら、イライラ絶頂で三白眼になっていたりする時も(そんな私をみたら、あたたかく見守ってやってください)。
通訳をさせていただくたびに、英語の壁にぶち当たります。フィリピン人の旦那、かなりの書き手にも関わらず(学術本を英語で出版しているものの)、「自分はまだまだだ」というのは、謙遜でもなんでもないのだと改めて感じます。
著者の場合は、素晴らしいプロの通訳者を目指しているのではなく、大学にあっては質の高い講義を行い、よい指導を与えられる教員であり、研究者としては正確に研究成果を発表できることであり、NGOワーカーとしては限られた時間で正確な報告書を書くための高度な語学力が必要ということで、恐らく通訳者の方との訓練とはことなるかもしれませんが、高度な英語力を必要とすると言う点では共通する点がかなり多いのだと思います。
書き、人前で話し始めると、自らの脳と出力が直結しないこの苛立ちを感じます。何でできないんだーと自分に怒ります。苛立ちや不具合を感じた時がチャンス、改めて英語(そして日本語)に真剣に向かい合わねばと思った次第です。
2月、3月のフィリピンでは、通訳者であると同時にファシリテーターでもあったので表に出ることが多く、予想外に目立ってしまいました。そのためか、学生さんたちから通訳のコツがあるのか、どうやっているのか等々聞かれました。私は、プロの通訳さんとして訓練されたわけではない+海外で生活していると自然と英語が伸びるわけではない(とくに私の生活する場所は非英語圏です)、と前置きしながら普段意識的に行っていることは以下。
1. 英語のニュースを聴いて、頭の中で日本語の文章を組む
英語のニュースを聞いてスピードに慣れるのはもちろん日本語に置き換える。時間がない時には、単語を拾いながら、すぐに出てこなかった単語の意味をチェック、技術的な単語は日本語に置き換えるとどうなるかを考えながら聴く。これをやると、どの単語がどういう文脈で使われているのかを知ることができ、分かってない単語を意識することができます。ただ、ニュースは聴きやすいので、実際英語で行われているレクチャーに出席し、通訳者になった気分でノートを取るなどの訓練もします。生の英語とテレビを通じての英語は異なります。
また、ベルファストの会議の前は、地元の人のコメントが多く含まれるドキュメンタリーを見ながら、イントネーションに慣らすようにしました(ドキュメンタリー英語なのに字幕が入ることも。)。通訳する側としては、もうアクセントが強すぎてしんどかったですが、慣れてくるとその独特の喋り方に魅力を感じます。かなり、かわいい♡、などと思っていました。実は、シングリッシュもかなり好きです。フィリピンでは、フィリピン的な英語発音をするのも、そうした発音の仕方が個人的に好きだからです。
*これは、毎日しているエクササイズではありませんが、通訳をしてくださいと言われたときにあわててやり始めるエクササイズです(笑)。
2. 単語を増やすための読書
ただ、問題は分かっていない単語は聞けていないことが多いので、これは英語の読み物を読んで、学者や英語を母語とするメディアが使う独特の表現に目で慣れることも必要になります。なので、図書館に時々足を運んで、エコノミスト(購読すると高い!)やTIMEなどを読みます。読んで、分からない単語をチェック。チェックしたからといってすぐに覚えるわけではありませんが、何度も繰り返しながら頭に刷り込んでいきます。エコノミスト |
3.書く 英語→日本語、日本語→英語の出力を早くするため、とにかく文章を組むことに慣れること。そのためにブログや日記を書きます。このブログも、頭の中を整理するため、そして入力する情報を絞り込むために書いています。
通訳とは、本当に言語のプロで、英語を高度に理解できるだけでは務まらず、日本語で自然な文章が組めることが必要になります。そのため、自分の構成する文章を(書くなどの行為を通じて)客観的にみる必要があると思います。
ただ、今は英語で書くことをお休みしているので、再開させないといけないと思っている今日この頃です。
4. 文化・政治などの文脈を知る
現地の人が何気なく言う一言が実は文化的・政治的な意味を持っていることもただあり、部外者には一見わからないこともしばし。なので、そこに繊細になるには事前学習が本当に必要。さらに言えば、通訳・どうのというよりも、個人的にはその国の文化が分かっていると面白い。例えば、話のクッションとなる冗談などもそう。ベルファストのタクシーの運転手さんのジョーク。「なんとか平和になったから、人殺しなんかしなくてよくなって、オレはしがないタクシードライバーさ。本当によかったぜ。」(人の生死を扱ったあまり健康的ではないジョークでしたが、これがこの町を数十年にわたり苦しめたことなのだと理解しました。)私は苦笑しながらもツッコミを入れたこの冗談もアメリカ人の乗客は顔をしかめたと言います(つまり、このタクシードライバーは同じジョークを使いまわしている様子。)。大学院時代、イギリス人の教授がおり、「ヨーロッパはヒュドラー(ギリシャ神話に出てくる頭が沢山ある怪物)みたいなもの」と自らのジョークにシニカルに笑っていたことを思い出します。彼のジョークを理解したものは教室にはいませんでした。
私の活動地フィリピンでもぎゃははと笑える冗談の裏に痛烈な皮肉が込められていることがしばしあります。意味がわかると、笑えないこともしばしば。
例:ベルファストでの会議に先立ち調べた北アイルランドの紛争の背景
5. メモのスタイル
いかなる形の通訳であってもメモは必要。人が言った年代、値段、人数、など数にまつわることは絶対ノートに書きます。ただ、どのように取るのかは技術が必要。文章そのままを書けませんので、記号や矢印を駆使したり、重要でポイントとなる単語を書きます。他の人が理解できなくても、私が理解できればよいのです。通訳をしているとき、特に音響の悪い場所、体育館などのホールで音がクリアに聞こえないところは、体中を耳にしています。「聞こえねぇよ」と心の中で呟きながら、イライラ絶頂で三白眼になっていたりする時も(そんな私をみたら、あたたかく見守ってやってください)。
通訳をさせていただくたびに、英語の壁にぶち当たります。フィリピン人の旦那、かなりの書き手にも関わらず(学術本を英語で出版しているものの)、「自分はまだまだだ」というのは、謙遜でもなんでもないのだと改めて感じます。
著者の場合は、素晴らしいプロの通訳者を目指しているのではなく、大学にあっては質の高い講義を行い、よい指導を与えられる教員であり、研究者としては正確に研究成果を発表できることであり、NGOワーカーとしては限られた時間で正確な報告書を書くための高度な語学力が必要ということで、恐らく通訳者の方との訓練とはことなるかもしれませんが、高度な英語力を必要とすると言う点では共通する点がかなり多いのだと思います。
書き、人前で話し始めると、自らの脳と出力が直結しないこの苛立ちを感じます。何でできないんだーと自分に怒ります。苛立ちや不具合を感じた時がチャンス、改めて英語(そして日本語)に真剣に向かい合わねばと思った次第です。
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