生存戦略としての家族ーフィリピンの家族・親族関係は人々が思う以上の関係

フィリピン人夫と結婚した際、祝福の言葉と共に周りの人々には「家族パッケージ込の結婚」であることへの’はげまし’の言葉をかけられました。婚姻によってフィリピンの大家族の一員となることは並々ならぬことだからです。

そんなことは知っていましたが、実際その一部となり、大変すぎて言葉を失うこともしばしばです(現在進行形!)。しかし、外側から見ると、フィリピンの家族関係は近代した社会が失った、深い結びつきのある関係と美化する声も聞かれます。大変なことばかりでもなく、しかし良いことばかりでもない家族関係ですが、フィリピンでは(特に貧困層においては)生存をかけた関係であると言えると思います。生存戦略としての家族がどう機能しているのか、その人々の日常をまとめてみました。

フィリピンの家族・親族関係が現れる日常

フィリピンの社会の日常は、都市部で育った日本人にとってはなかなか理解し難い様相が展開されています。例えば、著者が仕事から帰宅すると、義理の母の兄弟が、我が家で寝っ転がってテレビを鑑賞していたりすることもあります。また、突然これまであまり縁がなかった血縁関係の薄い親族がお金を借りに来たり、夕食を食べていたりすることも。

夫の兄弟家族がお金がなくて生活出来なくて、家族ごと(夫婦と子ども4人)まるごと数年に渡り居候していたり(その間の食費・生活費は一切の支払いなし)・・・という閉口するような事態が目の前で繰り広げられたりします。また親族会の参加者は多く、夫の父方の親族会では約100名が一同に集まったりもします。

弱い国家と強い社会

「弱い国家と強い社会」という言葉はフィリピンを形容する言葉として聞かれます。国家が政策の通りに機能しないため、人々はその国家に依存した形で生活をなすことができません。フィリピンでは国民健康保険なるものはありません。そのため、病気になった場合はその高額な治療費を工面しなければなりません。教育も貧困層の選択肢は限られています。また、高卒で仕事が得られないこともただあります。

そのため、それを補う生存手段として家族・親族関係が機能します。このような状況を背景として人々は生存戦略を家族・親族関係の中で巧みに実践しています。これは、いかなる社会階層においても見られます。

緩やかなつながりとしての家族

フィリピンの家族関係は父と母、兄弟姉妹だけではなく、血縁関係がそれほど濃くはないと言える遠縁にまで及びます。また、いとこも血の濃淡や父系・母系に関わりなくすべて「いとこ(pinsan)」です。もちろん、それらの関係性は、交流の有る無しに応じて変わります。

それらの関係性の中で、金銭の貸し借り、食料の融通、住まいの提供、緊急時(病気・災害)のときのサポート(金銭・生活場所の提供)等が行われます。金銭の貸借りについては、全額きっちり、期間内に返されることはかなりの確率でありません。

例として、いとこ(フィリピン人夫の父の兄弟の息子)やいとこ(フィリピン人夫の母の姉妹の娘)が同じくらいの頻度がある場合、関係に大きな違いはありません。緩やかに繋がり、交流頻度によりその関係性は異なり、しかも流動的です。

コントラパゴス(儀礼親族関係)と生存戦略

血縁の家族関係もあれば、儀礼的な家族関係もあります。儀礼的な家族関係が築かれるケースは、婚姻や幼児洗礼時の教母(God Mother)と教父(God Father)です。本来の役割は、婚姻したカップルや洗礼された子どもの精神的・宗教的な指導を担うことが目的とされていましたが、世俗的な目的のためにそれら教母や教父が選ばれることが多いのが近年の傾向です。

教母や教父に期待されるのは、クリスマスや誕生日等の行事の贈り物、教育支援、金銭的な融通等。そのため、教母や教父は、自らよりも社会的なステータスがある人を選ぶ傾向にあります。宗教的な目的の故に有るべき、儀礼的親族関係ですが、生存戦略にしっかりと組み込まれています

著者も度々教母になることをお願いされたりします。著者の人柄ではなく「外国人」としての著者の存在を期待されていることを強く感じます。本当に親しいと思う関係以外の人からお願いされた時には失礼のないよう断っています。お断りする理由の大体は「カトリックの洗礼を受けていないから」と宗教的な理由としますが、親しくない世帯の子どもの将来(の精神的かつ世俗的な問題)まで責任持てないし、持ちたくもないというのが本音です。冷たい言い方かもしれませんが、家族(旦那の家族とその姪っ子甥っ子)で手一杯でもあります。

相互扶助、分かち合い、それとも?

フィリピンでは、農業社会によって強化された相互扶助の文化があります。フィリピンの自然環境は地域差があるものの毎年台風などに見舞われ、時には日照りに見舞われる等厳しく、農業は自然条件に大きく左右されて、生産も不安定です。また、フィリピンの農民の多くは自ら耕す土地を持たない小作農であるため、地主との不平等な関係の中で農作業を行わざるえません。働けども暮らしぶりが楽にならない農民が多いのが実情です。

そんな農民と地主との関係は依存状況にあります。農民は地主に経済的な困窮に対して援助をもとめ、地主もそれに応じます。一方、農民は地主が催す冠婚葬祭等のイベントに労働力を提供する他、選挙の時には地主が関連する、あるいは推奨する候補に投票し、地主の恩義に応えようとします。

また、上下関係以外でも助け合い、互酬的労働関係ががあります。農家同士が、農作物の収穫時にお互いを助け合ったり、お互いの労働に参加したり、あるいはその報酬に食事を提供したりします。引っ越しを手伝うという行為も含まれるでしょう。ちなみに、フィリピンの地方での引っ越しは家ごとです。何十人という男子が集まり、家を担いで移転先に移動します。これをバヤニハン(Bayanihan)といいますが、フィリピンの相互扶助の実践の一つです。

バヤニハン Bayanihan
バヤニハン(セブにて撮影)
通常の家屋はニッパなどの植物でつくられているが、写真の家屋は壁材はベニヤ等が使用されている。

養子や子ども貸し借り?

親族の中で子どもの貸し借りということもあります。貸し借りというと不思議な言い方ですが、子どもがいない世帯に子どもが多い親族が子どもの一人を一時的あるいは永久的に養子にだすというものです。

一時的というのは、子どもが有る一定の年齢になるまで、子宝に恵まれぬ世帯に養子に出すこと。フィリピンでは、子どものいない世帯に子どもがいる環境を作ることで、自然と子どもができるという考え方があります。永久的というのは、その家の子どもとして育てるということですが、養子や里親の制度がないため後日肉親が養子にやった子どもを恋しがり、当初の約束を破り、子どもを再度引き取るということもあります。養子に出す世帯は大体が子沢山の世帯で、子どもを養育する金銭的な余裕がないことが多いようです。

海外労働者の親族関係

海外で労働するフィリピン人をOFW(Overseas Filipino Woker)といいます。このOFWからの海外からの送金がフィリピンにいる家族・親族を支えています。OFWにはフィリピンにいる家族からの多くの期待がかかっています。

まず、月々の仕送り、甥っ子や姪っ子の学費工面等はもちろん、家の改築、久しぶりに帰省した際には、家族・親族を招待して、どこかに行きますが、これは自発的行為というよりは多大なるプレッシャーの中なされます。 

また、本帰国後、OFWによる商売、特に出身地域に根ざした商売は成功しないことが多いです。まず、OFW自身がフィナンシャル・プランニングなるものを持たないことが大きな問題ですが、親族や近隣住民が商売に対してつけ払いとして、最終的に踏み倒し、破綻するケースです。

フィリピンではつけ払いが習慣化していますが、そのつけを払わぬ理由の背後には、OFWという「持てるもの」が親族や地域住民という「持たざるもの」に対して何かをするというのは「当たり前のこと」であるという考え方があるためです。もし、OFWが気前よくなければ、陰口を叩かれます。こうして、OFWの数年に渡って蓄えたお金は、親族に食いつぶされることがしばしばです。

関連ブログ「フィリピン海外就労者(OFW)の送金にまつわる問題

まとめ

「フィリピンの家族文化」のよさを否定しないまでも、生存のための機能的な役割を担う単位であることが確認できると思います。これらフィリピン社会で観察される、生存のための実践です。状況を説明するとなんとも「抜け目なく」「図々しく」思われますが、彼らにとっては現在志向的であることを意味します。

オスカー・ルイスの「貧困の文化」で指摘されるように我々が未来志向的な物差しの支配的文化の価値観で貧しい人たちの生活を見ているかぎりではかれらの状況は「欠乏」であり、混沌と混乱の支配する状況であったりします。それら良し悪しを支配的な文化の物差しあるいは、自らの文化からはかることはできません。

また、すでに習慣化し、人々に内在化しているこれらを改善すべきこととして捉えたとしても、改善を促しても一朝一夕に変わることではありません。では、どうするか、関係者になった場合は諦めていただき、関係者で無い場合は、生存戦略として温かく見守っていただくことでしょうか。

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