社交場を楽しむ

 「脳は異質な人と会うときに最も活性化される」という話をしばし聞きます。脳科学者ではないので、科学的根拠を持たないもののそう感じられることがしばしばあります。日本にいるとこれまでは結構阿吽の呼吸で過ごしてこられたけれども、海外で出会う人たちと話すと話や考え方が時に予期せぬ方向からやってくるので、どこから会話を投げられても返せるようにとするのに日本人と話しているとき以上に意識を使っているように思います。だからと言って、日本人の人とはいい加減に話しているという訳ではないのですが(汗)
 未知との遭遇、とまではいかないものの、世界の広さを思い知らされます。そして、違いを感じ、人との交わりは楽しいものと改めて感じます。


 私は典型的な日本人。何とも話の繋ぎ方と質問がいただけないとしばしば思ったりします。特にワイングラスを片手に立ったまま交わすような軽めの会話は苦手。そこに来ると旦那は、ポンポンジョークを飛ばしながら、時事ネタを盛り込み会話を継いでいきます。同じことはできないと思いつつも会話上手な人を観察していると以下のことがわかります。

 まず、聞き上手、そして基礎知識が豊富で話の引き出しがいくつもある。
 聞き上手になることはあまり難しいことではなく、まさに今日からでもできることだと思います。話を聞いているというウザったくない程度のジェスチャーと相槌、もし相手の話していることがわからなかったらサマリーを言って相手の言ったことを確認する。分野が違うことをはなされたら、この分野について知識がないので、素人でもわかるように説明してくれますか?とお願いする。相手の言うことが人取り理解できたら、少々突っ込んだ質問をしてみるなどすると自らの勉強になり、会話を相手の言うことをひたすら“聞かないといけない”という義務モードから、“もっと聞きたい”という自らの意思モードに切り替わるはず。友人が脳科学の分野の優秀な研究者ですが、その彼女に素人でもわかるように研究内容を説明してもらい、今まで本で読んだり、ドキュメンタリーで観た内容がつながり面白いと思いました。

自他共に認める、議論好きなインド人
話の引き出しを増やすには、基礎の教養が必要だと思います。歴史、哲学、科学、時事ニュースの理解。特にここはヨーロッパ、ヨーロッパ哲学の基礎があると話に厚みが出るのと同時に相手の考え方の枠組み理解の助けになると感じます。特にドイツ人の友人と話をしていると、ドイツ人哲学者の最低名前には触れます。例えば、「僕の故郷はハイデッガーと同じ」。現象学の哲学者で、実存主義哲学にも大いに影響を与えた、ビックネーム。ハイデッガーの故郷は知らなくても、名前から出身地は調べられるはず。

 海外なので会話は勿論英語。先のブログにも書きましたが、英語の苦手分野をそろそろ克服しなければならないと感じます。時に間違える文法、そして発音、文章の構成、正しい単語選択。私は政治家でもビジネスマンでもないので絶対正しい英語を話さないといけないというプレッシャーはありませんが、相手への尊敬も込めてより“正しい”英語を話せるようにならないといけないと思っています。友人同士であれば、問題ないものの、目上の人あるいはそれ相応の立場にある人に話をする際には、話している内容の正確さが求められると感じます。

 海外での社交の場はあまり好きではなく、ややもすると苦手という話をしばしば聞き、納得しますが知識の厚みをつけながら、積極的に社交場に出向いて会話を楽しみたいものです。


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