躾は必要?

日本の子どもと比較すると、フィリピンの子は自由で良くも悪くものびのびと育っていると感じます。
特に私の家は父の躾が厳しくかったので、こちらの子どもたち(大人もですが)の自由さぶりに驚きです。

どれだけ自由か、一例ですが、食事は全部食べ終わらなくても怒られない。小さい子なら自分の食べられる量が分からず、盛りすぎて食べきらないということはあるものの、こちらの子、小学生の高学年でもそんなことがあります。結局、親が食べるか廃棄。もったいない!

小学校低学年までなら、食事を食べ終わらずともうろうろ徘徊。けど、親はなにも言いません。

道でゴミを捨てても親はおこらない。つかさず、わたしが注意しますが、私がいないところではしています。(きっと、親も道でゴミを捨てているのだろうなぁ。)

公共の場でうるさくしてもOK。というか、周りもうるさいので相対的に緩和されきっと気にならない・・・

昨日もバス亭でバスを待っている時に、暴力的な子ども(笑)が人の鞄をばしばし叩いていましたが、親は特に止めない。思わず、「これ、私のものだから、叩くの辞めてくれない?」という羽目に。

・・勿論、厳しい親もいますが、親ももともと厳しく育てられていないので、子どもに厳しく躾する理由はありません。特に男の子はもっと何も言われません。ここフィリピンでは、女の子は比較的厳しく育てられます。

躾、どう定義するか―何が含まれるのか―にもよりますが、辞書を見ると「礼儀作法を教え込むこと」とあります。これは狭義の躾と考えてもよいかもしれません。

躾は、社会の一員となるためにある種必要なこと。これが必要か否かということよりは、どう教えるのか、どのように子どもの主体性を引き出すかということが問題なのでしょう。

フィリピン、自由なことはいいこと。子どもも、そして親も恐らくそれほど“躾”しなくては!と気張らなくてよいのかもしれません。両者がストレスを抱えなくてすみます。ただ、ある程度の強制力も必要なのではと常々思います。

義姉は高校の先生で、ポジティブディシプリンを実践。これはフィリピン的な”放置型”な子育てというよりは、子どもたちの主体性を育むという子育て。Save the Childrenも推奨しています。
考え方は賛成、しかし各家庭の実践の段階でどれだけそれらの考え方が反映されているのでしょうか、というのは率直な疑問。

義姉の一人娘は、ポジティブ・ディシプリンの被験者。姪っ子のわがままぶりを見て、この子育て(また、子育てにおける“躾”)の実践のむずかしさを感じます。

さて、なぜいきなり子育て云々と言い始めたかというと、毎夏(3月~5月)姪っ子、甥っ子その親まで義母宅、つまり現在の私の住居に長期滞在していきます。

1週間ほど旦那も私も家を留守にすると、皆好き放題。今日は長旅から帰ってきたら、家の中が荒れ放題、おもちゃも、布団もそのまま・・・疲れた身体に鞭打ってお掃除。

ポジティブ何とか、あるいは放置型の子育てもいいけど、身の回りのことは自分で責任持てるように育ててほしいというのが伯母としての願いです(笑)。





スポンサーリンク

スポンサーリンク

0 件のコメント :

コメントを投稿

Subscribe