[映画]ベルファスト71ー通りの向こうが戦場だった、北アイルランド紛争

これは殺人ではない!戦争なんだ。映画「ベルファスト71」
2019年4月18日、北アイルランド第二の都市ロンドンデリーで起きた暴動を取材中、ジャーナリストのリラ・マキ-(Lyra McKee)さん(29)が銃で撃たれ亡くなりました。暴動現場で撮影された動画では、覆面姿の犯人が警察や群衆に向かって発砲している様子が捉えられており、新IRAはマキーさん殺害の責任を認めました。新IRAは2012年、複数の共和派(アイルランドとの統一を求める)反体制組織が統合し発足され、反体制派としては最大規模です。

北アイルランド紛争は、1998年4月に和平合意がなされました。この合意により、北アイルランド自治政府の発足と議会の設置され、親英派と共和派が協力することとなりましたが、反体制派の活動は現在も続いています。どの紛争も同じく、当事者、コミュニティの真の和解には時間がかかり、和平合意がなされた後もまた再び暴力的な紛争となることもあります。

ベルファスト、ゲート
ベルファストにある双方の行き来をコントロールするゲート
まだ、取り払われず残っています
この紛争、「トラブルズ(厄介事)」やその背景は映画化されています。有名なものは「[映画] 麦の穂をゆらす風(2006年)」「父の祈りを(1993年)」ですが、映画「ベルファスト71(2015年)」は特にその厄介事、一連の暴力を伴う暴動が激化した時期を対象に制作された、サスペンス、スリラー。

あらすじ

1971年、紛争が激化している北アイルランドのベルファストに、イギリス軍の新兵ゲイリーが着任。新教側と敵対するカトリックによって分断されていました。ゲイリーは、パトロールの最中に、暴動に巻き込まれ、味方の武器を盗んだ泥棒を追うため、群集の中に飛び込んだが「敵」の領土内に一人残されてしまうことに。



映画は、そのゲイリーが一人残され、怪我を負いながらも必死に生き延びようとする、一晩を描いています。共和派と英国軍側双方が暴力的、共和派の狭まった視野、その共和派すら利用しようとする英国側の狡猾さ、ためらいの無い殺害、人間の怖さに息が詰まりそうになります。

ちなみに、時々彼らの会話が聞き取れない・・・英語の映画なのに、英語の字幕がほしいと思ったりました。ちなみに2017年、ベルファストで行われた国際会議に発表者・通訳として参加したのですが、通訳に苦戦したことを思い出しました。

この映画はフィクション

この映画はフィクションのゆえ、一晩に様々なことが起こっておりますが、見る人によってはとてもリアルに見えます。映画では共和派に共鳴し、暴力的抗争の渦中に身を置く若者が描かれていますが、しかし皆が一様に共感・共鳴しているわけではないため、一般市民は息をひそめるように生活している様子もとてもリアルです。

Youtube 動画「A look back to Northern Ireland in 1971」
https://www.youtube.com/watch?v=d6qWxIQLtLo

映画の舞台となったベルファストの今

ブログ「[北アイルランド] ベルファスト:平和の名のもとの分断ー平和の壁(1)」の通り、ベルファストにはまだ、カトリック教徒が生活する地域と新教徒が生活する地域が隔てられております。「平和の壁」という名称ながらも、異なるグループの人々を隔てているため、「分断壁」であると批判する人もいるのが事実です。現在そのような分断壁は41箇所ほど存在しています。

分断は特に労働者階級で顕著で、労働者階級の子弟はそれぞれのグループの所属する学校に通っています。また、上記のような分断壁は過去作られたものですが、現在その長さは延長されたり、新規に作られているそうです。

また、毎年7月には新教徒側で1690年にカトリックに勝利したことを大かがり火で祝い、そのかかり火でアイルランドの国旗も燃やしています。また、壁や家屋には両サイドの英雄とされる人物の壁画が残されています。

一方、少しずつですが様々なグループが双方の和解のための場を設け、壁の壁画も分断よりも友好を描くアーティストもあらわれ活動しています。紛争の解決に時間はかかるでしょうが、少しづつ真の和解に近づくことを願うばかりです。

北アイルランドへGO

北アイルランドは、世界遺産の「ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸」を有し、厳しくも美しい風景があり、タイタニック博物館等の近年出来た観光名所もあります。それらを観光しながら、紛争について学べる、フリーデリー博物館(Museum of Free Derry)等も是非おとずれてみてください。

北アイルランド紛争とは、北アイルランドの少数派であるカトリック系住民の差別撤廃を目指す公民権運動が、1968年10月プロテスタント系住民と衝突して以来尖鋭化して起こった一連の事件とされますが、背景は根深く16世紀にイギリスがカトリックからイングランド国教会への転向した時代にまで遡ります。ブログ「[北アイルランド] 北アイルランドの紛争を知るために(1)ちょっとだけ、アイルランドの紛争の背景のおさらい 

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