もう、無理と言いたくなる時

もう、無理と言いたくなる時

は、まだ幸いなことにありません。

しかし、人災・天災、そして日本的にはなかなかありえない設定となった時に心の中で呟いてしまいます。「ちょっと無理」って。

海外で生活していると、これまでの日本での生活経験からは「無理」かもって思える瞬間があります。

そもそもトイレがないコミュニティに滞在する時。何でもいいからせめて囲いが欲しいと思った瞬間。もう、無理。けど、用は足さないといけませんから・・・どうしたのかは想像にお任せします。

人間とは贅沢な生き物で1つのものが与えられるともう少し、と要求したくなります。囲いがあるトイレ!しかし横がすぐ豚小屋だったというパターン。豚がフギャーとなく横でお手洗いを利用。勿論豚とトイレに境目はありますが、豚のお尻は見えるという代物。

広い空間に溝だけという「簡易トイレ」。そもそもトイレではない空間をトイレとして利用しており、下水口に用を足すというもの。誰かに見られるという以上に誤って穴に落ちないかが気が気ではありませんでした。

トイレの空間がブロック塀で囲われているもののかなり苔むして、屋根には大きなゴキブリと蜘蛛がいるトイレは、本当に早く外に出たいと思われるものでした。

寝室、寝ている時に雨漏りして、傘を広げて寝なければならない時。

先日の洪水で全く水が引かない。土地が低いのですね。我が家は冠水しなかったのですが、街に出るまで洪水の中を自転車走行しなければならない時。

さっきもドアを閉めようとしたら、どこから入ってきた猫に驚きました。

「ちょっと無理かも」でも、結局は「まぁ、こんなものか」「何とかなるか」と締めくくります。海外で生活するということは、異なるものを許容する部分が広くなることだと感じます。

私は「心が広い人間」という意味でも、物事に対して鈍感になるという感覚とはちょっと違うように思います。確実に「快適」ではない、あるいは「受け入れがたい」ものを時に受け入れないと生活が成り立たない時があるという必要に迫られているが故にそう結論付けると思います。特に私の場合はですが。

異なることに遭遇すると、自分のかつての経験と比べてしまいます。これは例に挙げたような分かりやすい生活上の設定だけではなくて、他国の人と意思疎通をはかりながら仕事する時など、確実に気持ちがもやもやするような経験を必ずと言ってよいほどします。

そのもやもやをそのままにせずに、「なぜ」を考え、「無理」とシャットアウトする思考形式からシフトしていく中で、獲得できる新しい知識があるように思います。

けど、学びのためとは言え「無理」と思える環境、大歓迎!とはいきませんがね(汗)







スポンサーリンク

スポンサーリンク

0 件のコメント :

コメントを投稿

Subscribe