ヨーロッパからアジアまでの長旅、オランダからフィリピンマニラの家族のもとへ

1991年のピナツボ山の噴火によるハラールが、パンパンガ州の土地をマーブル模様に染めている様子が上空から見え、いよいよフィリピンに近づいた時に遠く離れて久々に故郷の地を踏むフィリピン人乗客たちのあからさまな興奮が会話から見えます。

一応の本帰国です。母国ではないけど、帰国と言う可笑しさがありますが、帰ってきたという感じがします。

オランダの国鉄駅の様子
オランダの国鉄駅の様子
本帰国のための移動は13日午前から始まりました。親切にも旦那の上司の奥さんが車で駅まで送ってくれました。奥さんも研究者の妻として各地を移動しながら、ご自分のキャリアと子育てに奮闘したと話してくれたり、ご自宅のランチに招待してくれたりとお世話になった大変思い出深い人物の一人です。

駅で奥さんと別れたあとは電車で移動。最寄駅から空港までは直通があり、重い荷物を持たずに快適な旅です。その電車の中で気さくで長身のオランダ人の男性に会い、会話に花が咲きました。途中、切符をチェックする国鉄のおばちゃんまで会話に乱入し、プチオランダ語テストが行われ、冷や汗をかき、勉強しない自分のだらけぶりにあきれました。

空港はアムステルダム~ドバイ~アンへレスです。飛行期間は合計14時間ほど、途中ドバイで3時間半ストップオーバーがあります。飛行機では眠れず映画マラソンとテトリス三昧。流石エミレーツ、映画のオプションは多くリモコンもタッチパネルに!

ドバイのストップオーバーでは、旦那はベンチで深い眠りに。その間に搭乗ゲートが変更されたので、ちょっとからかってみようと思い、皆が新しく案内された搭乗ゲートに移動した後に、あわてたふりをして起こし「みんな既に搭乗していて、乗り過ごした」と告げて見ました。旦那が事態を飲み込んで驚いた様をビデオで撮影という何とも悪趣味なことをしてみました(笑)

勿論、乗り遅れることはなくそのあとはスムーズにフィリピンまで移動できました。しかし空港に到着すると空港の未整備ぶりに疲れがどっとでました。チェックインした荷物をとるベルトコンベアが設計上のミスとも言えるような非効率性、そのため人垣ができてそこまでたどり着けず、荷物の受け取りに思わぬほど時間を要しました。また出口が狭い上に人の交通整備がなされていなくて出口で人がつまったり、外に出ればカートを持っているひとが困るような段差・・・地方空港に多くを求めてはいけないけど、国際線の受け入れを考えた時点でもう少し整備すべきでしょうと苦言を呈したくなりました(笑)きっとこれはオランダの社会が整備されているから、その比較で出てくるのでしょう。

ここからはバス、マニラまで2時間、そしてタクシーで1時間。ようやく、義妹の家に到着です。

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