その暗殺された日が1983年8月21日。その日はアキノデー(araw ng kabayanihan ni ninoy aquino)とし、フィリピンの祝日です。kabayanihanはヒロイズムと訳されるので、ニノイアキノ上院議員のヒロイズムを称える日と訳されるのでしょうか。
旧500ペソ紙幣に描かれた、ニノイ |
暗殺までーニノイ・アキノの半生
ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア(Benigno Simeon "Ninoy" Aquino, Jr.)ことニノイの半生は、まさに好奇心旺盛な政治少年でした。17歳、最年少の朝鮮戦争の従軍記者となり、22歳で最年少の町長となり、26歳で最年少で副知事、35歳で最年少で上院議員となり、大統領となるにふさわしい経験を積み、国民からの人気もありました。しかし、政府をひっくり返そうなどとはこのころは考えていなかったようです。
ニノイの変化と政治化
1972年、マルコス大統領が全権を掌握すべく、全土に戒厳令を敷き、反政府側の危険人物とされたニノイは、逮捕・投獄されます。容疑は、政府転覆の陰謀と武器の不法所持、殺人などです。この期間に本を読み、政治家としての思想信条、そしてカトリックの信仰を深めたわけですが、この変容に回りも驚いたようです。1977年には死刑を宣告を受けるもののマルコスは人気のある、アキノ上院議員を殺害するわけにもいかず、そのまま投獄を続行、8年間の投獄の間も牢獄からの政治活動を許可、さらに心臓のバイパス手術を受けることを理由に最終的にはアメリカへの亡命を許します。マルコスにとっては、自らの手を汚すことなくフィリピンからアキノを追い出すことが出来、非常に都合よくことが進みました。
一方で、アキノは亡命生活先のアメリカで反マルコスキャンペーンを展開します。そして83年に3年の亡命生活を終え、84年の選挙参加のためフィリピンに帰国を決めます。帰国時、投獄そして暗殺も予感していたようですが、マスコミのインタビューには「いかなる形であってもフィリピン人同胞の近くにいることが大切」「84年の選挙に向けて、最低8カ月は準備の期間が必要・・・」と理由を述べています。
暗殺
8月13日に亡命先のアメリカからマーシャル・ボニファシオという名前の偽のパスポートを使い、ジョホール、シンガポール、香港、を通過し最終的には台北から中華航空機でマニラに向かいました。機内でも同行したマスコミのインタビューに答え、冗談も言うほど明るかったとアメリカから同行していた親族は言いますが、同時に本人は帰国には「大変な危険が伴う」そして更に、防弾ジョッキを用意しているが「頭を打たれたらおしまい」だと語っており、何らかの危険を予知していました。同行したカメラマンたちが、飛行機がマニラ到着と同時に機内に乗り込んできた、フィリピン国軍兵士によって連れ出される様子を撮影しています。ニノイ自身は、そのまま投獄されると思ったのでしょうか、牢獄生活に必要な生活用品が入っている鞄を持ってくるようにと頼んでいました。しかし、飛行機から出てタラップを下り始めて11秒後、銃声が聞こえ、カメラマンによってタラップの下で倒れているニノイの姿が確認されました。
同行した海外メディアは飛行機の中に足止めをされ、その決定的瞬間をとらえることは出来なかったものの、音声として暗殺の瞬間を記録していました。「必ず何かが起こるから、カメラを回し続けておいてくれ」という言葉が本当になってしまいました。
暗殺後
誰がニノイを殺害したのか。マルコスは、混乱の収拾のために早期の解決を図るべく、共産主義者であるロランド・ガルマンを犯人、使用された凶器は357マグナムと発表しましたが国民はその不足な説明には納得せず、また国際的なプレッシャーのため暗殺から2カ月後にマルコスは、ニノイの暗殺に関する2つの調査委員会を組織、真相の究明にあたりました。
法務省、コラソン・アグラバの調査チームは1年をかけて調査し、163人の目撃証言、400の証拠をもとに2つのレポートを提出したといいます。そのレポートの2つとも、政府の公式見解とは異なりました。
誰が殺したのか?
当時のフィリピン政府の公式見解では、共産主義者が殺害したということになり、この説はいくつかの点で大変疑わしく、そして真相究明のレポートもそれを否定しています。後日政府の公式発表が真実ではないこと、そして実行犯が音声鑑定から明らかになりました。鑑定には音声鑑定の専門家、日本音響研究所所長、鈴木松美氏が関わり、声紋鑑定が行われました。声や音の周波数をグラフにして表現される鑑定法です。声紋のグラフの形は人によって異なるために鑑定で個を識別できるというすごい技術。声紋鑑定前に分かっていたことは、アキノ上院議員がテレビカメラの視界から消えて11秒後に最初の銃声が聞こえたことのみでした。しかし、同氏の分析で、銃の種類と犯人の肉声と会話の内容、現場検証や、ビデオの解析から、階段をエスコートに連れられて降りる11秒の間に事件が起こったこと、と銃弾の軌道です。
1.銃の種類
357マグナムがフィリピン政府の発表でしたが、銃の声紋分析を行うことで、犯行に使用された銃がコルト45口径オートと判明。この銃はフィリピン兵士装備している銃である。
2.実行犯の肉声と会話の内容ー「おれがやる」「撃て」という声
決定的瞬間を収めることができなかったカメラでしたが、カメラが拾った音声から、「おれがやる」「撃て」という声。
ほとんどが飛行機のエンジン音でかき消えていましたが、飛行機のエンジン音のノイズを抑え、それらの声を映像の中から拾うことができました。また、その声紋がアキノ上院議員を飛行機の外に連れ出した兵士のものと一致しました。
ほとんどが飛行機のエンジン音でかき消えていましたが、飛行機のエンジン音のノイズを抑え、それらの声を映像の中から拾うことができました。また、その声紋がアキノ上院議員を飛行機の外に連れ出した兵士のものと一致しました。
3. 11秒の間に事件が起こった!
タラップには19のステップがあり、2人の国軍エスコートに連れられて降りるのには11秒以上の時間が必要であるが、アキノ上院議員がカメラの視界から消えて11秒で銃声が聞こえました。
政府の発表では、タラップを降りたところを犯人によって狙撃されたことになっていましたが、タラップを降りている最中に事件が起こったことがわかります。
4.銃弾の軌道
軌道が、ニノイよりも高い位置、後頭部あたりから入り、銃弾が顎で抜けていること。政府側はこの証拠から証言を変えて、下方から弾丸が入り錐体骨に跳ね返り顎に抜けたと訂正をしていましたが、エキスパートは錐体骨はマグナムの近距離から狙撃による軌道を変えるほど強くはないとしています。そのため、銃はアキノ上院議員の上部から撃たれたものと考えられます。これらの証拠(状況証拠も含めて)は、国軍兵士の強い関与を示しました。
マルコス失脚後の真相究明
マルコスが失脚し、アキノ政権の時代に入ると同時に暗殺に対する真相究明が再び行われるようになりました。そこから、アキノ上院議員暗殺および、ロランド・ガルマンの殺害の罪で当時のセキュリティであった16名の国軍兵士が終身刑を言い渡されました。本当にその16名、暗殺に関与したのでしょうか。近年も歴史エンターテイメント「HISTORYチャンネル」で、特集が作られ、政府の見解と、レポートの再検証、そして事件の経緯を追い、一人の国軍兵士がこの事件に深く関与しているという結論に至りました。
当日のセキュリティの中で明確な役割を持たず、当日の護衛の配置図にはないマルティネスが実行犯と言われ、当人も“遅すぎる”自供をしています。暗殺が起こる2日前、この男はアキノ上院議員の暗殺、そしてその暗殺事件の実行犯として後に報道された共産主義者ガルマンをすぐに殺害する命を受けたといいます。
当日は、国軍のIDカードを用い、空港にガルマンとともに入り、マルティネスはタラップの上でニノイが飛行機から出てくるのを待ち、そしてニノイを撃ち、そのあとにガルマンを撃ったと言います。
同じセキュリティの仲間すら彼が当日空港にいることを知らなかったといいます。つまり、暗殺については当時空港にてセキュリティをしていた兵士たちは何もしらなかったと証言しています。それでも、その場にいた兵士は事件を目撃し、ある種黙秘をしていたことになります。
事件の裏側に居た人物とは誰か?
実行犯は絞り込めましたが、一体だれが彼らに命令を下したのでしょうか?マルティネスは、ダンティン・コファンコ、つまり暗殺されたアキノ上院議員の奥さんアキノ元大統領のいとこだと証言しています。しかし、証拠がなく、またアキノ上院議員の遺族が議員が生前より親しかった親族が命令を下したと言うのは受け入れ難く、その証言を拒否しています。真相は30年たったいまも藪の中。しかし、暗殺後に高揚する民主化の波、革命、暗殺事件がフィリピンに変化を促しました。ニノイアキノは今でもフィリピン人にとっての民主化のイコンでありつつけるのだと思います。今は彼の息子が大統領を勤めています。公約通り、汚職対策に力を入れています。ニノイ上院議員が自らの命を賭しても惜しくはないと言った祖国、徹底的に汚職体質を変えて国を生まれ変わらせる基礎を築いてほしいと思います。
ニノイ上院議員のご冥福をお祈りします。
関連ブログ
「コラソンアキノ前大統領の亡くなられた日を偲んで」関連する英語の記事
[Ninoy in Our Times]
http://chopsueystories.blogspot.nl/search/label/Ninoy%20Aquino
ランキングに参加しています。クリックお願いします。
にほんブログ村
スポンサーリンク
スポンサーリンク
0 件のコメント :
コメントを投稿