コミュニティFMの収録-学生さん・若者に何が出来るのか(2)

ラジオの収録で、短・中・長期にわたり、今回の台風支援に対して何が出来るかということを僭越ながらお話しました。私たち外国人が参与出来るものもそうですが、現地の政府、市民社会も合わせてのイニシアチブなど網羅しきれないので、ざっくりお話をさせていただきました。

短期的支援
国内外では寄付、寄贈、また国内ではボランティア活動。日本も含め国内外から特に専門職の人が多くフィリピンで活動しています。日本の医療団派遣、自衛隊も活動しています。勿論日本だけではなく、諸外国や国内外のNGOが活動しています。


寄付は現地で物資を購入できるため大変ありがたいわけで、台風から数週間過ぎた今も現地で活動するNGOなどへの寄付が続いています。

一例として、私の旦那は誕生日にお祝いしてくれる代わりに寄付をお願いしますといい、アルバ・インドネシア・スペイン・ドイツ・アメリカなどの友人から寄付を受け、現地のカトリック系の団体に寄付しています。他の友人も同じく、誕生日にお祝いを準備するお金を寄付に充てると表明、クリスマスも質素に行う代わりの寄付を他の人たちにも呼び掛けています。

寄贈ですが、ショピングモールや駅などに寄付物品を集める場所があります。ボトルの水、保存が可能な食料、毛布などが積まれています。また、クリスマスが近いこともあり、子ども用のおもちゃも寄贈かのうなのだとか。

<現地のボランティア活動の一つはこんな様子>

中長期的支援
インタビューの数日前だったと思いますが、政府が包括的復興案というのを策定しました。

これが意味するところは支援が復興・生活再建に徐々にシフトしてきつつあることです。もちろん、現地の緊急支援は必要ないのか?ベーシックニーズは全て満たされているのかというとそういう意味ではありませんが、人々の生活を再建していく動きは絶対必要なわけです。各省庁が復興計画をまとめます。

また、復興には莫大なお金が必要ですが、政府予算の未執行分を充て、その中には台風の前にフィリピンを賑わせていた、ポークバレル(優先開発助成金)が違憲となったので、その未執行分も含まれているといいます。

災害に強い街づくりは大切。残念ながら、フィリピンは時々大きな台風に見舞われます。近年その頻度が高まっています。各地方自治体と中央政府の災害時の連携方法から、建物も特に避難場所に指定される場所を丈夫に作るなどが必要になってきます。また、雇用を創出するプロジェクトの立案と実施も勿論含まれます。

環境への視座
環境は複雑で、これをやったからこのような結果が出たと、一筋縄ではいかない難しさがあり、今回の台風も一部では温暖化によって引き起こされたという声と、そう断定するのは時期尚早と言われる声もあり、どちらの意見にも納得します。しかし、科学的検証を待っていてもしょうがない。これを機に、環境によいことを何か始めるということもありだと思います。

とはいうものの、環境などは上記のごとく複雑な成り立ち。素人が何かをしても効果がないのではと思われがちで、実際そういう側面もあると思います。
割りばしが環境に悪いからと、マイ箸を持っていたが、とある人は割り箸は間伐材を使っているからよいのだといい、マイ買い物袋を使うけど結局スパーでは大量にビニールが使われいて、自分の行動が大河の一滴のように思われたり・・・何をしても無駄と思われていると思います。

今回の台風から、こちらで活動するNGOの一日30分の完全消灯と瞑想に参加しています。私が30分この国で電気を使わなかったからと言ってどれだけの効果があるのでしょうか。環境へのインパクトは少ないと思います。しかし、参加を表明したのは、エネルギーを消費する活動を一時でも意識して止める中に何か見えるのではと思ったためです。

母なる大地?
しかし、それでもまだ不十分に思えます。なぜなら意識は「頭」の活動。理性によって命じているから。理論理屈の大切さは論じて余るところがありますが、気持ちが付いていっているのか?ということが、疑問です。心から実感として大切と思えないものをどうやって守っていくのか。

私の年齢の故に同年代の子どもを持つお母さんたちと話をします。お母さんたち、万国共通に子どもたちの健康、安全、将来を気にかけ、彼らが自立するまでサポートを続けます。それは責任感ともいえるが理屈抜きで、子育てやっています。

自然とあまり交わらない特に都会に住む人間にいくら環境問題と訴えても、実感が薄いと思います。そのためまず自然と関わることが遠回りながらも環境問題に真剣に取り組み、身近に感じる入り口なのだと思いました。近年始めたスキューバダイビング、先日までのミンダナオ滞在が時に暴力的ながらも神々しい自然を感じさせてくれました。

スキューバもしなければ、森の奥に分け入って生活する機会も時間もないという人もいると思います。そういう場合は、近所の公園を時間をかけてゆっくり歩いてみるというのもいいと思います。私も、マニラの汚れた空気から完全には逃げられないものの、近所の大学構内をゆっくり歩いたりします。本当は裸足がいいですが、何が落ちているのかわからないので危ないので出来ませんが・・・私の父は本人いわく年をとって土いじりが好きになったと言います。土いじりは年長者の特権ではないので、何か自分の手で育てて自然の営みを感じるなどもよいと感じます。

そうして、自然に触れることを生活の一部に取り入れながら、あるときひょっとしたら、この美しい自然を保ち続けたいという思い、あるいは「母なる大地よ!」という実感が湧いてくるかも知れません。そう言って、いきなり地面に抱きつくのはかなり危ない人ですが、頭から入らず心から環境問題について入っていったらもっと息が長く、包括的な活動になるのではと思った次第です。











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