[ジョージア] ピロスマニに触れるジョージアの旅のススメ

「私の絵をグルジア(現在のジョージア)に飾る必要はない、なぜならピロスマニがいるからだ」パブロ・ピカソ

放浪の画家と言われたピロスマニ、彼の描いた絵は一世紀たった今も色あせることがなく、人々を魅了します。世界的に有名なピカソもピロスマニの存在を知り、上記のような賛辞をおくり、そして彼を題材にして絵を描いております。

ピロスマニが描く作品は、黒いキャンバスに描かれたために、コントラストが鮮明な印象を与えます。しかし、キャンバスの黒は暗さを引き立たせず、見る人を温く、そして懐かしい気持ちにさせます。ジョージア滞在ひと月弱のジョージアビギナーの著者ですが、ピロスマニの絵とジョージアのイメージが重なります。

ピロスマニ
ピロスマニが好んで描いた、宴会の絵

至る所にピロスマニ

ピロスマニという名を知らずとも、ジョージアを旅すると、街の至る所で、彼の描いた絵、あるいはそれをモチーフとした看板、ポスター、あるいはお土産品などを見かけます。

現在は残念ながら流通していない1ラリ紙幣の表面は、ピロスマニ、そして裏面は、有名な小鹿の絵でした。現在流通している貨幣20テトリ(0,2ラリ)コインは、ピロスマニの大鹿の絵、そして2種類ある5ラリ紙幣の一つ、その裏面はピロスマニの漁師、その背景には脱穀場の絵が描かれています。

また、トビリシの旧市街地には、ピロスマニの銅像、そしてピロスマニの絵画「庭番」の銅像があり、ピロスマニを見ない日はないでしょう。
5ラリ紙幣裏面のピロスマニの絵画
5ラリ紙幣裏面のピロスマニの絵画
ピロスマニの銅像
旧市街地のピロスマニに銅像、ピロスマニはニカラと呼ばれていました。


放浪の画家ーその生涯

ピロスマニ(二コロズ・ピロスマナシュビリ)はジョージアを代表する、国民的な画家。ニコラの愛称で呼ばれていました。ジョージア東部のカヘティ地方のミルザアニの農家に生まれ、幼少期をそこで過ごします。両親の死後、カランタロスの家族に連れられてチフリス(トビリシ)に移住します。

ピロスマニが25歳ごろのこと、カランタロフ家の娘で、彼よりずっと年上の夫を亡くしたばかりのエリザベトに想いを寄せるようになります。そして、求愛の手紙を書いたことがスキャンダルになり、長年お世話になった家を離れることになります。

その後は、友人と商売をはじめるも失敗、鉄道会社に勤めるも続きませんでした。持てるものを失い、黒い背広に黒い帽子をかぶり、放浪の旅に出ます。ピロスマニは絵を描くことができれば、衣食住を厭いませんでした。

そんなピロスマニに大きな転機が訪れます。1912年に芸術家にその絵を見出されます。翌年にモスクワの前衛美術展にピロスマニの作品「小鹿」「静物」「ビールジョッキを持つ女」「イリヤズダネヴィッチの肖像」の4点が出品され、注目を浴びます。素朴で、これまで観たことがない手法で描かれた絵は、美術界に衝撃を与えました。

ピロスマニの生きた時代は、ジョージアのみならず、世界の大きな変化を見る年でした。1914年その時期のコーカサス地方は、オスマントルコとの戦争の最前線となり、難民も流入し、ジョージア社会に与えた影響は大きなものでした。人々は生きることに精いっぱいになり、画材も全体的な物価高騰の影響を受けました。

1915年をピークに作品を巡って、ジョージアの芸術家を二分する議論が起こります(「放浪の聖画家ピロスマニ」p214)それからすぐ新聞記事にピロスマニを揶揄するイラスト(風刺画)が掲載され、この時期からピロスマニは人を避けるようになっていきます。

ピロスマニ亡くなるまでの約半年間、ワインの貯蔵に使われていた冷たい穴倉で生活していました(現在、ピロスマニ記念館が置かれている敷地内、旧マラカニ通り)。身体を壊し、寝たきりとなったピロスマニは、近所の靴職人が見つけられ、知人が病院まで運びました。病院に搬送されたものの、意識不明のまま一日半後に亡くなりました。その遺体は、聖二ノ共同墓地に葬られました。亡くなった日にちは諸説あり、また墓地の場所は特定できていません。

多産なピロスマニ

ピロスマニは生涯に1,000から2,000点もの絵を描きました。現在確認されている絵は234点ほど(真作と認められてないものが10点ほど含まれる)。現在も未発表の作品が持ち込まれているがほとんど贋作と言われています。

素朴なタッチの絵は、複製を作りやすいためであるのか、トビリシの記念館に置かれている絵はレプリカであることに、言われなければ多くの人は気づかないでしょう。印象的な黒は、黒い油布に描いているためのもの。そして、絵の黒い部分は、黒い下地を残すようにして描いています。ピロスマニは絵画の他、お店の看板も手掛けました。看板はブリキを用いています。



よく知られるピロスマニの絵

小鹿

ピロスマニの小鹿の絵
ピロスマニの小鹿の絵

ジョージアの今は使われていない一ラリ紙幣の裏面は、この小鹿です。鮮やかな青色の背景に映える、小鹿の姿。小鹿の目は大きく、愛らしいものの、見方によってはどこかさびしげに見える絵。

庭番

気難しそうな老人の目はするどく、そして不思議な存在感があります。この絵は、トビリシ市内の観光地などで、レストランの軒先などで見かけます。また、上述の通り、旧市街地に庭番の銅像があります。
著者は、この像を見つけた時に、「ここにもピロスマニが」と嬉しくなってしまいました。

女優マルガリータ

女優マルガリータ
女優マルガリータ

日本でも翻訳され、加藤登紀子によって唄われた「百万本のバラ」で知られる女優マルガリータ。歌の歌詞は、女優に恋をした貧しい画家が、何もかも売り払って、バラの花を買って、女優が宿泊する宿の窓の下に敷き詰めるものの、名乗ることもなく去っていくという歌の歌詞なのですが、その絵描きはピロスマニそして女優はトビリシに巡業したフランス人女優のマルガリータと言われています。

ピロスマニのロマンスの真相はわかっていませんが、これには後日談があります。ピロスマニの死後、1969年フランスで西欧初のピロスマニ展が行われたときのこと、マルガリータと名乗る女性が三日続けて展覧会に訪れ、その絵を眺め涙をながしていたと言われています。
女優マルガリータ
女優マルガリータ

自然の描写

「ピロスマニは宴会の風景を好んで描いている」(p163「放浪の聖画家ピロスマニ」)と言われるほど、懐かしく、そして豊かな自然を背景にした絵、またジョージアの儀礼であり、文化である宴会の様子も多く描かれています。

ピロスマニに触れる旅のすすめ

ジョージアに滞在し、国や文化への理解を深めるにつれて、このピロスマニの作品がジョージアという国を深く表現していることを感じています。

ピロスマニの作品を鑑賞できる場所はいくつかありますが、トビリシ市内では、「ジョージア国立美術館」と「ピロスマニ記念館」です。美術館の作品数は多くはありませんが、代表的な作品が見られます。一方、記念館は作品(レプリカ)を鑑賞するよりも、ピロスマニが生活したその空間をみるということが主目的となるような、小さな記念館です。記念館があるその場所は、「マラカニ通り」から現在は、ピロスマニ通りとなっております。

ジョージアの特に地方を旅して、その豊かな自然に触れると、ピロスマニの絵描いたジョージアの豊かな自然が目の前に蘇ります。ジョージアにお越しの際は、ピロスマニの作品に触れることを強くおススメします。

ピロスマニ記念館

ウェブサイト:http://georgianmuseums.ge/?lang=eng&id=1_1&sec_id=1&th_id=66
電話:(+995 32) 2 95 86 73
所在地:29, Niko Pirosmani str., 0164, Tbilisi
開館日:火曜日土曜日:10:00-18:00 *しかし、開いてないときしばし。行く前は、開館しているのか、ご確認あれ。
入場料:
大人:5ラリ
学生:1ラリ*ウェブサイトには無料とありましたが、現在は入館料をとっているようです。

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