コミュニティFMであり、大学生によるラジオ番組「大学生が防災ラジオはじめました(http://bousairadio.net/index.html)」収録の依頼を受け、フィリピンの台風というホットな情報をレポートするということを二つ返事で了解してしまいました・・・(汗)skypeを通じての出演は、顔が見えなくて難しく、何ともしゃべりまくってしまったようで(汗)申し訳ない限りです。そして口は災いの元、余計なことを言ったのではないかと反省しているところです。何より、久々のぶっつづけで話す日本語。リハビリ期間を経るべきでありました。
ラジオ収録の反省から入りましたが、非常に関心が高いトピックであることを感じました。特に、何かをしたいと現地の惨状をみて心動かされた人は多かったと思います。感情的レスポンス・・・「感情的」という言葉を使うと何だかネガティブに感じる人もいると思いますが、自然な反応だと私自身も思いますし、それを今後も引き続いて行われる復興支援まで、リスナーの方に引き続き意識をしてほしいと思った次第です。
ラジオの中で関心事項は、現状についてですが、それとプラスして学生さんに何ができるのか。何分、学生さんがラジオのパーソナリティを務めていますので、それはカバーしないといけないと思い、収録の前にわたしが活動する団体の代表やボランティアさんたちにも聞いてみました。
外国人である日本からの学生さんに何が出来るのか。
そう質問すると、現地の学生・社会人の人たちがやってるような活動メニューを紹介してきました。あわてて、日本の学生はフィリピンの学生と異なり英語がそれほど自由に話せない子もいるだろうし、違う支援の方法があると思いますよと付け足しましたが、「寄付も有難いけど、来てくれる気持ちは嬉しい」と。来てくれる時の現地のニーズに合わせて調整出来るのではないかという話になりました。
被災地にボランティアを送るぐらいであれば、その費用を寄付として回すべきという考えがあり、私もその考えにある種賛同します。具体的に何が出来るか、その一点のみを見つめたら否定・批判的論調に留まってしまいます。しかし学生であるが故にできる、あるいは若いからこそやれることがあるのではと思うわけです。
フィリピンではよく「Nation building:国作り」という文脈で若者の参画が議論されます。Nation buildingは、国家の構造を作っていくそのプロセスの途上として意識され、国家としての歴史の編纂、アイデンティティ、独立を意味しています。元々は独立したばかりの新興国の中でこの言葉が使われてきたのですが、実際の独立を既に果たししばらくたつフィリピンでこの言葉が使われるのは、この国が負った歴史の故ではないかと思うわけです。
なので、若者のボランティア活動で、スキルもなくて迷惑になるだけ・・・何ていう声は少なくても私の周辺からは聞いたことがありません。時に意地悪にもワカモノをボランティアで連れて行ってもスキルもないし、足手まといになるんじゃないの?と違う意見が聞けるのではないかと、質問してみるわけですが、まず彼らに経験させることが大切、何もしないよりはした方がよいと切り返されます。
若者の人口比が高いこともそうですが、何より彼らを育てようとする意気込みを感じます。その現れとして、バランガイという行政の最小単位でも若者の役職がありますし、National Youth Commissionなる政府組織も存在して、若者の参画を構造の中にも入れて積極的に後押しをしています。彼らのウェブサイトを見ると国家機構というハードの側面もそうですが、 社会体制の移行や国民意識の形成などソフトの側面に重点を置く、国作りに若者の力が必要で、それを促進する機関のようです。
具体的には、調査、方針設定、提言、プロジェクトや活動のモニタリング、評価、ネットワーキング
、資源動員、ネットワーキング、パートナーシップの構築、ソーシャルマーケティング、広報、メディア
教育、トレーニング、制度の構築などをしているようです。以前、インタビュー番組に出演した際に、その団体のトップである男性に会ったことがありますが、その団体の活動も積極的にアピールしていたのが印象に残ります。
若者にチャンスを与え、育て、そして国の活力にしていく取り組み。人口に含める若者の構成比が少ない日本なので政治的関心が低くなりやすいのですが、取り組まなければならないことだと感じます。
〈続く〉
ラジオ収録の反省から入りましたが、非常に関心が高いトピックであることを感じました。特に、何かをしたいと現地の惨状をみて心動かされた人は多かったと思います。感情的レスポンス・・・「感情的」という言葉を使うと何だかネガティブに感じる人もいると思いますが、自然な反応だと私自身も思いますし、それを今後も引き続いて行われる復興支援まで、リスナーの方に引き続き意識をしてほしいと思った次第です。
ラジオの中で関心事項は、現状についてですが、それとプラスして学生さんに何ができるのか。何分、学生さんがラジオのパーソナリティを務めていますので、それはカバーしないといけないと思い、収録の前にわたしが活動する団体の代表やボランティアさんたちにも聞いてみました。
外国人である日本からの学生さんに何が出来るのか。
そう質問すると、現地の学生・社会人の人たちがやってるような活動メニューを紹介してきました。あわてて、日本の学生はフィリピンの学生と異なり英語がそれほど自由に話せない子もいるだろうし、違う支援の方法があると思いますよと付け足しましたが、「寄付も有難いけど、来てくれる気持ちは嬉しい」と。来てくれる時の現地のニーズに合わせて調整出来るのではないかという話になりました。
被災地にボランティアを送るぐらいであれば、その費用を寄付として回すべきという考えがあり、私もその考えにある種賛同します。具体的に何が出来るか、その一点のみを見つめたら否定・批判的論調に留まってしまいます。しかし学生であるが故にできる、あるいは若いからこそやれることがあるのではと思うわけです。
フィリピンではよく「Nation building:国作り」という文脈で若者の参画が議論されます。Nation buildingは、国家の構造を作っていくそのプロセスの途上として意識され、国家としての歴史の編纂、アイデンティティ、独立を意味しています。元々は独立したばかりの新興国の中でこの言葉が使われてきたのですが、実際の独立を既に果たししばらくたつフィリピンでこの言葉が使われるのは、この国が負った歴史の故ではないかと思うわけです。
なので、若者のボランティア活動で、スキルもなくて迷惑になるだけ・・・何ていう声は少なくても私の周辺からは聞いたことがありません。時に意地悪にもワカモノをボランティアで連れて行ってもスキルもないし、足手まといになるんじゃないの?と違う意見が聞けるのではないかと、質問してみるわけですが、まず彼らに経験させることが大切、何もしないよりはした方がよいと切り返されます。
若者の人口比が高いこともそうですが、何より彼らを育てようとする意気込みを感じます。その現れとして、バランガイという行政の最小単位でも若者の役職がありますし、National Youth Commissionなる政府組織も存在して、若者の参画を構造の中にも入れて積極的に後押しをしています。彼らのウェブサイトを見ると国家機構というハードの側面もそうですが、 社会体制の移行や国民意識の形成などソフトの側面に重点を置く、国作りに若者の力が必要で、それを促進する機関のようです。
具体的には、調査、方針設定、提言、プロジェクトや活動のモニタリング、評価、ネットワーキング
、資源動員、ネットワーキング、パートナーシップの構築、ソーシャルマーケティング、広報、メディア
教育、トレーニング、制度の構築などをしているようです。以前、インタビュー番組に出演した際に、その団体のトップである男性に会ったことがありますが、その団体の活動も積極的にアピールしていたのが印象に残ります。
若者にチャンスを与え、育て、そして国の活力にしていく取り組み。人口に含める若者の構成比が少ない日本なので政治的関心が低くなりやすいのですが、取り組まなければならないことだと感じます。
〈続く〉
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