「怒り」とどう付き合うか?-お怒りメールで考えたこと

昨日、Aさんから、オランダ語で相当失礼な言葉が書かれたメールを受け取りました。どれぐらい無礼かというと、「そんな人とは友達やめたほうがいい」というレベルのもの。

事情はともかく、相当怒っていることが伺え、そしてその怒りの矛先が著者でした。

Aさんはいつも何かと怒り散らすタイプなので、「また?」という感じでありつつ、気分を害したことには素直に謝罪するも、書かれているメッセージが今回はあまりに失礼なものだったので、明確に一つ一つ著者の考えを記したメールを返信しました。

Aさんはもとより著者も含め、多くの場合「怒り」とは日常的なものであり、医学的に怒りは人間に備わった本能的なものといわれます。アドレナリンとノドルアドレナリンが大量に分泌され、血流を増やし、全身の細胞の活動に必要な酸素とブドウ糖を供給し、心身の活動のピークの状態とし、身体のコンディションを”戦い”に備えます。自己を防衛する力もそこから生まれます。更には「怒りの力」を活用として、物事に取り組む力を得ることも。市民活動に関わる人は少なからず、何かしらに怒っています。

「怒り」は悪いことではありません。怒りが生じる時、その原因を考えることで様々な問題に気付かされます。しかし、それが暴力的に発現し、多くの人を巻き込んだ”災害”となり、人間関係の修復が難しくなってしまうことが問題です。なのでそれとどう付き合うのかを考える必要があるのではないかと思います。

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ぱくたそ、写真(c)とむ

なぜそんなにもAさんは怒っていたのか?

つい先日、とあるイベントの懇親会でのこと。Aさんは某組織のBさんに○月○日のイベントへの招待状を送ったが返事がないけど、どうしたのか?と聞いていました。

BさんはAさんの送付した招待状のあて名に誤りがあったと指摘するも、口調はソフト。しかし、Aさんが少々過剰なリアクションをし、そのBさんに謝罪している姿が見て取れました。

ちなみに対話の場に著者はおりませんでしたが、Aさんの声が大きいため、著者は彼らから離れているものの会話の内容はクリアーに聞こえました。

その後すぐ、Aさんの顔は硬直、著者のところに来て「(ウェブサイトを確認しているのに)あて名の誤りがあったのよ、信じられない!」。「Bさんは私を避けているわ!」とまだBさんが近くに居る所で話し始めます。

他にも、その会場にいる人には少々失礼にあたることをこれもまた大きな声で話します。Aさんの場所を考えない態度にあきれ、驚きました。

そんな著者の少々あきれた反応などは気にせず、Aさんは著者にBさんの名刺をもらってきてほしいなどとせっつきます。著者は、拒否。

そして、その翌日、著者を批判するとても失礼なメールを受け取ることになります。

「怒り」との付き合い方?

「現代における怒りは、自分の価値が脅かされる時、生きづらさを避けるために発動する傾向が強いんです」
AERA 2017年9月11日号 21ページ

日常的にいろいろな怒りを感じます。そして、それらを感じることは自然なこと。しかし、Aさんのようにしかも回復不可能な人間関係の傷を残すような形で知人・友人にぶつける、ということは、怒りをぶつけられた方ももとより、ぶつけた方が結果として大きな痛手を追うことになります。なぜなら、自己防衛のメカニズムが働き、「自分は悪くない」とよりかたくなになるなど、他の人間関係にマイナスの影響を与えてしまうこともあります。また、解消の仕方を知らないと積もり積もって「恨み」になり、もっと対処に厄介なものとなります。

怒りとどう付き合っていくのがよいのか?考えてみました。

「事実」か「解釈」か

頭にくるとカーッとなって、自分(の立場やプライドなど)を守るため様々な言い訳をひねりだします。しかし、一呼吸して何が「事実」で何が「解釈」、つまり自分の怒りを正当化するための言い訳かを冷静に見分けないといけないと思っています。

Aさんの解釈
1. BさんがAさんを避けて、無視した
2. 著者もAさんを無視した
3. (著者が助けなかったので)Aさんは恥をかいた(と感じた)

事実
1. 招待状のあて名の間違いがあり、それが会話によって明らかになった
2. AさんがBさんに無視されたと思い、Bさんに聞こえるほどの声で「無視された」と騒いだ(他にも、会場にいる人たちに対して失礼にあたることを大きな声で話していた)
3. 著者はAさんがBさんの団体宛てにイベントの招待状を送ったことを知らなかった
4. 著者がAさんの依頼を拒絶した(忙しいBさんを引きとめるより、改めてお詫びの言葉と同時に招待状を送付したほうがスマートだと判断したため)
5. Aさんが気分を害した

自己肯定

自己肯定とは「自分が全て正しい」という意味ではなく、そうした感情をもつ自分であることを認めること。
上記のような例では、Aさんが自分が怒っているという感情を一息おいて認識するよりも先に、怒りにまかせて、それを爆発させていました。

笑い

どうにもならない怒りがただありますが、健全な笑いが怒りの処方箋となることも。怒りながら、笑えない・・・と思われますが、頭にきている相手の行動をコントロールしたり、相手の感情を変えること、時に現状が変わるのに時間がかかることも。怒りのパターン、サイクルを絶つことも。

上記の場合、宛名を間違えたのは致命的で、Aさんは大いに反省すべきですが、やらかしてしまったものはしょうがない、「私って本当に○ホ」ぐらいに笑って、次に向けて切りかえるぐらいの気持ちが必要なのでは?と思います。

健全かつ現実的な想像力

更に著者は、相手を感情のままに判断して、怒り狂うよりもまず、想像力が必要かと思います。怒りに対象となる相手がいる場合は、まず理解すること。
上記の場合、そっけないように見えたBさんの行動は、Bさんの立場上、いろんな人と話さねばならなかったから、Aさんとの話を早々に切り上げたと考えられます。

愛のない言葉で、ばっさり言ってしまえば、Aさんは「無駄に」他人に挑戦し、自分の怒りと感情がさめるまでいい込める、ちょっとこじれすぎちゃった大人。

Aさんの助けにならなかったことには素直に詫びましたが、その後もかなりいやーみなメールを送ってくるので、少々疲れました。けど、これによってある種、「怒り」というものとどう向き合うのか、改めて考えさせられました。実際、Aさんのかなり失礼で嫌みたっぷりのメールにかなり頭にきた自分もいます。

日々平穏に送ろうと心掛けているので、こうやって気持ちが揺さぶられるというのは悪くはないと思っています。著者もある種本当にいろいろと考えさせられました。まず、著者がAさんの立場であったらどうするか?著者を責めても解決しないと思えるだろうか?状況にいらついて、冷静に物事を見られるだろうか?等々も含めてです。

いずれにしても、いろんなきっかけを与えてくれたAさん、ありがとう。しかし、暫くはすいませんが、距離をおかせてください(汗)

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