助けを得ることの重要さ―知人の自殺未遂からおもうこと

先日、友人Aさんのお嬢さんが自殺未遂で病院に緊急搬送されました。

薬のオーバードーズによるもので、処置が早かったためか一命をとりとめて、現在退院しています。あぁ、よかったと事態を知る人たちは一息。けど、安心はできません。自殺しようとするまで追い詰められてしまったその原因に対処するまでは・・


一体何が起こったのか。無神経にかつ興味本位には聞けないものの、お嬢さんの容体を聞くと同時に理由も尋ねました。

理由は、一緒に住んでいる男性が精神的な病気で、その彼と一緒にいることに精神的に追い詰められていたためでした。

ここオランダでは、結婚前の同棲はごく普通のこと。なので、Aさんも同棲は当然のこととして受け止めておりましたが、まさか自分の娘がここまで追い詰められていたとは知る由もなかったといいます。地理的にも離れて暮らしており、ときどき交わす電話での会話だけでそこまで深刻な様子をお嬢さんも告げられなかったといいます。

ただ、もし同棲中の彼が病気で、病気のゆえに大変な事態となっていることを知っていたとしても、すでに成人している娘に彼女の意志を無視して、同棲を解消するようにとは言えず、知っていたとしてもそれはそれで大変だったかと思います。母親の立場であればなおさらです。(アジアだったら、娘連れて帰ってきちゃいますけど、ここはヨーロッパですので、そうもいきません。)

他人が、とくに知人のお嬢さんの立場から聞けば、そんないつ治るともしれない病気の男性との関係など、別れて解決したらよいのにと無神経にも、しかし事の重大さを考えると言ってしまいたくなりますが、それができるのだったらドメスティックバイオレンスや家族で起きる問題も、解決の糸口が見えやすくなるのでしょう。しかし、現実は家族の問題であれば、血縁の故に離れがたく、そして男女の関係であれば、感情的理由で離れることは難しいでしょう。

ことを難しくするのが、家(彼らの場合は彼氏と彼女ですが、すでに所帯持ちと変わらなく生活しているので、家庭とみなして差し支えないと思います)という密室でそれらが起こっていること。誰にも知られないままに事が進行していきます。

最終的にどうなったのか、知人曰く“当たり前”の措置が取られました。男性をアシストする人が派遣され、友人のお嬢さんは「サポート」から解放されるようです。以前はそのお嬢さんが、男性をサポートし、時に出る発作に耐えていたのですが、専門家の介入で精神的かつ実質的な重荷が減り、彼女の精神も安定することが期待されます。

自らの命を絶つという究極の事態を引き起こさないまでも、周りではすごくまじめで有能だった知人のお子さんが仕事からストレスがきっかけとなり、統合失調症を発症したといいます。知人は幸い、専門家の助けを得て、当人と知人だけで抱え込むということはなかったようですが、これから根気強く付き合って行かないといけないと知人は言っています。

さて、自分がこのような状況に陥った時に、自分がどれぐらい危機的な状況にいるのかなどと、客観的にわからないことがただ多いのかと思います。あるいはパートナーや家族に告げても取り合ってくれないし、専門家ではないからわからない・・・。



フィリピンの母(義理の母とは別に、私には母と呼べる人がフィリピンにいます)が、サポートシステムを築きなさいと、一人で頑固に頑張ろうとする私に言います。とくに異国で暮らす身、精神的につらくならないなんて保証はどこにもありません。実際、フィリピンの生活は楽しかったっけど、義理の家族の問題では精神的に疲弊しました。(←あ、書いちゃった。というか、たびたびこのブログに書いちゃっていますが・・・)そして、今のように毎年とまではいきませんが、旦那に振り回されてひとところにとどまらない生活に少々疲れていました(います)。

同僚の知り合いの奥さん、旦那さんの転勤などでも生活の劇的な変化に疲れてうつ病と診断され、現在薬を飲みつつ・・・同僚は、あんなにはつらつとした人がこうなるなんて・・・と言っていました。なので、鬱となるというのは、改めて特別なことではないのだと、感じます。(とくに、オランダに来てからよくこういう話を身近に聞きます。)

フィリピンの母の言うことはすごくもっともなこと。実際、さまざまな人に助けてもらいました。フィリピン人の友人たち、フィリピン人側に立って弁明したいのだろうけど、私の置かれている事情をくみとって、根気強く話を聞いてくれました。もちろん、日本の友人たち然り。鬱々とはしていたものの、そういう人のおかげで、旦那に、あるいは家族に、キレたり、感情的になったりすることが最低限に抑えられたのだと思います。

しかし、どれぐらいの人が家族のほかに、困った時に頼れる人はいるでしょうか。そして、困っている胸の内を打ち明けられるでしょうか。もし、家族や友人知人にそんな人はいなかったとしても、公的機関でどこにいったらよいのでしょうか。自殺未遂の一件で改めて人のつながりについて考えさせられました。


スポンサーリンク

スポンサーリンク

0 件のコメント :

コメントを投稿

Subscribe