ジョージアの中のシベリア!極寒の地、ツァルカ(Tsalka)ー出張中の独り言

様々な文化が融合し独特の魅力を持つ、首都のトビリシ、歴史的建造物を残しつつも新しく発展目覚ましい黒海沿岸地区のバトゥミを見ると、このジョージアという国の貧困問題やインフラに関する諸問題は徐々に解消されつつあるように錯覚しますが、地方に行くとやはり貧富の差、都市と地方のギャップを感じます。

開発関係のコンサルタントという仕事柄よく移動をします。一ヶ月で最大陸路を5,000キロぐらいを陸路で移動ということもただあります。スケジュールは短く、忙しく、なんら余分なことをする余裕はありませんが、移動の間いろんなことを目視することができます。そんな出張の独り言です。
ジョージアのツァルカ、Tsalka
ジョージア、クヴェモ・カルトリ地方、ツァルカ

「ジョージアのシベリア」って大げさじゃない?!

ツァルカは首都トビリシから約100キロの地域にある地区行政府です。この場所がユニークであるのは、その自然条件と社会条件。現地の住民たちは口々にこの地を「ジョージアのシベリア」と呼んでいます。

最初は、他の地域との比較を知らない現地の住民たちの大げさな表現かと思われましたが、冬季の気温がマイナス20度にも30度にも下がることが、確認されており「大げさな表現!」と心の中でつぶやいた言葉が打ち消されました。

著者が訪問したのは9月末でしたが、首都トビリシの気温が20度を越えるのに対して、この地の気温は13度、朝晩はさらに冷え込み5度程度と寒く、持ってきた冬用のジャケットが大いに役に立ちました。
ジョージア、クヴェモ・カルトリ地方、ツァルカ
ジョージア、クヴェモ・カルトリ地方、ツァルカ




禿山に囲まれる平原

ジョージアの他の地域も冬は厳しいので、何ら違いはないと思われるかもしれませんが、同地の標高は約1400mと高いうえに、禿山に囲まれる同地域は森林による気温の緩和効果がないため、風は平原を伝い、直接居住地区に吹き付け、冬の寒さは限りなく厳しいものとなるようです。

木がない理由を住民や関係者に聞くと、誰もその理由を正確に答えられない所から、かなり昔からこのような状況であったことが予想されます。一説によると、近隣国が同地を占領する際に、隠れる場所をなくすために木々を焼き払ったのだとか。それにしても見渡す限り、木がなく、一部木が茂る場所があったとするなら、それらは人工的に植えられた防風林です。移動中に、平原から鷲が飛び立つ様子が見えました。


ジョージア語が不自由な住民

出張中、調査地に降り立つと、明らかに顔貌が異なる著者は、住民に好奇の目で見られます。つかさず、挨拶しジョージア人の同僚を通じて住民の方と話すようにするのですが、同僚曰く、ジョージア語が不自由な住民がかなりの数いるようで、かえってロシア語で対話する方が通じやすいことをこの地ではよく経験するようです。

ツァルカという地の状況は少々特徴的です。ギリシャ系の移民、ドイツ系の移民、アルメニア系の移民、また自然災害が多い場所から移住したジョージア人(特にアジャラ地方、スヴァネティ地方)等がおり、人口における民族構成が他の地域と比較して少々複雑です。

地区を車で走ると、ドイツ移民が利用していた教会等を目にします。また、未だにこの地の家屋や土地は、ギリシャ系移民が母国ギリシャに帰還したあとも、売却等してその所有権を放棄するなどしておらず、ジョージア人が生活する家屋の所有者がギリシャ人というケースもただあります。

また、カトリックのコミュニティがあるとも聞きました。かつては、美しい教会も建てられたようですが、現在はジョージア正教会によりそれらの建築物が使用されているようです。そうした地域がある傍ら、アジャラ地方からの移民はムスリムです。民族・宗教的にも混在して、複雑です。

ソ連時代がよかった・・・

ソ連時代が良かったという声も聞かれます。これは特に年長者から聞かれる言葉です。「昔はよかった」というただ単に昔を懐古するノスタルジックな発言とどう分けられるのか、と悩ましいのですが、ソ連時代は働けばそれなりに生活が保証されたが、今は働いてもその労働の恩恵を感じ得ないため、ソ連の社会が生活しやすかったという意味のようです。ソ連崩から現在に至る開発の恩恵に乏しい同地域であるがゆえに聞かれる言葉のように思われます。

同地のインフラは乏しく、ガスは通っておらず、薪で生活するものの、上記のような理由から薪となる木材は乏しく、かと言って現金収入に乏しい同地域では、薪を購入するお金にも事欠き、厳しい冬を越すこともままならない状況です。

放牧とじゃがいも栽培

ソ連時代は、穀物生産が盛んで、生産した穀物が領内で販売されていましたが、連邦崩壊後は、それらのインフラを維持することもできず、衰退の一途を辿りました。同地に残るくちた建物がそれらを物語っています。

この地のじゃがいもはよい種芋になることから、市場で販売するとそれなりによい値段で取引されるはずなのですが、温度を適正に保つ貯蔵庫がないため、収穫したじゃがいもをダメにしてしまうことや、収穫と同時に販売せねばならないため、生産者に有利な値付けができず、農家はジリ貧な様子。

ジャガイモ、地域の品種
ジャガイモ、地域の品種

資本のある経営者が畑を買い取り、オランダから輸入した栽培しやすく、実の大きな種芋を使い栽培しているようです。オランダの種芋を扱う代理店があるようで、そこを通じて芋を輸入しているようです。1キロに対して、1ユーロというのは少々高めですが、それでも利益があがるようです。
ジャガイモの収穫の様子。
集められたジャガイモは袋に集められます。

収穫された芋は、都心部の大手スーパーにて販売されるようです。道理で、トビリシのカルフールに並んでいるじゃがいもがオランダの芋に似ていると思ったら、やはりオランダ芋だったか、とオランダ芋を散々食したものとしては、少々食傷気味になりました。

ホワイト・ハウス

同地の宿泊施設はあまり多くはありません。そのうちの一つが、このホワイトハウス。建物は白というよりは、やや灰色がかった白、そして少々建物の壁にひび入っています。看板は出さず、ターポリンで建物の名称を表示と、これらを見て建物に入る前からツッコミを入れたくなります。

ジョージア、クヴェモ・カルトリ地方、ツァルカの宿泊施設
ジョージア、クヴェモ・カルトリ地方、ツァルカの宿泊施設

内装は、過去に病院か学校だったか、行政の建物だったかという簡素な作り。シャワーは、ヒーターのスイッチを入れてお湯があたたまるまで一時間ほど待たねばならないという代物。宿にチェックインした後にすぐにシャワーを浴びることができないのは辛いもののそれはそれで、地方に来たなぁという感じがするので、特に気にはなりません。しかし、途中でお湯が出なくなるのではという恐れから自ずとシャワーの時間が短くなるのでした。

ちなみに、ナイトライフなるものは期待できません。夜の8時をすぎれば、外を歩いている人をほとんどみません。滞在中、買い物があったため、9時に外に出たのですが、開いている店はほとんどありませんでした。しかし、家屋と一体となっている商店は、おそらく一日の長い時間を過ごす、商店側にテレビがあるため、店主とその家族が、家屋ではなく、店でくつろいでいました。そんな理由から、お店を開けてもらうことができ、必要なものを購入することができました。

ツァルカの見どころってどこ?

民族の多様性、厳しい自然、順応する人々、いろんな意味で大変興味深いものでした。しかし、ツァルカは観光で国内外から人が来るところなのでしょうか。そもそも、100 Resorts of Georgiaというジョージア国内で販売されている本を見ても、クヴェモ・カルトリ地方の観光名所はクニシ(Kunisi), 遺跡で有名なドゥマニシ(Dmanisi), マングリシ(Manglisi)の三箇所のみと観光資源に乏しい地方である様子です(他の地方はもっと多くの観光スポットが紹介されているのに・・・)。

しかし、まったく見どころの無い土地はありません。バレティ湖は、とても小さな湖ですが渡り鳥が訪れる場所です。近年田畑の灌漑で影響を受けている場所でもありますが、環境活動家等によりその保全活動が行われていると聞きます。平原では鷲などの姿も見られます。独特の自然を楽しみたいという人には興味深い土地となるようです。また、広くは知られていませんが、Dashbashi Canyonsなる風光明媚な場所もあり、自然環境を楽しみつつ一泊するというのもありなのかもしれません。しかし、仕事では行きそうにはないですが・・・

それにしても、やはりまだまだこういう場所も残っているジョージア。もっと旅せねば・・・です。

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