よくしゃべる男たち、天罰と災害への解釈-フィリピン入国管理局にて

「神様が愛であるならば、なぜ今回のような災害が起こり、多くの人が亡くなるのか・・・」、昨日入国管理局でビザの更新の手続きを待つ間、饒舌に語るアフリカ系アメリカ人2人に捕まり、待ち時間彼らの主張を聞くこととなった。

彼らの話の骨子は人間、特に宗教を持てる人間の欺瞞であり、われわれ人間はその中に捉えられているという。

モーゼの十戒のイメージ図 http://isuzuya.up.n.seesaa.net/isuzuya/image/20110604_587068.jpg?d=a1
今回の台風の被害について、旧約聖書の話、アダムとイブの話から、モーゼの十戒、バビロン、ソドム・ゴモラ・・・などを持ち出し独自の意見を披露。欺瞞に満ちた人間への警鐘だと語る・・・おまけに、入管に同じようにしてビザの発給を待つ人々を指差し、また自らも批判の対象にしつつ語るのだから驚きだ。

「あそこに立っているカップル、あれが本当に愛だと思うかい?女は金だよ金、金目当て・・・」前方に並ぶカップルは、若いフィリピン人女性と白人で年配さらに歩行が困難なためか、歩行補助の器具を使い歩いている姿が見える。「じゃなきゃ、あんな爺さんとくっつかないよ」
本当に愛し合っているのかどうか?著者にはわからない。しかし、彼らの批判は止まらない。

自らのごっつい身体にぴったりのかなり太めの金のネックレス、指輪、iphoneを指差し、「オレは特定の宗教なんて属さない。もし属していたら、このネックレスだって食べられない人のために寄付すべきだと思うから、けどオレは出来ないからしない、そしてどの宗教にも属さない・・・」と。

2人そろってまくし立てるように話すので疲れてしまったところで、ようやく著者の順番が巡ってきてホッとした。さすがにくたびれたというのが本音(笑)

彼らの話、特に災害と天罰に関してはとても賛同しかねる。特に、入国管理局に行った同日に台風の被害が激しいレイテ島に家族を探しに行った友人に会い、、現地の惨状を聞いて事の他そう思った。そして、彼らの話から何もしないことへの言い訳にも聞こえた。ただ、彼らはフィリピンに一時滞在する外国人に過ぎず、彼らが何かをするということを期待すべきではないのかもしれない。

厳密にモーゼの十戒をあてはめ、それら原則から咎めを受けない者が果たしてどれだけいるのか?それらを完璧に実践することが出来ないからといって開き直るよりも、足りないながらも努力を重ねる方がよいのではというのが私が思ったこと。

しかし、彼らの意見にも一理あり。特にここフィリピンではカトリックの文化の浸透により、「許し」の文化がある。例えば、汚職政治家も選挙を行えばまた当選してしまうということもしばしば。勿論、選挙システムにもよるのだが、清濁併呑な様子を部外者として感じてしまう。

間違っていることへの感度、「正義」に関する感性を失ってはならないのと同時に「愛」を併せ持つこと、そのバランスの難しさを思い知ったのでした。そういう意味では゛おしゃべりな男たち゛との会話は無駄ではなかったか?

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